【五十五 甘ったれの龍の子】
「あー、お腹空いたぁあ〜……一体いつまで待てばいいんだろ」
ここは蛇盤山の中腹あたりにある鷹愁澗。
とりどりの緑に囲まれた深い茂みの中に隠された深い谷。その際には深く大きな大きな岩の洞窟がある。
奥へと進むと薄暗くひんやりとした空間に一匹の龍がいた。
彼の名は玉龍。
西海龍王である敖閏の三男だ。
虹色に光る白い鱗に金色のたてがみが美しい大きな白い龍は、頬杖をついて谷間から木々の葉の間に見える空を眺めていた。
「お父様もひどいや。うっかり宮殿を焼いたくらいで出ていけ、だなんて」
実は焼いたのは西海龍宮の宝珠で、西海龍族にとってはかけがえのない至宝。
血肉を分けた我が子といえど、敖閏には許すことはできなかった。
玉龍は天帝に裁かれ死刑を言い渡されたが、
観音菩薩のとりなしにより蛇盤山で西方取経の旅に出る僧侶のお供をするよう命じられているのだ。
「おボウさんって人も全然こないし……」
玉龍が蛇盤山に来てから気の遠くなるような時がすぎたけれど、観音菩薩のいう僧侶はいまだにとおりかからない。
その時、地鳴りのような玉龍の腹の音が谷底に響き渡った。
「人間の世界はなんでも小さいからお腹なんか膨れないし、寒いしなんか臭いし……宮殿に帰りたいよ……」
西海龍王の第三子として生まれた玉龍は、他の兄たちに比べ甘やかされて育ったとも言える。
だから地上の世界で過ごすのは苦痛でしかない。
「ん?」
突然、何かの匂いを嗅ぎつけたらしい玉龍は、のそりと首をもたげてヒクヒクと鼻を動かした。
「お肉……!お肉の匂いだ!!それも猪とかじゃない、極上の馬の匂いだあ!!」
玉龍は涎をじゅるりと垂らしながら浮上した。
「よし、あっちの方角だな……!待っててね、お馬ちゃん!」
そういうと、玉龍はウキウキと匂いの方へと飛んでいったのだった。
花果山から五行山に戻った玄奘たちは、孫悟空の封印解く前に待機を命じた従者を探していた。
不思議なことに待機場所には誰もいない。
玄奘が乗っていた白馬の姿も見えなかった。
二人は「おーい」と呼びかけながら従者たちを探していた。
「ところでお師匠様と観音菩薩様ってどういう関係なんですか?」
背の高い草をかき分けながら振り返った孫悟空の質問に、玄奘は少し困ったような顔をして微笑んだ。
「どうやらかつての私は観音菩薩様の弟弟子だったようで。そのご縁でこの旅をすることになったのです」
「弟弟子って、お師匠様は釈迦如来の弟子だったってことですか?」
「みたいですね」
「みたいですねって」
まるで他人事のように言う玄奘に、孫悟空は呆れた。
前世が釈迦如来の二番弟子だなんて大事だろうに、仏教オタクのような玄奘には舞い上がるほどうれしいことじゃないのかと、孫悟空は怪訝な顔をした。
そんな孫悟空に気づいた玄奘は少し困った顔をした。
「あまり実感がないのです。何世も前の自分が釈迦如来様の弟子だったなんて。むしろ畏れ多いことで……だって今の私は一人の人間で、まだまだ修行の途中にあるただの僧侶なのですから」
「そうなんですね……」
孫悟空は返す言葉か見つからず、草をかき分け人を探す作業に専念しようとしたその時。
「白露!」
「白露?」
玄奘が何かを見つけたのか、突然大きな声を出した。
聞きなれない誰かの名前らしい言葉に孫悟空が顔を上げると、玄奘の視線の先には真っ白な馬がいた。
「皇帝から預かった馬なんです。こんなところに……よかった、見つかって」
白露もまた玄奘を見つけたらしく、嬉しそうに嘶いて駆け出した。
だが玄奘に駆け寄ってきた馬がたどり着くことはできなかった。
「お師匠様、待って!」
馬に駆け寄ろうとした玄奘を、孫悟空が慌てて止めた。
「なんですか、悟空……っ!」
突然、茂みからぬっと白く大きな龍が現れ、白露を丸呑みにしたのだ。
それは一瞬のことだった。
「白露!」
玄奘の悲鳴が山中に響き渡る。
「シッ!お師匠様静かに……!」
騒ぎ出しそうな玄奘の口を手で塞ぎ、孫悟空が小さくいう。
あんなに大きな龍にみつかったら孫悟空たち二人も丸呑みにされてしまうだろう。
幸いなことに二人は龍に気づかれずに済み、白露を一のみした大きな龍はそのまま天へ上昇して姿を消してしまった。




