【二百五十二 観音菩薩、玄奘の破門発言に動揺する】
玄奘が孫悟空を破門したことは、普陀山で浄玻璃の鏡をつかって一行を見守っていた観音菩薩たちにも青天の霹靂であった。
「お、お師様、弟弟子君が……」
恵岸行者は顔面蒼白になっている観音菩薩に声をかけたが、返事はない。
「破門……ですって……?!」
「あっ、お師様!!」
観音菩薩は居ても立っても居られない様子で、普陀山を飛び出し須弥山の釈迦如来の元へと急いだ。
「釈迦如来様!!」
観音菩薩は釈迦如来の住まう釈迦如来須弥山に着くと、そこにある堂にドカドカと足音も抑えずに無言で彼の居室の扉を開いた。
「やはりきましたね、観音菩薩」
「困ります、いくら観音菩薩様でもいきなり入室されては」
釈迦如来の弟子で身の回りの世話もしている前部護法が慌てて観音菩薩の前に出る。
しかし普陀山のある小須弥山から急いできた観音菩薩は、無言で肩で荒い息をつきながら釈迦如来を見るだけで、前部護法に返事を返せずにいた。
そうこうしているうちに追いついた恵岸行者が横からひょっこり顔を出した。
「大哥、申し訳ありません。実は玄奘一行に重大な問題がおこりまして……」
前部護法は恵岸行者の兄でもある。
恵岸行者は兄に謝罪すると、なぜ自分たちがここにきたかを説明した。
「大きな問題……こちらも把握しておりますよ。玄奘が悟空を破門したのでしょう?」
だが釈迦如来は観音菩薩のように取り乱すことなく、優雅に茶杯を持ってほほえんでいる。
(さすが釈迦如来さま、この事態にも動じておられないとは!)
釈迦如来の落ち着き振りに感心した観音菩薩と恵岸行者は、慌てていた気持ちが次第に落ち着いてくるようだった。
「は、破門……まさか玄奘が孫悟空を破門するとは……はは、破門ですよ破門……は、は破門……あっつぁ!!」
しかし釈迦如来の持つ手は次第に震えが大きくなり、ガチャガチャと茶杯がゆれ、釈迦如来の手に茶が触れ、熱さにとうとう絶叫する。
「釈迦如来様!」
前部護法は慌てて溢れた茶を拭き、熱傷部分を濡れ布巾で冷やした。
「釈迦如来様は甘茶を飲んでようやく落ち着いたところだったというのに……全く……」
ブチブチと呟きながら前部護法がため息をついた。
「す、すみません大哥……」
恵岸行者は申し訳ない思いで頭を下げた。
釈迦如来は熱傷部分を冷やしながら観音菩薩の元に駆け寄り座り込んだ
「観音菩薩、どどど、どうしましょう……私は八十一の難を玄奘に課すと言いましたが、これは私にも想定外のことなのです……」
しかし自分より取り乱したものを見て冷静になったのか、観音菩薩は身をかがめて釈迦如来の肩に手を当てた。
「釈迦如来様、玄奘たちを信じましょう。玉龍や、かつて崑崙の官吏だった沙悟浄も猪八戒もいるのです。大丈夫です」
「大丈夫じゃないかもしれません……」
「え?」
「私、牛魔王に玄奘の情報を流してしまったのです」
「な、なんですって?!」
牛魔王といえば妖怪たちの頂点に立つ妖怪の王目されている存在だ。
おそらく釈迦如来は、玄奘が攻略する難の一つとして、牛魔王との戦闘を数えたのだろう。
「孫悟空でなければ、牛魔王に対抗できるか分かりません……彼の元には羅刹女、その息子の紅孩児と、ほかにも愛人の九尾など名だたる妖怪たちがいますから……」
震える釈迦如来の言葉に、流石の観音菩薩も言葉を失った。
「大哥……」
「……ああ、これは父上にお話ししたほうがよさそうですね」
前部護法と恵岸行者も緊張の面持ちで顔を見合わせた。
彼らの父は托塔李天王である。
「お師様……」
顔面蒼白でうつむき沈黙してしまったそれぞれの師に、2人はおずおずと声をかける。
「釈迦如来様、クヨクヨしていても仕方ありません。この先玄奘様が孫悟空の破門を撤回するかもしれませんし、ここは見守ってはいかがでしょう。孫悟空の抜けた穴は我々や父の托塔李天王が埋めましょう」
前部護法の言葉に、釈迦如来と観音菩薩はようやく顔を上げた。
「それしかありませんね……前部護法、至急お父上に援護の要請を」
「はっ!」
「恵岸も、頼みますよ」
「承知いたしました」
前部護法と恵岸行者は師に頷くと、連れ立って父の元へと急いだのだった。




