【二百四十三 元始天尊を蝕む魔羅の毒】
釈迦如来は不安そうにする須菩提祖師に向き直り言葉を続けた。
「これほどまで濃い魔羅の毒は仙郷の薬では抜けないでしょう。私に任せてください」
そして、釈迦如来は三人を安心させるように微笑むと、元始天尊の額に手をかざし何かを呟いた。
円形の波紋が広がり、元始天尊の口から黒いモヤがその波紋へ吸い込まれていく。
「う……ん……?」
釈迦如来が数回同じ言葉をつぶやくと、やがて元始天尊の瞼がピクリと動き、ゆっくりと目を開いた。
「元始天尊……!」
須菩提祖師は、がばりと元始天尊に覆い被さった。
「よかったな、うん、よかった!」
「全く……」
鎮元大仙と太上老君も安堵している。
普段から会えば憎まれ口を叩き合うような間柄だが、それは親しさゆえのこと。
長年付き合ってきた友人の無事に、二人の目は潤んでいる。
釈迦如来はその場に跪き、元始天尊に頭を下げた。
「申しわけありませんでした」
「お前……何を?」
ぼんやりしていた意識が一気に冴えたのか、元始天尊は驚いて上体をおこした。
元始天尊だけではなく、清浄の間にいた誰もが驚いた。
「俺様、釈迦如来が頭を下げて謝るところなんて初めて見たかも……」
「ご、悟空!」
茶化すようにつぶやく孫悟空を、慌てた猪八戒が肘で突いて黙らせる。
「あなた方を巻き込まないという条件で、仙郷の皆様には色々と力を貸していただいていたのに、このようなことになってしまい……あなたにも命の危機を……本当に申し訳ありません」
「……うむ、謝罪をうけいれよう。だがお前は、お前たちは吾を……崑崙を救うために尽力してくれたのだ。気に病むことはない。頭を下げる必要などない」
「ありがとうございます」
元始天尊の赦しに、釈迦如来は頭を上げた。
元始天尊は言葉を続ける。
「人の世と関わりがある以上、このような事態を完全に防ぐ事は今後も難しいだろう。ここは戦いとは無縁で過ごしていた世界だからな。だから吾は、これ以降崑崙と人の世界を切り離すつもりだ」
「それがよろしいでしょう……」
釈迦如来は淡々と話す元始天尊に頷いた。
「えっ?」
だがその話は人間界で暮らす鎮元大仙には寝耳に水のことで、とても驚いた彼は思わず元始天尊に聞き返した。
「須菩提から人の世の話を聞いて、ずっと考えていたのだ」
「そう、なのか……」
「だが強制はせぬよ。人の世と繋がりを持ちたいものはそのようにすればよし。崑崙山自体はこの世に残る」
落ち込んだ様子の鎮元大仙に元始天尊が言った。
「わしはいろんなものを見たいからな。人間界にある宝貝につかえそうな素材も欲しいし、わしは残るぞ」
目を輝かせながら太上老君が言う。
慌てていない様子を見ると、太上老君はすでに元始天尊の考えを知っていたようだ。
「そうか……ならば……うん、吾輩も今まで通り五荘観で暮らそうと思う」
少し考えてから鎮元大仙が答えると、元始天尊は少し寂しそうに微笑んだ。
「お前ならそう言うと思うておったわ」
「ちょっと距離が離れるが、何、集まりを止めるわけではない。今まで通り、変わらぬ。そうだろう?元始天尊」
太上老君がそう言うが、元始天尊は何も答えずに微笑むばかりだった。
「元始天尊?」
「いや、そうだな。少し不便になるが、集まりは続けようぞ」
物思いに耽っていた様子の元始天尊は、須菩提祖師の呼びかけでハッとして答えた。
「まだ魔羅の毒が完全に抜けきっていないのかもしれません」
元始天尊の、そのぼんやりとしていた様子を見た釈迦如来は心配そうに言うが、元始天尊は首を振り微笑んだ。
「大丈夫だ。それよりも、そろそろ釈迦如来もその体を持ち主に返さねばならぬのではないか?」
元始天尊の言葉に、「もちろん」と言って釈迦如来は頷いた。
「そうですね……彼方の方でも魔羅の本体をおさえねばなりませぬからね……二度とこのようなことがないように、きつく、封じましょう。では元始天尊、このような形でしたが、あなたに再びお会いできてよかった」
釈迦如来が差し出した手を、須菩提祖師に支えられた元始天尊は握り返した。




