【二百三十五 沙悟浄、対魔羅に孤軍奮闘する】
魔羅は黄色に赤という目を持った金の鱗甲を持った蛇の姿で、とにかく自分を痛めつけた仙人たちから距離を取ろうと身をくねらせ進む。
元始天尊の体から魔羅が逃れたことに准胝観音が気づき矢をつがえながら叫ぶ。
「魔羅が元始天尊の体から離れたぞ!小さな金の蛇だ、討ち漏らすな!」
魔羅が元始天尊の肉体という最強の器を失った今、魔羅を消し去るまたとない好機である。
「小癪な!」
魔羅は逃げ惑いつつ、矢を向ける准胝観音を睨んだ。
「──っ!」
その瞬間、准胝観音は糸で縫い付けられたように動けなくなってしまった。
金縛りだ。
「准胝の姐さん!くそ、このやろぉおおお!」
普賢菩薩は呉鉤剣を握りしめ魔羅に飛びかかろうとするが、体が思うように動かない。
金縛りさせたのは准胝観音だけなのに、普賢菩薩の心の奥底にある、魔羅に対する恐怖心が足を縛りつけその場に縫い留めているのだ。
「貴様らなぞ釈迦に比べたら小虫のようなものよ!」
魔羅はその体を大きく増加させた。
普賢菩薩と准胝観音の恐怖心を得たのだ。
「隠しても吾には感じることができる。なんと甘美な恐怖よ」
「……っ、くそ!」
准胝観音は歯軋りをした。
金縛りのせいで声さえ上手く出せない。
魔羅への恐怖がある限り魔羅の弱体化はできない。
観音菩薩も、文殊菩薩も、その恐怖心に抗えず、誰一人魔羅に飛び掛かることはできなかった。
釈迦如来のもとで過ごした准胝観音たちは、魔羅に対する知識があるだけに、下手に動くと危険だと本能で防御に徹してしまう。
魔羅はそんな観音菩薩たちの恐怖心をどんどん吸いあげ巨大化していく。
そして先ほど観音菩薩たちが競い合い消し去った黒大蛇などが小蛇と思えるくらいの大きさになってしまった。
「すべてひと飲みにしてくれるわ!」
魔羅が大きな口を開けると、牙から黄色い毒汁が滴り落ちる。
それは黒く禍々しい気体を発していて、触れた清浄の間の床を溶かした。
「玉龍、やれるか?!」
「……ゴクウ、ごめん、ボク無理だよ、アイツ、毒持ってるもん……怖いよ」
玉龍は魔羅の毒牙を見て怖気付き、人型に変化してフードを深く被り震えた。
「わかった、お前はお師匠様を頼む。八戒、悟浄、いくぞ!」
「……ああ、准胝ちゃんの仇、とってやる!」
「二人とも、あれは毒液を飛ばしてくるから気をつけろ!」
孫悟空を先頭に、玄奘の弟子たちが魔羅に挑みかかった。
「ははは、蟻のようだな。踏み潰してくれようか!」
魔羅はガラガラと笑い、尻尾の先についた飾りを鳴らした。
「……っ、なんだこの音は!」
「頭がおかしくなりそうだ」
シャラシャラとなるその音は耳のいい孫悟空たちを苦しめた。
しかも猪八戒の姿は豚の頭に戻ってしまった。
唯一動けるのは沙悟浄のみ。
彼は猿と猪にくらべたら、耳の聞こえはそれなりだからだ。
(青鸞がいれば……)
沙悟浄は魔羅を見上げ、猛禽の義子のことを思い出していた。
以前、沙悟浄の義子である青鸞童子は玉龍との戦いのときに、猛禽の本能で彼を追い詰めたことがあるのだ。
そこまで考え、沙悟浄は首を振った。
なぜここにいない青鸞童子に頼ろうとしたのか、と沙悟浄は頭をかいた。
(あれの音は無意識に弱気にさせてくるな。ならば)
玄奘の錫杖の音が打ち消している間は平気だが、二つの音は拍子が違う。
どうしてもできる音の空白に、魔羅の尾の音が入り込んでくる。
「お前たち、耳を塞げ!あの尾の音を聞くな!」
沙悟浄はそういうと魔羅の方へ向かって駆け出した。
天界での戦いで、魔羅に似た毒蛇との戦いは何度かやったことがある。
だがこれほどまでに大きな毒蛇と対峙するのは初めてのことだが。
「玉龍、できたらお師匠さまに錫杖の拍子をあげるよう言ってみてくれ!」
「わかった!」
尾の音をなんとかしなければ、孫悟空も猪八戒も動けないだろう。
集中している玄奘に玉龍の声が届くとも思えないが、何事も打てる手は全て打っておくのがいいだろう。
沙悟浄が魔羅の尾の飾りを狙おうと大きく跳躍した時だった。
「こざかしいわ!」
「ぐぅっ!」
それに気づいた魔羅が尾を大きくうねらせ、沙悟浄の胴を打った。
「なんの、これしき……っ!」
宙へと弾かれた沙悟浄は口から地を吐きながらも、清浄の間の壁に衝突する前に体制を変え、壁を蹴って魔羅の尾まで飛び戻り、降妖宝杖を薙いだ。




