【二百三十四 太上老君、奥義を放ちて魔羅を退ける】
鎮元大仙がその手に持っているのは鞭だ。
だが以前孫悟空を打った木の鞭とは違い、今彼が持っているのは特別な神獣の骨と革で作った宝貝だ。
宝貝自身が持つ神気が魔羅にさらなるダメージを与える。
鎮元大仙は無言で無表情のまま鞭を振るう。
須菩提祖師に貼られた札のせいか、魔羅の身動きは全く取れなくなっていた。
「痛っ!いったっ!!」
魔羅はなす術もなく、鎮元大仙の鞭に打たれるしかない。
「その体を早く手放さねば、さらに酷いとこになるぞ」
容赦なく振り下ろされる神気の鞭に魔羅は全身が焼かれるようだった。
心なしか鎮元大仙が頰を紅潮させ興奮しているように見え、魔羅はゾッとした。
「お前たちはこの体の持ち主の友なのだろう?!肉体を傷つけて良いのか?!」
魔羅が叫ぶと、須菩提祖師は悲しそうな顔をした。
「元始天尊ならわかってくれる。それにカレは、こんなことになったのならば魔羅ごと自分を葬ってほしいと思ってるはずだ。ね、太上老君」
「そうだな。悲しいが、仕方あるまい」
須菩提祖師に呼ばれた太上老君は、大して悲しそうなそぶりもせず、印を組みながら何かを唱えている。
「九字結界、神機の織。縦糸横糸かけまして。織り上げまするは清めの網……」
すると、太上老君の呪文に応じて清浄の間の床板の境が白く輝き始めた。
太上老君は呪文を続ける。
「万物の長たる神のもと、清めの機は悪しきを一掃す。縦横かけます無尽の糸、清めの光放ちていま敵を穿つ!」
太上老君は手刀を作り、その先を魔羅に向けた。
床だけではなく清浄の間の滝も輝き始め、魔羅の額に貼られた札に向けて無数の光が集中した。
「やめろ、やめろ……っ!」
魔羅が恐怖に震える声で言う。
「清浄の間に入り込んだ、アンタの負けだよ」
須菩提祖師はそう言って太上老君の元まで一飛びで下がった。
鎮元大仙も鞭をしまい魔羅から距離を取る。
「やめっ……っ!」
「清浄なる織りよ、魔を貫け、疾!」
糸のように細い光は束になり、魔羅へと向かった。
(クソっ、やられてたまるか!)
魔羅は元始天尊の体をこれ以上支配するのを諦め、光が届く前にその体から抜け出し逃げた。
その直後、清浄な光は元始天尊を貫いた。
光に貫かれた元始天尊は脱力したように手足をだらんと下げ、動かない。
やがて光の糸が消え、それまで魔羅の力で浮いていた元始天尊は清浄の間の床に向かって落下を始めた。
気を失っているのか、元始天尊は落下していることにも気づいていないようだ。
「やばっ、元始天尊っ!」
いち早く反応した須菩提祖師は、大きく跳躍し元始天尊を抱き抱え、床に着地した。
魔羅に取り憑かれていた時に変化した肌などは全てもとどおりになっている。
呼吸も正常。
鎮元大仙に鞭打たれた顔以外は。
しかし命は無事だった。
「元始天尊……」
須菩提祖師はホッとして、気絶している元始天尊の黒い髪を撫でた。
「元始天尊は無事か?大丈夫か」
鎮元大仙と太上老君も駆け寄ってくる。
元始天尊を覗き込む二人を見上げ、須菩提祖師は頷いた。
「魔羅を取り出すためとはいえ、無茶しちゃったかな」
鎮元大仙に鞭で打たれた元始天尊の頬は赤く腫れてしまっている。
「全く、顔を狙わなくとも……」
せっかくの美丈夫が台無しだ、と太上老君が呆れて言うと、鎮元大仙は困惑したように俯いた。
「いや、諸々のことを吾輩に言わずにいた元始天尊がどうしても憎らしくてな」
もっと早くに言ってくれたら、あの会合の時に気付けていたら、もっと早くに元始天尊を救えたかもしれない。
「彼奴は人の世界に暮らすお前に気を遣ったのだよ。それなのに鞭を打たれてかわいそうに」
「そう言うお前こそ、容赦なく喉元に光を突き立てたではないか!」
太上老君に鎮元大仙が言うと、太上老君はやれやれと肩をすくめた。
「浄化のためだからな。お前の私怨と一緒にするな」
「むむ……っ、それで魔羅はどこへ行ったのだ」
納得いかない様子の鎮元大仙だったが、これ以上話をつづけるのは得策ではないと、話題を変えた。
「あそこだよ」と、須菩提祖師が指を指す。
元始天尊から抜け出した黒い蛇の影が観音菩薩たちと戦っている。
「さて、ここから先は釈迦の領域。あとは准胝たちに任せよう」
須菩提祖師はそう言って、元始天尊の赤く腫れた頬の手当てを始めた。




