【二百九 鎮元大仙、眠りを妨げられ怒り狂う】
興奮した玄奘の荒い息遣いだけが、月明かりが差し込む薄暗い道場にひびいている。
そこへ、丸太を四本抱えて猪八戒が道場の扉を開いて入ってきた。
「おおーい、木を運んできたぞって、アララ、重い空気。何があったのよ」
しんとした道場に、呑気な猪八戒の声が響く。
孫悟空は助かったとばかりに猪八戒へと駆け寄り、丸太を受け取り抱えた。
「とにかく身代わりを作るんで逃げましょう」
印を組んで呪文を唱え始めた孫悟空の言葉を無視して、玄奘は丸太の上にどっかりと腰をかけてしまった。
「逃げません!私はここを動きません!」
「お師匠様〜!」
「え、悟浄ちゃん、この2人何をモメているの?何がどうなってるのよ……オジさんわけがわからないんだけど……」
沙悟浄も玄奘の頑固さに困惑して頭を掻くばかりだ。
「ねー、二人とも、そんなに騒いだらチンゲンさんが……」
玉龍がハラハラとして言う。
「ハイ呼ばれて飛び出て鎮元大仙様とーじょー!はいざーんねんでした。お前らは逃げられぬぞ。疾!」
そこへ枕を抱えた寝巻き姿の鎮元大仙が現れ、印を組んで鋭く唱えた。
すると縄がひとりでに動き出し、あっという間に玄奘たちを縛り付けた。
「ったく、お前たち何時だと思ってんだ!吾輩は崑崙から帰って疲れておるのだぞ!それなのにギャーギャーワーワー!やかましいわ!!」
「す、すみません……」
玄奘は頭を下げた。
「ちぇっ、もう起きたのかよ。年寄りの朝早すぎじゃねーの?」
「いや寝てねえんだわ!お前らがうるさすぎて眠れねえの!馬鹿者が!」
「でっ!」
憎まれ口を叩く孫悟空にデコピンをして、鎮元大仙は枕を道場の床に叩きつけた。
「そんなにお望みなら夜通し鞭打ちしてやってもいいんだぞ!」
鎮元大仙の言葉に道場が静まり返る。
「それならば私を!」
「あ?」
寝不足で最高に不機嫌なのか、鎮元大仙は半目になりながら玄奘に近づいた。
「まだそんな甘いことを……」
玄奘は怯まずにまっすぐ玄奘を見据えて言う。
「たとえ甘いと言われようと、弟子たちがこれ以上身体を傷付けられるのを黙ってみていることはできません!」
玄奘の言葉に鎮元大仙は「ハッ」と鼻で笑った。
「傷付けられるだと?傷ついてなどいないではないか!あの変態仙人須菩提祖師から術を学んだ石猿が、あの程度の仕置きで傷つくものか」
ほれみろと鎮元大仙は孫悟空の無傷の太ももを指す。
孫悟空は明後日の方を向いて口笛を吹いている。
「なんだバレてたのかよ」
「その態度、あの変態仙人そっくりだわ。まったく……!」
悪びれずに呟く孫悟空に、鎮元大仙は忌々しげに大きなため息をついた。
「それに、准胝観音からも頼まれておる玄奘殿のことは打たぬと言っているだろう!」
面倒くさそうに頭をかきながら、鎮元大仙が言う。
そしてふと、思い出したように手をポンと打った。
「ああ、そういえば太上老君から玄奘殿は玉果と聞いた。クク、そうだったそうだった。ああ、興味深いことだ」
鎮元大仙はそう言って玄奘の近くにかがみ、その白い頬をつつ、と指でなぞった。
玄奘は抵抗せず、ただされるがままだ。
玄奘の頬から首筋に、上から下へと赤く細い爪痕が記されていく。
「吾輩は様々な植物を育ててきているが、人の身で玉果となった存在をこの目で見るのは初めてだ。さて、どのような味がするのだろうなあ……」
鎮元大仙は玄奘の顎を掴んで、まるで市場に並んだ野菜を値踏みするように上下左右に揺らした。
「やめろ、お師匠様から離れろ!」
孫悟空は縄抜けをして如意金箍棒を鎮元大仙に向けて構えた。




