【二百四 鎮元大仙、五荘観に帰還する】
鎮元大仙は弟子たちを揺すり起こそうとしたが、全く目覚める気配がない。
「術か」
鎮元大仙は素早く印を組んで呪文を唱えた。
「疾!」
すると雨のような小粒の水滴が弟子たちの顔に濡らし彼らを目覚めさせた。
「う、うーん……」
「月亮、風舞、これはどう言うことだ。何があった」
顔を拭きながら目覚めた二人は、鎮元大仙の帰還に飛び上がった。
「ち、鎮元大仙のご帰還を……」
「挨拶は良い。緊急事態だ。何があったか手短に話せ」
鎮元大仙の言葉に二人は顔を見合わせ頷きあうと、意を決したように口を開いた。
「実は……」
気絶しそうなくらい顔を青ざめさせ、恐怖に震える月亮に代わり風舞が顛末を話した。
玄奘を五荘観に迎え入れたこと、人参果を食べるのを断られたこと。
そして、孫悟空が怒って斧で人参果を切り倒してしまったこと。
風舞がそこまで話すと月亮は、鎮元大仙の怒りを恐れるあまり、精神に限界が来たようで倒れてしまった。
「風舞、吾輩の木を石猿が切り落としたのは誠か……?」
「残念ながら……あっという間の出来事で止めることはできませんでした。部屋に鍵をかけて閉じ込めていたのですが……」
「逃げられたのだな」
鎮元大仙は想定内だと風舞の肩を叩いた。
「太上老君でさえ捉えられなかったものをお前たちがどうにかできるとは思っておらぬ。苦労をかけたな」
そう言ってぽんぽんと風舞を労うように肩を叩いた。
「鎮元大仙……」
「あとは我輩に任せて皆休め。良いな」
他の弟子たちにもそう言うと、鎮元大仙は人参果の木へと向かった。
そこには綺麗な断面の人参果の切り株があった。
崑崙山に行く前は歯を繁らせたわわに実をつけ
ていたのに、ほんの少し留守にしていた時間に
変わり果てた姿になっている。
「はは……これはまた、スッパリと言ったものよのう」
鎮元大仙は切り株を愛おしそうに撫でさすった。
傍には人参果を切ったとみられる斧が落ちている。
「なぜこんなところに斧が……」
鎮元大仙は怪訝に呟き斧を拾う。
人参果の管理は特に厳しくしていたはずで、斧がこの木の近くにあるなどあり得ないのだ。
「……」
鎮元大仙は斧を消すと、再び切り株を見下ろした。
細かく刻まれた年輪からは瑞々しい木の香りがたちのぼってくる。
約一万年の年月をかけ、手塩にかけた人参果。
その苦労が走馬灯のように、脳裏に浮かんでは消えて行く。
「孫悟空……!」
鎮元大仙はそう呟いて雲に飛び乗り、玄奘たちを追いかけ始めたのだった。
「我輩から逃げ切れると思うなよ……!」
月夜に照らされる鎮元大仙の表情は、無表情であった。
五荘観を出た玄奘たちは万寿山の中を急ぎ走っていた。
人が入り込まないように手入れも何もしていなかった山道は獣道ばかりで、木々が乱立しているので觔斗雲にも乗れない。
「チクショウ、こんな獣道だとは計算外だったぜ」
孫悟空がぼやきながら木を切り倒して一行を先導していく。
「悟空、今からでも遅くありません。戻って謝罪しましょう」
「それはできません」
孫悟空だけでなく、猪八戒と沙悟浄まで声を揃えて言う。
「命が惜しければ逃げるしかありません」
「そうですよお師匠さん。悟浄ちゃんの言う通り、ここで命を落としたら天竺まで辿り着けませんよ」
「そうかなー。ボクには逃げ切れるとは思えないんだけど……」
「木々の上に出たらすぐ見つかるだろうし、このまま獣道を進みましょう」
猪八戒が言う。
玄奘は五荘観を振り返りつつ、弟子たちについていくことしかできないのだった。




