【百九十四 玄奘、人参果に揺さぶられた気持ちを語る】
玄奘と玉龍、孫悟空だけになった部屋は静かで、体格のいい二人がいないだけでかなり広く感じる。
「おシショーサマ、大丈夫?」
「ええ……お気遣いありがとうございます、玉龍」
「あまり無理しないでくださいね。俺様たちにはお師匠様が必要なんですから」
孫悟空が水を杯に注いで玄奘に渡す。
「ええ、気をつけます……」
一口、濡らす程度に口をつけて玄奘が力無く笑って答える。
「俺様、観音菩薩のとこに一っ飛びして甘露水でも貰ってこようかな」
「いえいえ、そこまでする必要はありませんから」
孫悟空は今にも飛び出しそうになりながら言うものだから、玄奘は慌てて引き留めた。
「ねえ、おシショーサマ、言いたくなかったら別にいいんだけどさ……ニンジンカ見てなんか嫌なこと思い出した?」
「え……?」
「なんか、ニンジンカ見た時から元気ないから……」
玉龍が言うと、玄奘は驚いた顔をして、それから困ったように笑った。
「玉龍は鋭いですね。……思い出してしまったのです。心の奥底にしまったはずの気持ちを……寺に捨てられた赤子たちのこと、それから……私のこと」
「お師匠様……」
玄奘は拳をギュッと握った。
「私は赤子の時に寺に預けられました。あの赤子の姿の果実をみて、なぜだか唐突にそのことを思い出してしまって……」
玄奘だけではない。
飢饉や戦乱などの理由で孤児が寺に預けられることは少なくない時代だ。
寺に預けられる子供や赤子は玄奘の他にもいた。
災害が起きたり戦争が起きたりして孤児になったり、生活が苦しいなどの理由で。
「色々なことが心の中を、激流のように巡ってしまったのです」
両親はなぜ玄奘を寺に預けたのか、どんな気持ちでいたのか。
今一体どうしているのか。
生きているのか、それとも。
身の証になるものは預けられた時に共に包まれていたお守りしかない。
考えてもわからないことがぐるぐると玄奘の中をうずまいていのだ。
それに、馮雪の記憶でも親との思い出はなかった。
なぜだろうと、蓋をしたはずのどうしても納得いかない気持ちが溢れ出てきそうだった。
「じゃあさ、調べましょうよ!お師匠様のご両親のこと」
孫悟空が言った。
「調べるって……どうやって」
「やり方なんて色々ありますよ。觔斗雲を使えばこの大陸はあっという間に行き来できるんだ。鎮元大仙の用事が済んだら今度はお師匠様のことを調べましょう!」
ね?と孫悟空が玄奘の手を握って言う。
「それいいね!ボクたちはただの妖怪や龍じゃないもんね。おシショーサマ、まかせてよ!」
玉龍も乗り気で言う。
二人に言われると勇気づけられた気がして、玄奘は少し心が軽くなった。
「良いのでしょうか……天竺へのお役目があると言うのに」
「良いんですって!俺様の觔斗雲でならお師匠様がいたお寺までの距離なんてたいしたことないですから。ね、はい決まり!俺様八戒たちにも伝えてきます!」
「そんなこと言って、ゴクウはさっさとここを出たいだけなんじゃないの?」
玉龍が茶化して言うと、孫悟空は鼻の頭をかいた。
「それもあるけどさ、お前だってやっぱりお師匠様の心残りはとっておきたいだろ」
孫悟空が言うと玉龍も「確かに」と頷いた。
「ありがとうございます、二人とも。なんだか少し元気出てきました」
「えー?少しだけぇ?」
「いいえ、たくさん出てきました!」
ジトリと玉龍がふざけて聞くと、玄奘はくすくす笑って力こぶをつくる仕草をした。
「じゃあ俺様は八戒たちのところに行ってきます!ついでになんかうまそうなもの貰ってきますよ。玉龍、お師匠様の面倒頼んだぞ」
「はーい!」
「ありがとうございます、悟空」
顔色が良くなった玄奘に安心して、孫悟空は猪八戒と沙悟浄のところへ向かったのだった。
(悟空、玉龍……それから八戒と沙和尚。皆がいてくれてよかった。私一人で人参果を見ていたら、多分正気を保てなかった……)
玄奘は杯の中の水を眺めてそう思ったのだった。




