【百八十八 しょうもない試練の後の、朝】
瑤姫は猪八戒に対する准胝観音の独占欲を感じ、ニヤニヤと笑った。
「あらあら、首輪だなんて言っちゃって……」
「何だ、瑤姫?」
「いえいえ、何でも?」
恥ずかしそうな准胝観音にジトリと視線を向けられ、瑤姫はクスクス笑った。
「さて、帰るか。またな、仔豚」
准胝観音は気絶する猪八戒に布団をかけ、彼の鼻に少し触れてから箱庭を後にした。
「まったく、准胝ちゃんたらお灸を据えるなんて言っていたのに全然じゃない。あーあ、私も楊氏に会いたくなっちゃった。冥府に寄ってから帰ろうかしら」
「たまにはいいんじゃないか?」
雲の上でうんと伸びをして言う瑤姫に、准胝観音は興味なさげに相槌をうつ。
「あら、ねぇ准胝ちゃん、そういえばこのまま西に行くと、玄奘様たちは万寿山の鎮元大仙のところに行くのではなくて?」
瑤姫が思い出したように言った。
「うん?ああ、そうか、そういえば大仙のお住まいはこの辺りだったか」
准胝観音もそういえば、と口元に手を当てて思い出した。
鎮元大仙とは、崑崙の元始天尊と太上老君と並ぶ力の強い三大仙人のうちの一人で、物好きなところがあり今は人間の世界で48人の弟子と暮らしている。
その彼が人間界で暮らす拠点に選んだのが万寿山で、そこに五荘観と言う住まいを作って暮らしている。
「一応、玄奘たちが通るなら挨拶がてら鎮元大仙にも連絡しておくか……妾もずっとあのお方には連絡を取っておらなんだからな。それに、あの猿たちが万寿山で何かをやらかさないとも限らんしな……」
近くを通りますのでと断りを入れておくのもよいだろう、と准胝観音は筆を取り出すと、鎮元大仙への言伝を紙に書き記した。
「疾!」
そして准胝観音が鋭く唱えると、紙は鳥になって万寿山へと飛んで行った。
「まあ、こんなしょうもない試練の後だ。玄奘を少しのんびりさせてあげるのも悪くないだろう。釈迦如来様もきっとお赦しになる」
そう呟くと、准胝観音は瑤姫と共に天界へと戻っていったのだった。
翌朝、玄奘が目覚めたそこは荒れ寺だった。
「あれ、私たち……こんなところに来ましたっけ……?」
曖昧な記憶に玄奘が首を傾げながら起きると、周りには猪八戒以外の弟子が玄奘を取り囲むようにして眠っていた。
不思議なことに、荒れ寺で野宿をしたわりには旅の疲れも癒え、いつもよりたくさん歩けそうな、活力に満ちた朝だった。
「八戒は……?」
「お師匠さん!!」
そこへ、勢いがつきすぎてぼろぼろの扉を壊しながら猪八戒が入ってきた。
「お師匠さん!悟空ちゃんたちも!ここにいたぁ……よかったー、オレ一人で置いてかれたとおもったよ〜」
「朝からいきなりなんだ八戒、離れろ」
玄奘に抱きついて半泣きの猪八戒を、寝ぼけまなこの沙悟浄が引き剥がす。
「うーん、なぁに、うるさいよぉ……オジさんたち何時だと思ってるのさ……オジさん過ぎて早起きオジィちゃんになっちゃったの?」
「いやお前のほうがジジイだろ……」
目をこすりながら嫌味を言う玉龍に、騒動で目を覚ました孫悟空が、あくびを噛み殺しつつ呆れて呟いた。
「ねぇオジさん、それよりもお腹すいたよ!朝ご飯!!」
「わーったわーった!ちょっと待ってなさいねー!今ならオレ、とっても素晴らしい朝ごはんつくれそうだから!」
任せなさい、と胸を叩いていう猪八戒の胸元に、橙色の小ぶりの石が輝く首飾りがあった。
「あれ?オジさんそんなのつけてたっけ?」
めざとく見つけた玉龍が猪八戒に訊くと、猪八戒は嬉しそうに首飾りの石を摘んだ。
「これ?あのねえ、えへへ、昨夜久しぶりに准胝ちゃんが夢に出てきてね。これをくれたんだ〜!彼女の耳飾りの石だよ」
「それはよかったですね、八戒」
「はい!」
「うん?そこにあるってことは、それって夢じゃなくてほんとにジュンテーさんオジさんのとこに来たんじゃん」
「全然気づかなかったな。て言うか昨日のこと俺様全く思い出せねえんだけど……」
玉龍と孫悟空は顔を見合わせて首を傾げた。
玄奘たちは烏斯蔵国で卯ニ姐の骨のかけらを身につけようとしてて怒られしょげていた猪八戒を覚えていたので、嬉しそうな猪八戒の様子を微笑ましく思った。
「准胝観音様と八戒は何か関係があるのですか?」
ただ一人、事情を知らない沙悟浄は玄奘に訊ねる。
「ええ、それは──……」
「おシショーサマ、話が長くなるからご飯食べながらにしようよ!」
経緯を話そうとした玄奘を遮り、玉龍が空腹で限界だと言う。
「わかったよ、今すぐ用意するから待ってろ!
ほら、悟浄ちゃんと悟空ちゃんも手伝ってくれ。玉龍ちゃんはいつも通り火を頼むぜ」
「まかして〜!」
そうして、協力して食事の準備を始めた弟子たちを玄奘は微笑ましくみていたのだった。




