【百八十六 医生 准貞観と護士 芙蓉】
その時。
騒然とする玉瑞館の食堂の扉が勢いよく開かれた。
入ってきたのは黒髪に橙色の瞳をした、端正な顔立ちの男性だった。
藍色の袍衣の上には医生の証である白衣をまとっている。
「あ、あなたは……?」
「私は医生の准貞観だ。急患だと聞いた。患者はどこにいる」
戸惑う玄奘の問いに名乗った准貞観は、名前でわかる通り准胝観音が変化した男性医生だ。
箱庭型模擬遊戯宝貝では性別も自由に選べる、ご都合主義万歳の高性能宝貝なのだ。
「えっお医者さん?いきなり……どうして?」
玉龍は驚いて立ち上がった。
准胝観音は、玉龍の足元にほんのり赤ら顔で横たわる猪八戒を見つけ駆け寄った。
まだ酒気が抜けきっていないのだろう。
「彼だね。あとは私に任せて、君たちは部屋で休みなさい」
そう言う准胝観音に玄奘は食い下がった。
「いえ、彼は私の弟子です。私にも何かお手伝いをさせてください!」
「大丈夫だよ。君は休んで私に任せなさい」
准胝観音は玄奘の肩に手を置いて、安心させるように微笑んだ。
「センセェ、遅くなりましたぁ〜!」
急に聞こえてきた、甲高く緊張感のない声に准胝観音はひっくり返りそうになった。
そこには看護師の格好をした瑤姫がいたのだから。
てっきり箱庭の外から見守ってくれているのだと思ったが、おもしろいことが大好きな瑤姫が大人しくしているわけがなかった。
「よ、瑤……むっ?!」
「護士の芙蓉です!先生、患者さんは?」
瑤姫は准胝観音の口を手のひらで塞ぎ偽名を言うと片目を瞑った。
(瑤姫、なぜ来た!)
(だってぇ、面白そうなんですもの。うふふ、どう?この護士服。慌てて箪笥から出して支度してきたのよ)
(なんでそんな服を持っているんだ!)
(その昔楊氏とちょっと……ってやぁだ!何言わせるのよ!)
ヒソヒソと二人で話し合い、瑤姫は照れて准胝観音の背中をバンと叩いた。
「痛た……ん、オホン、という事で、ここは我々に任せて君たちは休みなさい。女将さん、治療のために一部屋あけていただけないだろうか」
「かしこまりました」
廉黒曜たちは自分たちの持ち主であるの瑤姫の出現に察したようで、大人しく指示に従った。
「さあお坊様方もこちらへ」
「で、でも」
心配そうな玄奘と、胡散臭そうな視線を准胝観音と瑤姫に向ける彼の弟子たち。
准胝観音は玄奘の肩を抱き、弟子たちの元へと運んだ。
「朝になれば彼は良くなるから、何も心配せずお休み」
「はい……」
准胝観音が囁いた途端、玄奘は目をトロンとさせて頷いた。
まるで何かの暗示にかかったかのように。
「お師匠様?!やいてめえ、お師匠様に何しやがった!」
「お師匠さま?しっかりしてくれ!」
「くそ、玉龍、お師匠様を頼む!悟浄、やるぞ!」
玄奘の異変に気づいた孫悟空と沙悟浄が間にはいり、戦闘体制に入る。
准胝観音は事態がどんどんややこしくなってきたので、箱庭に入ったことを後悔した。
「あれ、んん?ねぇ待って、あのオイシャサンって……」
「患者の前だよ、静かにしてくれたまえ」
一人だけ准貞観の正体に気づいたらしい玉龍の口を、准胝観音は指でおさえ視線を合わせていう。
「うん……わかった」
その途端、玉龍も玄奘と同じく虚な目をして返事をした。
「玉龍?!」
「っ、この!」
様子がおかしくなった玉龍に、孫悟空と沙悟浄が准胝観音に飛び掛かろうとした。
「君たちも、お師匠様から離れるんじゃないぞ。いいね」
二人の攻撃を軽々とよけ、唖然とする孫悟空、沙悟浄にも准胝観音はそういって視線を送った。
「……は……い……」
すると、あんなに戦意をむき出しにしていた孫悟空と沙悟浄も、虚な表情でだらんと手を垂らし、素直に返事をした。
「では、この患者を部屋まで運んでくれ」
准胝観音が言うと、孫悟空と沙悟浄は無言で頷いて猪八戒を用意された別室に運び出した。
「ご苦労。あとは任せて。いいね」
「はい……」
「まあ……洗脳……?」
あまりに玄奘たちが素直にでていったので、瑤姫は目を丸くした。
「人聞きの悪い言い方をするな。暗示をかけただけだよ。朝が来る頃にはこの箱庭での出来事は忘れている。それよりも……」
准胝観音は横たわる八戒のそばに座った。




