【百七十一 猪八戒、苦しむ河伯の姿にかつての自分を重ねる】
誰かに謝罪する言葉を延々と繰り返し、悲しげに顔を歪める河伯に、猪八戒はかつての自分を思い出していた。
「なあ、あんたずっと謝ってるけどさ、あんたの大切なひとは、あんたをそんなにも苦しめたいのかな……」
猪八戒の問いかけに、河伯が顔を上げギロリと睨みつけた。
「貴様に何がわかる!」
「わかるさ!オレも……そうだったから」
猪八戒は妻だった仙女の卯二姐が衰弱していくのをみていることしかできなかった。
彼女が亡くなって、骨となってもそばに居てほしくて、猪八戒は祭壇にお骨を残し続けた。
祭壇に線香を焚いて手を合わせるたび、卯ニ姐
に謝って、後悔に自分を責めていた。
だが猪八戒は彼女から託された役割を全うすることで、なんとか生きてきた。
「助けられなかった後悔も、その骸をずっとそばにおきたい気持ちも、自分を責め続ける苦しさも、オレは知っている」
そう言いながら、猪八戒が河伯の首飾りに手をかける。
《やめて、外させないで、やめて!》
《ずっと一緒にいてくれるんだよね?!》
《またおいらを置いていくのかい?沙和尚!》
幼い声、青年の声、初老の声。
様々な声色が混ざり合い、言葉が河伯の頭の中を飛び回る。
「ぐうっ……」
頭の中で響く、河伯を責める言葉はだんだんと語気を強めていく。
《薄情者!》
《このヘタレ!どヘタレ!》
《モチ野郎!》
「うああああっ!」
河伯が絶叫すると、頭蓋骨から瘴気が溢れ出てくる。
霊吉結界と玄奘、恵岸行者の呪文で薄まっていたはずの瘴気はどんどん濃さを増していく。
これは瘴気と河伯の感情が同調してきているためだろう。
いくら呪文と結界で瘴気を抑えても、河伯自身の感情が後ろ向き過ぎればなんの意味もない。
このままでは河伯は瘴気に取り込まれてしまい、救うことができなくなる。
「おっと、やべえな……」
あまりの量に、思わず猪八戒は首飾りから手を離し後ずさった。
頭蓋から飛び出た瘴気は、自分たちを消そうとする玄奘たちを見つけてそちらへと向かう。
瘴気はまるで放たれた矢のように素早く飛んでいく。
「は、早すぎて追いつけねぇ……!」
後を追おうと思った猪八戒だったが、河伯が暴れないように押さえつけるため、彼の側を離れるわけには行かなかった。
「やれやれ……喝!」
それまで印を組み目を閉じ集中していた霊吉菩薩は、危機を察したのか素早く印を組み替え一喝した。
あたりを覆う結界から縦横無尽に光の槍が突き出し、瘴気を貫き消し去っていく。
「チチッ!」
「おりゃっ!」
「フンっ!」
また、地上では黄風大王が瘴気を風で切り裂き、虎先鋒は槍を振るい、孫悟空は襲いかかってくる瘴気を如意金箍棒を振り回し叩き落としていく。
だがそれでも、わずかな瘴気が奮戦する三人をすり抜けて飛んでいく。
「恵岸、護れ!」
空から全体を把握している霊吉菩薩が短く、鋭く指示を出す。
「疾っ!」
恵岸行者は呪文の合間に宝剣を放ち、飛んでくる瘴気を次々と消していく。
だがそのうちの瘴気のひとかけらが玄奘へ飛んでいってしまった。
「玄奘君!」
「えっ?!」
逃げて、と叫ぶ恵岸行者の声にハッとして玄奘が目を開けると、黒いモヤとなった瘴気が目の前を漂っていた。
「お師匠様!」
「お師匠さん!」
「おシショー様っ!」
黄風嶺に弟子たちの悲鳴がひびく。
(逃げなければ……っ!)
そうは思ったものの、玄奘は咄嗟に体を動かせず、立ち竦んでしまった。
そうしている間に、瘴気は広がり玄奘をその中に飲み込んでしまったのだった。




