【百六十六 玄奘、霊吉菩薩と対面する】
怒りに任せた河伯の一撃は容易に見切ることができ、猪八戒は釘鈀の柄でそれを受け止めた。
避けることもできたが、噂の捲簾大将の一撃を体験してみたかった猪八戒はあえて受けた。
それは痩せ細ったその体からは想像もできないほどの重い一撃だった。
猪八戒は釘鈀を握る手に痺れを感じながらも、至近距離にある河伯の顔を見上げて口角を上げた。
「へえ、その程度?」
「くっ、生意気な!」
猪八戒の強がりに気づかない河伯はグッと体重をかけて押し切り、降妖宝杖を薙いだ。
猪八戒も負けじと釘鈀を振るい、河伯の攻撃を相殺させていく。
強い力と力がぶつかり合い、黄風嶺一帯に雷のような轟音が轟く。
「なんなんだよ、河伯はどうしちまったんだよ……!」
二人の激しい打ち合いを目の当たりにした孫悟空は困惑しながら呟く。
「沙和尚……八戒……」
玄奘は二人から目を逸らすことができず、ハラハラしながら黄風大王を抱きしめた。
「悟空、あの二人を止めることはできませんか?」
「無理ですよ!流石の俺様もあそこには入れませんて!」
あまりの迫力に孫悟空も尻込みし、尻尾もだらりと下がっている。
「なんじゃ騒々しい。何が起きている!」
そこへ、ふわりふわりと彩雲が浮き上がってきた。
彩雲からは見慣れない少年が耳を塞ぎながら降りてくる。
赤髪を結い上げた少年は、観音菩薩と似たような衣装を身に纏っている。
「ふむ、どうやら捲簾大将の記憶がおかしくなっているようだのう。それを猪八戒とやらが食い止めている、違うか?」
耳を塞ぐ少年に、ヌッと現れた巨大な金龍が言う。
「さすがです!八爪金龍様にはなんでもお見通しなんですね!!」
言い当てた八爪金龍に玉龍が目を輝かせて言った。
「ははは!なるほど、それはこまったのう!ふむふむ、さてワシはワシの用を済ませるか」
大して困った様子でもなさそうに言いながら、少年は玄奘の方へと近づいてきた。
(どなたでしょうか……?)
その少年に玄奘はどこか懐かしさを感じて首を傾げた。
「金蟬子よ久しぶりだのう!いや、今は玄奘だったな。ワシは霊吉菩薩じゃ。お主の抱いておるその黄貂に用があってきた」
少年は片手をあげて豪快に笑い、人懐こそうな笑みを浮かべた。
「黄貂……?」
聞き覚えのない名に玄奘は首を傾げた。
「今は黄風大王と名乗っているその妖怪じゃ。こやつはワシの弟子みたいなもんでな」
霊吉菩薩が指した先は玄奘の袈裟の中。
ここには黄風大王がいる。
霊吉菩薩はあっという間に玄奘に近づき、その袈裟の内側に匿われている黄風大王を探り当てた。
「おい、黄貂や。起きよ」
霊吉菩薩は黄風大王の頬をペチペチと叩く。
「ちょ、やめてください!この方は大怪我を……」
玄奘は霊吉菩薩の手を押しのけ、黄風大王を守るように着物の袖で隠した。
「ふむ、起きぬか。八爪金龍、こいつを癒してやってくれ」
「あれは良いのか?」
八爪金龍は河伯を指差して霊吉菩薩に尋ねる。
「うむ。あれには適任がおるからな」
八爪金龍の問いかけに、霊吉菩薩は意味深に玄奘へ視線を投げかけた。
「そうであろ?恵岸」
「その通りでございます」
次いで現れたのは茶色い髪の毛を結い上げた、菫色の同服を着た行者だった。
「やあ、弟弟子くん。確か君とはまだ会ってなかったよね。初めまして。自分は観音菩薩の弟子の恵岸。どうぞお見知り置きを」
恵岸と名乗った行者はそう言って頭を下げた。




