【百六十五 猪八戒、河伯を煽る】
困惑した様子の河伯は、ゆっくりと首から下げた頭蓋に触れそして玄奘を見つめた。
二人の間に流れる、しばらくの静寂。
静けさの中、玄奘は怒りと悲しみの混ざった表情で河伯を見つめ続けた。
ようやく河伯は何かに気づいたのか、唇を戦慄かせ体を震わせ始めた。
「は、はぁ、はぁ……うそだ、馮雪、嘘……っ!」
河伯の呼吸がだんだん荒くなる。
「ちょ、これ河伯大丈夫かよ?!」
孫悟空はどうしていいのか分からず、河伯と玄奘を交互に見てあたふたしている。
「馮雪、ああ……馮雪……っ!」
河伯は両膝をつき、頭蓋の一つを抱え込んだ。
河伯が抱え込んだ頭蓋と残った八つのの頭蓋からブワッと瘴気が溢れ出し、河伯を包み込んだ。
「お師匠さん下がって!おい悟空、しっかりしろ!」
「ぐえっ!!」
猪八戒は駆け出し、河伯の様子にあたふたしている孫悟空の襟首を掴み、後ろへと放り投げた。
猪八戒は釘鈀を構えて背中に孫悟空と玄奘を庇う。
ただならぬ様子の河伯と猪八戒に、玄奘は素早く黄風大王を錦襴の袈裟の中に匿った。
「悟空、お師匠さんのことはお前にまかせた。オレは!」
「うぉおおおおお!」
猪八戒が叫ぶと同時に河伯は天を仰いで咆哮した。
絶叫ではなく、咆哮だ。
それと同時に九つの頭蓋から溢れ出た瘴気の塊が四方八方に散らばる。
猪八戒が孫悟空たちに向かって飛んできた塊を釘鈀で撃ち落とすが、全てを防ぐのは難しい。
「悟空、討ち漏らしたのは頼んだぞ!」
「えっ?ちょ、わっ!」
孫悟空は慌てて如意金箍棒を振り回すが、慌てているので狙いが定まらない。
そのうちの何個かが孫悟空の隙をついて抜けていく。
「おシショーサマ!」
そこへ玉龍が飛び込んできて、人型に変化すると如意宝珠を使い結界を作った。
結界にぶつかった瘴気は、パシッと破裂音を立てて消えていった。
「はー、間に合ったあー。もーゴクウ、どうしたの?しっかりしてよ!」
「わ、悪い……助かったぜ玉龍」
玉龍にたしなめられ、孫悟空は頭をかいて謝った。
一方、河伯は目の前に立ちはだかる猪八戒を睨みつけた。
そんな河伯の視線も猪八戒は不敵に笑ってかわす。
(こいつが女の子たちがいつも噂していた捲簾大将か。一度手合わせしてみたかったんだよな)
猪八戒はそんなふうに考えていた。
天女、仙女たちから黄色い声と熱い視線を受けている近衛として、河伯は男たちから別の意味で有名だったのだ。
(オレの方がイケてると思うけどなあ……)
痩せこけた体にぼろをまとった河伯の姿をまじまじと見ながら、猪八戒が自意識過剰なことを考えていると、河伯は降妖宝杖の柄を地面に打ち付け音を立てた。
「キサマ、邪魔だてするか!」
苛立ちを隠しきれない河伯の語感は鋭い。
猪八戒は腰に手を当ててため息をつきながら頭をかいた。
「いんや?邪魔だなんてとんでもない」
「ならばそこを退け!」
「退かない。オレは一度アンタと手合わせしてみたかったんだ」
「俺のことを知っているのか?俺はお前を知らぬぞ!」
河伯の言葉に猪八戒は小さく「だろうな」と呟いた。
そして釘鈀を構えて言う。
「オレはかつて天蓬元帥だった猪八戒だ。天の近衛、捲簾大将とお見受けする。いざ尋常に、勝負!」
「天蓬元帥?天の川の番人風情が、天の近衛たる捲簾大将に敵うわけが無かろう!」
釘鈀を構えて言う猪八戒を、河伯は鼻で笑った。
「いや〜、それはやってみないと分からないんじゃないかな?今のアンタはまともじゃなさそうだし、オレに少しくらいの勝機はありそうだけど」
「ほざけ!」
猪八戒が煽ると、河伯は激昂して素早く距離を詰め、降妖宝杖を振った。




