【百六十四 玄奘の叫び、河伯の絶望】
孫悟空が觔斗雲から飛び降りると同時に振り下ろされた如意金箍棒は、真っ直ぐに河伯の脳天を狙う。
「そんな見え透いた攻撃が当たるか」
さすが玉皇大帝の近衛をしていたことがあるだけあり、河伯は孫悟空の打撃を一歩動いただけでひょいと躱した。
「お師匠さん、大丈夫かい?」
孫悟空に次いで降りてきた猪八戒は玄奘の元へ急ぎ、背後に匿う。
現れた弟子たちに玄奘は、ほっと安堵しその場にへたり込んだ。
「一体何があったんです?なぜあなたが黄風大王を抱き抱えて……あちらに虎先鋒も倒れていますけど……?」
「黄風大王さんと虎先鋒さんは私を守ってくれたんです」
彼らが敵だと誤解されたくなくて、玄奘は自分が連れ去られてからのことを簡単に説明した。
「ああ、なるほど……わかりました。玉龍ちゃんもこちらに向かっています。その怪我をした奴らも如意宝珠で治してもらえるでしょうから安心してくださいね」
状況を理解した猪八戒は、持っていた薬草などを使って黄風大王と虎先鋒の応急手当てをした。
「ありがとうございます」
猪八戒の手当てのおかげなのか、険しい顔でうなされていた二人の表情は和らいだようにも見え、玄奘は喜んだ。
一方、河伯と対峙する孫悟空は険しい表情を崩さずに怒鳴った。
「おい河伯!テメーこんなところで何してやがんだ!!お師匠様を傷つけようとするならいくらお前でも許さねえからな」
振る攻撃を全てかわされてしまい、頭に血が昇った孫悟空は地団駄を踏む。
河伯は、そんな孫悟空に対して呆れたよう肩をすくめてため息をついた。
「俺は妖怪に攫われた馮雪を助けにきただけだ」
「馮雪?誰だそりゃ」
効き慣れない名前に孫悟空が首を傾げる。
「あそこにいる人間だ。彼は俺の大切な友人の馮雪なんだ」
孫悟空は、河伯が示した先にいる玄奘の姿を見て、もう一度河伯に振り返った。
「え?あのお方が馮雪だって?」
二度三度と河伯と玄奘を交互に見て、目が回りそうになった頃、ようやく孫悟空は河伯の言う馮雪が玄奘のことであると理解した。
「は、はあ?何言ってるんだ?あの方は玄奘って言う坊さんで、今は俺様のお師匠様だぞ」
「馮雪がお前の師匠、だと?」
「そうさ。しかも、俺様は一番弟子なんだぜ」
孫悟空は誇らしげに胸を張って言う。
「馮雪が弟子など取るものか。彼は次期阿千村の村長になるものだぞ」
「あ、阿千村?村長??何言ってんだよ河伯。お師匠様の姿をよく見てみろよ。どこが村人の格好してるんだっての。どっからどう見ても坊さんじゃねえか」
「確かに……なあ馮雪、その姿はどうした。この前祝言を上げると言っていたではないか。それなのに出家したのか?阿千村はどうするのだ?」
河伯は玄奘に問いかける。
玄奘の脳裏に夢で何度も見ていた祝言の夜に襲撃を受けた記憶が蘇り、その記憶の生々しさと悍ましさに思わず息を呑み、唇を強く噛んだ。
「ですから、私はもう馮雪ではないのです!あの祝言の夜、阿千村は鮮卑の襲撃を受け滅び馮雪も亡くなったのですから!」
そして語気を強めて大声で河伯に言う。
もういい加減にしてくれというように。
玄奘の声の大きさに、孫悟空も猪八戒も驚いて目を丸くしている。
「亡くなった……?馮雪が、亡くなっ……?」
河伯は呆然として呟き、大きな目を見開いて玄奘を見つめた。
「ばかな、だってお前はちゃんと目の前に……」
玄奘は抱いていた黄風大王を猪八戒に託して立ち上がった。
「私が馮雪ではないとあなたはちゃんと知っているはずです。あなたがその首に下げている九つの頭蓋骨のことを!目を逸らさないで、瘴気に惑わされないで、思い出してください!」
玄奘は両拳を握り締め、肩で息をついて言い切った。




