【百六十一 戻しそびれた瑠璃の皿】
背後からは、黄風大王と虎先鋒の息のあった金槌の音が聞こえてくる。
「うん?これは……」
玄奘は、食器類が片付けられている棚の上の隅に、深い青色をした小皿が隠すように置いてあるのに気づいた。
手に取ると、その青い小皿は見た目の割にはずっしりとした重みがある。
「お前、なにしてるッチか!そこに近づくなッチ!」
そこへすごい剣幕で黄風大王が飛んできた。
牙を剥き出し、今にも飛びかかってきそうだ。
「すみません、お部屋は黄色いものでいっぱいなのに、このお皿だけ青い色なので気になって……」
「あーそれは大王様が禅院からパクってきちゃった瑠璃の皿ッスよね」
金槌を振るいながら虎先鋒が言うと、黄風大王
は慌てて首を振った。
「な、なにを言ってるッチか虎先鋒!それは盗んだんじゃなくて、戻しそびれたものだッチ」
「戻しそびれた……?」
首を傾げる玄奘に、黄風大王は説明をする。
「そうッチ。得度のご報告に霊吉菩薩様のいらっしゃる禅院に行った時、綺麗だからちょっと手に取ってみたら色々なことが起こって……」
「そのままパクってきちまったんですよね!」
「だ・か・ら、違うッチ!アチシは戻そうとしたんだッチ!でも、でも……」
黄風大王は俯いたまま肩を震わせた。
「黄風大王さん?」
「禅院には金剛力士っていう怖い奴らがいるんッスよ。大王様はそいつらが苦手なんすよ」
虎先鋒が言うと、黄風大王は唇を噛んで悔しそうに俯いた。
訂正しないところを見ると、虎先鋒の言う通りなのだろう。
「力士というと、つよそうですからね……」
玄奘がそういうと、同意を得られると思ったのか、目を潤ませながら黄風大王が顔を上げた。
「黒風ッチはあんたの、その錦襴の袈裟がすごい守りの力を秘めてるって言ってたッチ。だからアチシもそれがあれば瑠璃の皿を返しに行けると思ったんだッチ」
「黄風大王さん……」
「だから少しだけでいいッチ!その袈裟を貸してくれッチ!アチシは瑠璃の皿を返しに行きたいんだッチ!」
「返しにいくのは偉いですけど袈裟を貸すのはダメです、できません!」
「その袈裟を着たら禅院の金剛力士たちにもバレずに戻しに行けるかもしれないんだッチよ!貸してくれッチ!」
黄風大王はお菓子を買ってとせがむ子どものように、玄奘の裾を掴んでユサユサと揺らす。
黄風大王から上目遣いに潤んだ目で懇願され、そのかわいさに玄奘は思わず頷きそうになる気持ちを堪えながら身をかがめた。
そして、裾を掴む小さな手をやさしく離した。
「それならば一緒に返しに行きましょう。ね?ちゃんと謝れば大丈夫です。霊吉菩薩様に私も一緒にあやまりますから。私の弟子たちにも手伝ってもらいましょう。彼らならあなたを守ってくれますから」
「それじゃあ遅いんだッチ!早く、早く返さないと得度が……!」
「ったくよ〜、あんた、大王がこんなに頼んでいるのに頑固だな!手当てをしてもらった恩義はあれど、こうなったら自分が力づくで……!」
虎先鋒が槍を手にしたそのときだった。
三人の目の前に、一瞬の光が走った。
「なんです今のは……流れ星?」
「部屋の中に流れ星が来るかッチ!何か来る!虎先鋒!!」
「ウス!」
玄奘が首を傾げている間に、黄風大王と虎先鋒は険しい表情で身構えた。
そして次の瞬間、ズズ、と音がして黄風洞の岩壁が斜めにずれて落ちた。
室内は一瞬で屋外になり、岩山を通ってきた風が悲しげな音を立てて通り過ぎていく。
天井の大穴どころではない。壁自体が切断されてしまっている。
「誰ッチ!アチシの黄風洞になにをするッチか……!」
もうもうと煙る土埃の向こうに、月明かりに照らされた人影が見えた。
それはとても大きな人影で、虎先鋒よりも大きい。
やがて土煙が晴れ、月明かりがその人影を照らす。
夜風に波打つ鮮やかな赤い髪の毛。
夜に溶けるような紺色の肌。
その人を見た途端、玄奘は息を呑んだ。
「馮雪を……返せ!」
そこにいたのは、玄奘がかつての生で共に過ごした男だった。
かつて玄奘が馮雪という青年だった頃、沙和尚と慕った、今は河伯と名乗る男だ。




