【百二十三 羂索陣の崩壊】
羂索の光の糸を放っていた五色の旗は倒れ、詠唱も途切れてしまったことで羂索陣は沈黙し、マルティヤ・クヴァーラを縛り付けていた業火は消えてしまった。
「八戒?!」
気がついたら猪八戒にのしかかられていて、重さと苦しさに玄奘は混乱した。
「お師匠さん、陣を壊してゴメン。でもオレがアンタに傷一つつけさせやしないから……!」
十八の齢の平均的な体格の玄奘だが、大柄な猪八戒の体と比べたら小さいもので、玄奘は猪八戒の体の影にすっぽりと収まってしまう。
「いけません、八戒!」
猪八戒は自分を盾にする気なのだと察知した玄奘は慌てた。
「八戒!」
「──っ!」
背後から熱気が迫ってくるのを感じた猪八戒は玄奘を抱きしめ、迫る痛みの瞬間の覚悟をした。
だが捨て身の守りに入ったのは猪八戒だけではなかった。
孫悟空の三体の分身が猪八戒と玄奘を守るように、光の玉の前に飛び出したのだ。
「お前たち……!」
猪八戒と玄奘が驚いている間に、光の玉に飲み込まれた分身たちは白い煙をあげそれを道連れに消滅した。
ちょうどその時、マルティヤ・クヴァーラを追っていた孫悟空たちは、間も無く雲桟堂に着くというくらいの距離にいた。
觔斗雲の速さならすぐに追いつけると思っていたのに、マルティヤ・クヴァーラの執念の凄まじさはそれ以上だったらしい。
マルティヤ・クヴァーラには全く追いつくことができず、孫悟空は焦る気持ちを抑えながら夜空を駆け急いでいた。
「ウッ……グ……!」
突然、孫悟空が呻き声をあげ觔斗雲に膝をついた。
「どうしたのゴクウ、大丈夫?!」
玉龍は見たこともないほど蒼白な孫悟空の顔色に驚き、その背中を摩り如意宝珠を差し出した。
だが如意宝珠は何もすることがないとでもいうように、なんの反応も示さない。
「怪我とか病気じゃないみたいだね……」
だが明らかに様子がおかしい。
孫悟空の蒼白な顔に加え、額には脂汗が浮いていて、呼吸も荒く、肩で息を吐いている。
少し経つと、孫悟空は大きく深呼吸を何度かして額の汗を拭い、口を開いた。
「俺様の分身が……三体とも消えた」
「えっ、それおシショーさまヤバいんじゃ?!」
「……急ぐぞ!」
ヨロヨロと立ち上がる孫悟空を玉龍が手助けし支えると、再び觔斗雲は夜空をかけだした。
羂索陣の業火から解放されたマルティヤ・クヴァーラはふらつきながら血を吐いた。
「ガフッ……グルルゥ……」
それが大地に吐かれると、ジュッと音を立てて土が溶ける。
「お師匠さん、大丈夫、ですか?」
「ええなんとか……でも悟空の分身たちと羂索陣が……」
玄奘が残念そうに祭壇を見て言うと、猪八戒はその両肩に手を置き首を振った。
「大丈夫です。羂索陣は無くなりましたが、あの業火で奴にはかなりの深傷を負わせられたはず。あとはオレたちが行きます」
そう言って、膝についた土を払いながら立ち上がった猪八戒は、落ちていた釘鈀を拾うとマルティヤ・クヴァーラに向かい駆け出した。
「うらぁ!」
そして、まだ血を吐きながらよろめいているマルティヤ・クヴァーラの頭めがけて釘鈀を打ち下ろす。
どうっという轟音と、風圧が木々を揺らす。
マルティヤ・クヴァーラは地面に倒れた。
その大地は丸くくぼみができている。
『八戒さん、私も参ります!』
腰に下げた曲刀を抜くと、ルハードもまた、倒れ込んだマルティヤ・クヴァーラに飛び掛かった。
ルハードが狙うのは毒針を放つ蠍の尾。
硬い甲殻に覆われたそこに、曲刀の一撃をおみまいした。
「グウウ、グアア!」
蠍の尾は綺麗な断面を露わにして切断され、赤黒い血飛沫と共に大地に転がる。
『お前を倒すため、刃を研ぎ続けてきた甲斐がった』
『オノレ、オノレェ!!』
立ち上がったマルティヤ・クヴァーラは悔しさに顔を歪め、太い前足を地団駄をするように踏み鳴らした。




