55・帰る場所
残っていた聖騎士たちが、屋敷の敷地から引き上げていく。
ルイスもいつの間に帰ったのか姿が見えず、気づけば私とクラウス様だけが残されていた。
「……レティノア」
門の方で城へと向かう聖騎士団の影を見送っていたクラウス様は、私の方へ振り返った。
そのままこちらへと近づいてくる。
私を見つめるクラウス様の琥珀の瞳には、怒りとも悲しみともつかない感情が揺れているように思えた。
「……それで、それは誰にやられた」
クラウス様の低く落とされた声に、私が全身傷だらけだったことを思い出す。
だが、この怪我は自分が選んで窓から落ちた結果だ。誰のせいでもない。
私は慌てて首を左右に振った。
「ち、違います! 私が自分で窓から落ちたんです! クラウス様の姿が見えて……逃げるなら今しかないと思って……」
必死で言い訳のように言葉を重ねる。けれど、クラウス様の瞳から怒りのようなものが消えた代わりに心配の色が濃く残ったのがわかって、私の声はどんどん小さくなってしまった。
「……そうか……あなたは勇気があるな。だが、痛々しい」
(……この人は、私の痛みを自分のことのように思ってくれているのね)
クラウス様こそ、自分の傷には無頓着だったのに。お互い、相手の傷には心を痛めるなんて、不思議なものだ。
「……大丈夫ですよ。治せますから」
私は少しでもクラウス様を安心させたくて、自分の傷にそっと手を当てた。
目を瞑って、意識を集中させると、私の手のひらから淡い光が広がっていく。光がなぞった部分から次第に傷が消えていき、痛みが引いていった。
「……確かに、あなたには治癒の力があるのだろうが……」
クラウス様の声に私は顔を上げる。
クラウス様はいまだ、悲痛そうに眉根を寄せて私を見ていた。
「……それは生きていたらの話だ。もし打ちどころが悪かったら、取り返しがつかないことになっていたかもしれない」
「……それは」
私は返す言葉がなかった。
窓から落ちると決めた自分の判断が間違っていたとは思わない。
あの時は、あれしかもう思いつかなかったのだ。
「……あなたは自分のことを軽んじすぎている」
しかし、クラウス様の言葉や視線から私の身を案じていることが伝わって、私の胸の奥がじんと傷んだ。
「俺がどれだけあなたを心配していたか、あなたには分からないだろう……」
クラウス様の声は、かすかに震えているように思えた。
クラウス様は静かに私へと腕を伸ばすと、私の体をそっと抱きしめた。
「く、クラウス様……っ?」
クラウス様の胸元に頬が当たる。体温とともに心音が伝わってきて、居残っていた私の不安や緊張を溶かしていく。
「頼むから……。俺が大切に思っているあなたを、もう少し自分でも大切にしてくれ」
「……ごめんなさい」
絞り出すような声で告げられて、私はただ小さく頷くしかなかった。
自分の行動がクラウス様を傷つけていたと理解してしまったのだ。
「……それから、あなたのご両親の事だが」
クラウス様が躊躇いながら口にしているのが、声から伝わってきた。
きっとクラウス様は、少なからず責任を感じているのだろう。仕事とはいえ、私の両親とミレシアの罪を暴き、国王陛下へと引き渡したことを。
……優しい人だ。
「……王命だとわかっています。それに、私は両親やミレシアがしたことは、許されてはならないと思っています」
私では、真実を暴くことも、止めることもできなかった。
クラウス様やルイスがいなければ、何も変えられなかった。
「だから……ありがとうございました」
責める気持ちは微塵もない。むしろ、こちらがお礼を伝えなければならないだろう。
「……ああ」
クラウス様は短く答えると、そっと私の髪へ手を伸ばした。
指先が、くすぐるように私の髪を撫でる。
優しい触れ方に、ふわりと胸の奥が暖かくなっていく。
やがてクラウス様は私の前髪をかき分けるように触れると、額へ静かに唇を落とした。
「……あなたのことは、俺が必ず守ろう。これまでも、これからも。必ずそばにいる」
まるで誓いのようなクラウス様の言葉が染み込んで、胸がいっぱいになる。
私はこの温かな気持ちを伝えたくて、微笑みを返した。
「……はい。私も、クラウス様のことを……ずっと、お守りしますね」
クラウス様は小さく頷くと、少し体を離して私を見つめた。
「……帰ろう、レティノア」
真っ直ぐな、琥珀の瞳が美しい。
私は微笑みながら頷いた。
「……はい」
どちらからともなく手を取りあって、歩き出す。そこに迷いはない。
私の帰る場所は、クラウス様のもとだ。




