48・深まる疑念(sideクラウス)
「……レティノアはどこだ」
クラウスはミレシアへ低く問いかけた。
(まだだ。落ち着け)
昨晩レティノアから聞いたこと。そして、ついさっき前々任者の記録係が語った内容。それらが重なって、クラウスの胸にはミレシアやフランヴェール家への疑いが芽生えていた。
だが、彼らがレティノアになにかをしたという確証はまだ無い。
クラウスは怒りをどうにか押しとどめるように拳を握りしめる。
「お姉様なら実家に帰ったわ」
「なぜだ」
クラウスの態度にも動じることなく、ミレシアは笑顔を浮かべたまま言葉を重ねた。
「だあって、クラウス様にふさわしくないでしょう? だから帰ってもらったの! お姉様は地味だし、つまんないもの。それに比べてあたしの方がかわいいし、明るいし、気立てもきくわ。こう見えて、夜の振る舞いも心得てるのよ?」
まるで歌うような甘い調子で、ミレシアは語る。
レティノアを侮辱する言葉の羅列に、かっと頭に血が上るのが自分でもわかった。
戦場でさえ感じたことの無いほどの苛立ちだ。
(この女は、妹だろうと絶対に許してはならない)
クラウスにとってレティノアはこの世のすべてだ。彼女のためならすべてを差し出す覚悟がある。
それを貶すということは、クラウスを踏みにじることと同義だ。
クラウスの全身から、怒気がにじみ出る。しかし気づいているのはルイスだけのようで、ミレシアは気にした素振りもなくクラウスへと擦り寄った。
「あたし、クラウス様のこと気に入っちゃったの。ねえ、向こうで2人っきりでお話しない?」
「……レティノアを侮辱する人間と聞く口などない」
低いクラウスの声は、冷たく空気を切り裂いた。
間近で睨みつけると、ミレシアの表情が流石に強ばる。
その一瞬の隙をついて、クラウスはミレシアの腕を再度振り払った。
「あ、おい!」
ルイスの制止も聞かずに、そのまま教会を飛び出す。
フランヴェールの屋敷は、教会からさほど離れてはいない。
脇目も振らずに歩き続けて屋敷へとたどり着いた頃には、あたりは既に夕日が落ち、薄暗くなり始めていた。
「お、お待ちください!」
クラウスの来訪に気づいたフランヴェール家の門番がギョッとした様子で止めに来たが、クラウスは一瞥もせずに通り過ぎた。
玄関扉までたどり着き、ドアノッカーを強く叩く。
「クラウス・グレイフォードだ。開けてくれ。話がある」
門番や使用人が止めにかかるが、クラウスは振り払いながら叩き続けた。
「うるさいわねぇ……。どうされましたの、クラウス様。そちらにはミレシアが行っているはずでしょ」
ようやく開いた扉の先に立っていたのはフランヴェール伯爵夫人だった。
クラウスの姿を見ても、夫人は眉ひとつ動かさない。
「レティノアはどこにいる。今すぐ会わせてくれ」
「レティノア? ああ、ごめんなさいね。あの子は病気なの。お引き取りあそばせ」
クラウスの声は低く、怒気を押し込めていた。
だが、夫人はまるで聞き流しているかのように、わざとらしい笑みを浮かべている。
「そんなわけは無い!」
「ご連絡が遅くなって申し訳ありませんね、クラウス様。あなたの妻は今日からミレシアですわ。レティノアのことはもう忘れてくださいな」
堪えきれずにクラウスが一歩踏み出した瞬間、扉が勢いよく閉められた。
(……くそ、病気なわけがあるものか!)
クラウスたちが教会を出る直前、レティノアは不安そうではありながらもいつも通りだった。
ミレシアやフランヴェール伯爵夫人の様子を見るに、どう考えてもレティノアの意思とは関係なしに連れ戻されているようにしか思えない。
(それに、俺の妻が今日からミレシアだと?)
クラウスの頭の中には、昨夜レティノアから聞いた話が蘇っていた。
昨夜、「もしかしたら離婚させられるかもしれない」とレティノアは震える声で言った。
(それが現実になったというわけか)
そんなことは何があっても認めない。
クラウスの妻は、レティノアだけだ。それ以外の女性なら、そもそも結婚などしない。
(だが普通、離婚も再婚の手続きも踏んでいないのに妹を寄越すか?)
この国では、貴族が関わる婚姻や離婚は王家の承認が必要だ。
しかしこの強引さでは、その手順をきちんと踏んでいるようには思えなかった。
(そもそも俺と聖女の結婚には陛下も噛んでいる。ご存知なのか?)
考えれば考えるほどフランヴェール家の行動には疑問と怒りしか浮かんでこない。
クラウスが再度扉を叩こうとドアノッカーに手をかけたその時だった。
誰かがクラウスの手を後ろから掴んだ。
振り返れば、そこにいたのはルイスだった。
慌てて追いかけてきたのか、息が切れている。
「クラウス、ここは一旦引こう」
「……だが……!」
クラウスは扉を睨みつけたまま、行き場の無くなった拳を握りしめる。
ルイスの声は冷静だった。
「……よく考えろ。今日手に入れた情報は? 俺たちの方がどう見ても優勢だ」
怒りは収まらない。けれど、ルイスの言葉は正しいと理解していた。
残っていたわずかな理性で、どうにか怒りを押さえつける。
「……そんなことは、わかっている」
低く呟いて、クラウスは深く息を吐き出した。
握りしめた手のひらには、爪のあとがくっきりと刻まれていた。




