45・お役御免
クラウス様とルイスが教会を出ていったあと、私の足は自然と礼拝堂の方へ向かっていた。
祈りを捧げることは日課でもある。ざわつく心を、どうにかして鎮めたかった。
ルイスから教えてもらった事実が、あまりにも衝撃的だったからだろうか。
(……それだけじゃない)
……私はなによりも、私の報告が意図的にもみ消された可能性があることに、心の奥を強く揺さぶられていた。
あの報告を意図的に揉み消したとして、利があるのは誰なのか。
報告書を書き換えて得をするのは誰なのか。
私の頭で少し考えただけでも、該当する顔が思い浮かんでしまった。
(……まさか、うちの親とミレシアが何かしたっていうの?)
公文書を書き換えることや虚偽の報告をすることは、れっきとした罪だ。
罪を犯すほど落ちぶれてはいないと思いたいが、いかんせんあの親だ。否定しきれるほどの信用を私は彼らに抱いていなかった。
聖女像のまわりへキャンドルを並べて、私は一人跪く。
(初代聖女・エルティアナ様。どうか、この国が今日も平和でありますように。……そして、何事もなくクラウス様たちが――)
祈りの言葉を心の中で繰り返していた、その時だ。
教会の入口の扉が乱暴に開かれる音がして、私ははっと顔を上げた。
振り返るとそこには父と継母、そしてミレシアが立っていた。
彼らの後ろでは、困惑した様子の聖騎士たちがおろおろとこちらの様子を伺っている。
「ふ、フランヴェール伯、突然どうされたのですか……! 無理に押し入るようなことをされては――」
意を決したように、聖騎士の一人が声を上げた。
どうやらうちの両親たちは、無理やり押し入ってきたようだった。
「ええい、やかましい! お前たちは外に出ていろ!」
「しかし……」
騎士が何か言いかけていたが、父は最後まで聞かずに教会の扉を閉じた。
「……突然、どうされたのですか」
この人たちはこれでも、歴代の聖女を排出してきたフランヴェール家の人間のはずなのに。初代聖女を祀るこの場への敬意すら持ち合わせていないのだろうか。
礼拝堂の静けさを乱すように割り込んできた三人に、私は警戒しながら見つめた。
「まずは、昨日ミレシアが家に戻ってきたことを報告しようと思ってね」
父は場違いなほどに嬉しそうな笑みを浮かべてそう言った。
「お姉様、今までご心配おかけしましたわ」
父の隣に並ぶミレシアも、白々しいほどの笑みを浮かべている。
言葉こそ謝っているが、ミレシアの声には感謝も謝罪の念も何も無い。ただ勝ち誇ったような余裕だけが滲んでいた。
「そういうわけだ。今までミレシアの代わりをご苦労だったな。今日からは今までどおりミレシアが聖女の役目と、それからクラウス殿との婚姻を引き継ぐ。お前はもういいぞ」
父の「もういいぞ」という言葉は、想像以上に私の胸へと突き刺さった。
いつかこうなると、私はわかっていた。
だが、いざその時が訪れると胸の奥がきゅっと縮こまるような痛みを感じた。心も、体も、彼らの言葉を拒否している。
(……呼吸が、苦しい)
長年植え付けられたトラウマのせいだろうか。
彼らが私をすべて否定してくる予感がして、上手く息が吸えない。
「でも、相当立派に務めてくれていたみたいじゃない? ミレシアを差し置いて、陛下にも気に入られたみたいだし……?」
嘲笑うように言う継母の声には、皮肉と嫉妬が混ざっているように思えた。
「だからね、ご褒美をあげなくちゃ。レティノアにはもっとふさわしい縁談を用意してあげるわ。さ、屋敷へ帰りましょ。嫁入りの支度を整えないとね」
「……っ私は、嫌です」
荒くなる呼吸の中、どうにかそれだけは口にした。
だが、私の精一杯の反抗に父はぐわっと目を見開くと、勢いよく私の頬を叩いた。
乾いた音が響き、一瞬何も考えられなくなる。
「お前に拒否権があると思うな! 忌々しい! 私たちの愛するミレシアよりもいい目を見られると思うなよ!?」
「少し、調子に乗っているんじゃないかしら。陛下に褒められて、クラウス様とお似合いだなんて周りからもてはやされたものだから、勘違いしちゃってるのよ」
頬の痛みよりも、心の方がずっと痛かった。至る所を鋭利なもので刺されている気分だ。
父と継母の声が私の胸へ冷たく染み込んで、心がどんどんと冷え込んでいく。
「でも残念ね、クラウス様にはミレシアと再婚して貰うわ。あの子の方がお似合いに決まっているじゃない。レティノア、あなたは華がなくて可愛げのない子なんだから」
「クラウス様もお可哀想にね。こんな地味なお姉様と結婚させられて! でも、あたしと再婚したらきっと気づくわ。お姉様なんかよりも、あたしの方がかわいくて素敵だってね」
「……っ」
私はもう、何も言えなかった。言葉が、喉の奥で凍りついてしまっている。
足が、体が、勝手に震えだして止まらなくなる。
立ち尽くす私の腕を、父が強く掴んだ。
否応なく、教会から連れ出されていく。
ミレシアは教会へ残るようで、教会から出る寸前、継母はミレシアの方へ振り返った。
「ミレシア、しっかりと務めるのよ?」
「はぁい、お母様!」
ミレシアの甘く跳ねた声に、めまいがするような心地だった。ひどく頭が揺れて気持ち悪い。
(――初代聖女エルティアナ様、やはり私の祈りは足りないとでも言いたいんですか。なんですか、この仕打ちは)
泣きそうになりながらエルティアナ様に絡んでしまうほどにやさぐれてしまうことを、今日くらいは許してほしい。
抵抗虚しく引きずられながら、私は初代聖女像を恨めしげに見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
レティノアも両親も出て行った教会で、ミレシアは一人、聖女像へとんと背を預ける。
「クラウス様、まだかなぁ。早く戻ってきてくれないと、退屈しちゃうわ」
楽しげな少女のくすくす笑いだけが、礼拝堂の天井に響いていた。




