39・あたしが捨てたもの(sideミレシア)
ミレシアは、王都の外れの路地をただぼんやりと歩いていた。
アレクシスに別れを告げられた日から、もう一週間以上が過ぎている。
その間、自分が何をしていたのか、どこを歩いていたのかも思い出せない。ただ、気がつけば王都の外れまで戻ってきていた。
きっと心のどこかで、家に帰りたいと思ってしまったせいだろう。
アレクシスもいない。屋敷を出る際に握りしめてきた手持ちの資金もそろそろ底をつきそうだった。
(……変ね。いつもよりも城下が騒がしくない?)
ミレシアは店の間から、大通りの方へ視線を向ける。
城下でもっとも人通りの多い通りが、いつにも増して賑やかな気がする。
いつもレティノアに仕事を押しつけて街へ繰り出していたミレシアにとっては、その賑わいが異様に思えた。
なんだか、人々から熱気のようなものを感じるのだ。まるで、祭りかなにかに向かっているかのような、そんな浮き足立った気配が漂っていた。
(祭りなんて、今日はないわよね?)
疑問を抱きながらも、ミレシアは路地の影からそっと顔を出して様子を伺ってみた。
街の人々はみな、王城の方へ向かっているようだ。
(……ついて行ってみようかしら)
どうせアレクシスもいないし、やることもない。
ミレシアは人々の波に紛れ、歩き出した。
人々の流れに身を任せるようにして歩いていくと、やがて王宮庭園が見えてきた。
庭園を囲む鉄柵の周りには既に多くの人が集まっていて、ざわめきが絶えない。
(……これ、なんの騒ぎなの?)
ざわめきから一歩引いた場所で様子を伺うミレシアの元へ、人々の断片的な会話が漏れ聞こえてきた。
「いやー、楽しみだなぁ! 王妃様の庭園!」
「まさか一般開放してくださるとは!」
「今日の式典って、たしか聖女様が来られるんでしょう? さっき門番の兵士が話していたわ」
(……どういうこと?)
耳に入ってくる言葉一つ一つが引っかかり、胸の奥がざらつく。
(聖女って――)
ミレシアの頭の中には、姉であるレティノアの姿が浮かんでいた。
聖女の仕事も婚姻も、ミレシアは何もかもすべて姉に押しつけて逃げ出してきた。
だから、ここに聖女が来るのならそれは――。
ミレシアがそこまで考えたそのとき、少し離れた位置にいた門番が叫ぶ大きな声が耳に飛び込んできた。
「聖女レティノア・フランヴェール様、並びに聖騎士団長クラウス・グレイフォード様のご到着でございます! 道をお開けください!」
視線を庭園前の道へと向ければ馬車が止まっていた。
教会のものだとひと目でわかった。
「はぁ……なんて、素敵なの……。聖女と騎士……お似合いだわ……」
隣からうっとりとした声が聞こえてきて、ミレシアは心の中ではっと鼻で笑った。
(あの地味なお姉様がだれかとお似合いなんて、そんなことあるわけないじゃない)
そう思いながらも、ミレシアは姉の姿を反射的に探す。
「……っ!?」
姉の姿をようやく見つけて、ミレシアは言葉を失ってしまった。
馬車から降りたレティノアは、クラウスの手を取り、ゆっくりと庭園奥へと進んでいる。
その姿は、確かにお似合いと称されても不思議ではなかった。
(お姉様の隣にいるのって、血も涙もないって噂の騎士じゃないの? どうしてお姉様を気遣うような視線をしているのよ)
姉の隣にいるのは、冷血で血も涙もないという噂のある、恐ろしい騎士のはずだ。
それなのに、遠くからでもはっきりとわかるほど、彼は愛おしそうに姉を見つめ、気遣うように歩を進めている。
二人の姿がまるで絵画のように思えて、ミレシアはめまいがする心地だった。
ひどく胸がざわついて、足元もおぼつかない。
(あたしがお姉様に押し付けなければ、あの視線を向けられてみんなにチヤホヤされてたのはあたしだったってこと?)
そう考えると、はらわたが煮えくり返るようだ。自分のものを取られたことが何よりも腹立たしい。
ミレシアが動揺している間にもレティノアは奥へと進んでいき、気づけば見失ってしまっていた。
だが、すぐに周囲から「祈りが始まるみたいだぞ!」という声があがった。
「ちょっとどいて……!!」
ミレシアは叫ぶと、人の波をかき分けた。一番前までどうにか進んで、柵を握りしめる。
庭園の中央では、レティノアがひざまずいている様子が小さく見えた。
次の瞬間、強く風がふきぬけた。庭園中央から波が広がっていくように空気が変わっていく。
一拍置いて庭園が拍手と歓声に包まれる中、ミレシアはすっかり呆然としていた。
(……なによ、これ)
やがて、レティノアのもとへ国王陛下と王妃殿下がやってきて、何やら談笑を始める。
そのそばには、レティノアを守るようにクラウスが立っている。
(なんで、あたしじゃなくてお姉様の方が幸せそうにしているわけ?)
なんだか自分よりもレティノアのほうが満たされているように見えた。その事が何よりも許せなかったのだ。
(お姉様はずるいわ。あたしが捨てたもので幸せになるなんて)
ミレシアには今、何も無い。
自分が居なくなれば、両親だって考えを改めてくれると思っていたのに、それよりも先にアレクシスに逃げられてしまった。
聖女の地位も、将来有望な聖騎士団長との結婚も――アレクシスと一緒にいるために捨てたはずだったのに。
そこまでいらいらと考えて、ミレシアはふと考えついた。
(ああ、そっか。元があたしのものなんだから、返してもらえばいいのよ! 当然よね!)
拍手喝采に湧く人混みの中、ミレシアは口元をにいと歪めてほくそ笑んでいた。




