37・二人を見る目
クラウス様と湖畔へ出かけた日から、いくつかの朝が過ぎた。
あの日、告白されはしたものの、私たちの関係に大きな変化があったわけではない。
クラウス様はいつも通りだ。
ただ、クラウス様が私を見つめる瞳が、以前よりも幸せそうだから、私も心が温かくなる。
……同時に考えてしまうのだ。この幸せは、いつまで続くのか、と。未来への不安が、常に胸を巣食っている。
(考えても、仕方ないわね……)
ミレシアが未だ姿を見せなかろうと、時間はすぎていく。
私はふうと息を吐き出して、馬車の外を流れる景色へ目をやった。
今日は、王妃殿下が育てられた王宮庭園を一般開放する初日だ。
私とクラウス様は馬車の中へ並んで座り、王城そばにある王宮庭園を目指していた。
クラウス様は私が式典に参加する際の護衛として付き添ってくれることになっている。
「聖女殿、少しよろしいだろうか」
式典へ出席するため王宮庭園へと向かう馬車の中、隣に座るクラウス様が静かに尋ねてきた。
「はい、なんでしょう」
「今日はあなたを、騎士としてエスコートする。その際、俺の手を取ってもらう機会が多くなるだろう」
クラウス様の言う通り、今日の式典で私は常にクラウス様にエスコートされる形になる。
馬車を乗り降りする時だけではなく、ただ歩く時もクラウス様の手を借りる。
私たちが今日参加するのは、略式とはいえ立派な式典だ。私は正式な聖女では無いとはいえ、見栄えや格を重視しなければならない。聖騎士を従えて歩くのは、護衛の意味だけではない。
「……もし俺に触れられるのが嫌なら……」
思ってもいなかったクラウス様の発言に、少しだけ目を開いてしまった。
クラウス様はいまだに気にしているらしい。
(……この人に、私の気持ちって伝わっているのかしら)
先日の湖畔で、クラウス様からネックレスを受け取った。つけて欲しいとお願いした。服の下に隠れてはいるが、ネックレスは今も私の首にかかっている。
あの時はつけて欲しいとねだるだけで精一杯だったが、今になって不安になる。
クラウス様が、私に気持ちを受け取って貰えただけで満足とか考えていそうなのが怖い。
(……一緒にいられる間に、もっと触れて欲しいというのは、わがまま?)
私は式典でのエスコートでさえ、触れ合えることに心が踊るのに。
私が手を借りたいのは、他でもないクラウス様のものだというのに。
「……嫌ではないです。クラウス様の手は……安心できますから」
気にせずにもう少し触れて欲しい、とここで言葉にするのは気が引けた。
言葉をそれ以上続けられなくて、私は黙ったまま視線を膝の上に落とす。
「……そうか」
クラウス様の短い返答が、思いのほか柔らかい響きだったから、余計に何も言えなくなってしまった。
庭園にたどり着くと、入口は既に人で溢れかえっているようだった。
式典の後に一般開放されるはずだが、人々は待ちきれない様子だ。庭園を囲む柵の周りに隙間なく人が並んでいる。
「聖女レティノア・フランヴェール様、並びに聖騎士団長クラウス・グレイフォード様のご到着でございます! 道をお開けください!」
私たちの馬車が庭園前で止まったことに気づいた門番が、庭園奥まで届くほどの大きな声で宣言した。
それを合図に、庭園へと続く重たい鉄扉が音を立てながら開いていく。
歓声の上がる人々の波を、衛兵たちが必死に押さえていた。
(私、一応扱いとしては聖女なのね)
門番の声掛けにいささか驚いてしまう。
国王が認めた本物の聖女はミレシアだ。私がミレシアの代わりをしているだけの偽物だと、陛下側もわかっているはず。
それでも式典という場だからだろう。一応聖女として扱ってくれているらしい。
「……聖女様のお名前って、ミレシア様じゃなかった?」
馬車の外から、人々の戸惑うような声が聞こえてきた。
(……そりゃミレシアの名前を知ってる人は戸惑うわよね)
普段の仕事から私を聖女だと誤解する人もいれば、聖女の名前がミレシアだと知っていて、私を聖女補佐官だと正しく認識している人もいる。
人々の困惑は当然のものだろう。
「でも私、ミレシア様に会ったことないわ。いつも教会にいらっしゃるのってレティノア様じゃない」
「癒してくださるのも、話を聞いてくださるのも、レティノア様じゃないか。だったらレティノア様が聖女だろ」
だが、いつの間にやら人々は納得した様子で、再び私たちに歓声を向けていた。
(……なんか勝手に納得されている……。思いのほか私に人望があったことに喜べばいいのか複雑だわ……)
クラウス様は馬車の扉を開けると、先に降りて跪いた。私へと向けて、手を差し伸べる。
「お手を」
いつもよりも格式張ったその仕草に、思わずどきりとしてしまった。
私は一度深く息を吸うと、腰を上げた。
差し出されたクラウス様の手を借りて、ゆっくりと馬車のステップを降りていく。
私たちが庭園へと進むごとに、人々から声が上がる。そこには歓声だけではなく、再び疑問の声が混じっていた。
「あの聖騎士って、血も涙もない冷血な悪魔って噂の……?」
ひそりと聞こえてきた声にため息をつきたくなった。
噂が事実が異なることを、私や聖騎士団員は知っている。
だが、世間ではいまだその噂はひとり歩きしているらしい。
そう思った次の瞬間だった。
「ん? それただの噂なんだろ? この間ダーレストへ行ったら、レティノア様とクラウス様を称える声ばかりだったぜ」
「なんでもいいわよ! お似合いだわ! しっかり目に収めなきゃ!」
別の声が耳に入ってきて、胸の奥がじんと熱くなった。
(……ダーレストでのことがこんなふうに広まっていたなんて)
世の中、意外と捨てたものじゃない。




