26・聖騎士団は知っている
「ま、それじゃ私は帰るわ。用事も済んだしね」
しばらく話したあと、セリナはそう言って椅子から立ち上がった。
セリナを見送ろうと、私も続けて席を立つ。
「レティノア、あんま思い詰めちゃだめよ」
「そう、ね。そうする」
そうしてセリナが扉に手をかけた瞬間、ギィ……と軋む音が響いた。
その呻くような小さな音にセリナは眉をひそめる。
「……何この戸。立て付け悪くなってるんじゃないの?」
「え、そう……?」
不快そうに言いながら、セリナは扉を何度も開け閉めしていた。動きや音を確かめているようだ。
「こないだ来た時より動きが悪い気がするわ」
言われて私も、セリナと同じように扉の開け閉めを繰り返してみる。普段使っていると分からないものだ。だが言われてみれば、確かに戸の動きが悪いような気がする。
「!」
セリナは突然扉から手を離すと、私の方を勢いよく振り返った。
彼女のヘーゼルの瞳が、いたずらっぽく光っている。
(あの顔、何かいいこと思いついたって顔だわ……。嫌な予感……)
「……あんた、今日仕事は忙しい方?」
「……今日はずっと教会で仕事する予定だけど……」
セリナの態度に警戒しつつも、私は正直に答える。
「そっか、そっか。じゃあいつもよりは余裕あるのよね?」
「え、ええ」
質問の意図が掴めないながらも頷くと、セリナはぱっと花が咲いたように笑った。その笑顔に、こちらはただただ不安を感じるしかない。
「クラウス様のとこ行ってきなよ! 戸の立て付けがおかしいんです〜って! 教会の整備担当、聖騎士団でしょ? ほらほらほら!」
「ちょ、ちょっとセリナ……!」
セリナは早口でまくし立てるように言うと、私の背後に回りグイグイと背を押してきた。
まるで遊びにでも行くような軽い調子で、私を外へ導いていく。
私は抵抗することも出来ずに、セリナの勢いのままに引きずられていった。
◇◇◇◇◇◇
(セリナったら、連れてくるだけ連れてきてあとは逃げるなんてずるいわ……!)
セリナに教会から引きずり出されたあと。
私は騎士団寮に入ってすぐのところで立ち尽くしていた。
寮内は厳かな雰囲気が漂っており、一歩を踏み出すことすら躊躇ってしまう。
騎士団寮に来るのが初めて、というわけではない。だが、普段教会にいる私にとっては、あまり立ち入らない場所だ。
ここまで私を引っ張ってきた張本人はと言うと、私を騎士団寮へ押し込めて、「じゃ! 私帰るから! 次きた時は戸が直ってることを祈ってるわ!」とかなんとか言いおいて軽快な足取りで去っていってしまった。
(確かに戸のことはクラウス様へ伝えた方がいいのかもしれないけど、心の準備くらいさせて欲しかったわ!)
どうしたものかと考えていると、背後の扉が突然開いた。
「あれ、レティノア様? どうかされましたか?」
声をかけられて振り返る。そこには、白い騎士服に身を包んだ若い騎士が一人、首を傾げて立っていた。
どうやら聖騎士の一人が、寮へ戻ってきたらしい。
「あ、えっと……」
後ろから人が入ってくる可能性をすっかり失念していた。
驚いてしまって、すぐには言葉が出てこない。
だが、いつまでもここに突っ立っているわけにもいかないだろう。
「……く、クラウス様はどちらにいらっしゃいますか」
覚悟を決めてそう告げると、騎士は得心したといった様子で、笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ、団長に御用ですか! ご案内します!」
騎士はそういうと、私を先導するように歩き始める。私は少し遅れて後を追った。
騎士団寮の廊下は静かで、石の床を叩く靴音だけが響いていた。
他の騎士たちはみな出払っているらしい。
装飾なのか、意味のある配置なのかは定かではないが、廊下にはいくつも甲冑が並んでいた。今にも動き出しそうで目を合わせたくない。
内心びくびくしながら歩いていると、騎士が話しかけてきた。
「結局、レティノア様がクラウス団長と結婚されたんですっけ? それともミレシア様?」
「……一応、私です」
まさか、騎士からそんなことを尋ねられるとは思っていなかった。
返答に、一応、とつけてしまったのは仕方がないだろう。
苦々しい気持ちを隠しきれずに答えた私に、騎士は何故か安堵しているようだった。
「それならよかったー! 聖騎士団員みんな、心配してたんですよ!」
「……心配?」
「ほら、ミレシア様ってアレじゃないですか。聖女なのに仕事しないって、聖騎士団では有名ですよ」
騎士はひそりと内緒話をするように声を潜めた。
(……流石に知られていたのね)
ミレシアは仕事はしないが世渡りはうまい。毎日教会へ足を運び、騎士団員たちに挨拶をし、一応式典には出席していたことから、皆ミレシアが献身的な聖女だと疑っていないと思っていたが……。どうやら聖騎士団にはバレていたらしい。
「ミレシア様じゃ団長と釣り合わない! レティノア様だったらいいなって団員内で話してたんですよ。ほらクラウス団長、最近聖騎士団にこられたばかりだし、あんまり自分のこと喋らないから情報なくて……」
「団員の方たちは、クラウス様のことを怖がったりはしてないんですね」
(意外といえば意外?)
私の脳裏には、セリナや街の人たちのクラウス様へ態度が浮かんでいた。
彼の「冷血で血も涙もない悪魔」という噂を真に受けて、みな脅えていた。
私の言葉に、騎士はぐっと拳を握りしめて力説し始める。
「そんなまさか! クラウス団長は全騎士の憧れです! 寡黙で誰よりも強いのに頭もキレる! 怖がってるのは、一部の下っ端と、騎士団とは無関係のヤツらばかりですよ! 変な噂が流れているのは、団長の強さと活躍を妬んだ連中のせいに違いありません!」
騎士の言葉にはかなりの熱量があった。憧れの人が誤解されているのが我慢ならないらしい。
その様子に、妙な親近感を覚えてしまう。
(私も、クラウス様のことを誤解している街の人たちに怒りを覚えたものね)
「まさか聖騎士団に来られるとは思ってませんでしたけど、一緒に仕事できるなんて僥倖です!」
クラウス様の味方をするのが自分だけではないとわかって嬉しいはずなのに、少しだけさびしいような気がした。
話しながら進んでいるとあっという間で、やがて2階の奥にある部屋へたどり着いた。
どうやらここにクラウス様がいるらしい。
騎士は軽くノックすると、ゆっくりと扉を開けた。
執務室と思われる部屋の中では、クラウス様が机に向かい、書類に目を落としていた。
静かな空気の中、ペンが走る音だけが響いている。
その横顔には、見慣れないメガネがかかっていた。普段はかけていないはずだから、仕事用だろうか。
(……かっこいい)
思わずそう感じてしまって、胸の奥が途端に熱くなる。
真剣な表情から、目が離せない。
「団長、レティノア様がお見えです」
騎士の言葉を聞いた瞬間、クラウス様が手を止めて顔を上げる。
「聖女殿?」
そして、私と目が合った。




