第六十話 次の俺にでも頼んでくれ
「どうする? 大人しくここで取り込まれておくか、もしくは無駄な抵抗をする?」
そんな戯けた事を抜かしながら、ニーズヘッグは俺の方へと一歩歩み寄った。だが、先程の腕と日本刀を手にしたままの所を見ると、警戒はしているらしい。
「無駄かどうかは――」
「やってみないと分からない、そういうんだろう? 僕にとっては、通算二十二回目だ」
そんな事をいいながら、一本、ニーズヘッグが刀を振るい、俺が咄嗟に出来たのはクレイモアを構える事だけだった。
瞬間。
パキーンと澄んだ音が響き、俺のクレイモアの刀身が半分ほど宙を待った。伸びた日本刀三本が、同じ部分を連続して切り裂いたのだ。所詮ただのクレイモア、魔法強化もされていなければこんなものだ。
しかし、防御ができなくなるのは困る。もう三本伸びてきた刀の、一本を弾き、もう二本は勘と気合で避けた。脳筋みたいな言い方だが、目では捉えられないのだから仕方ない。
そのままボードで飛んで逃げようとして、嫌な予感がしてそのボードを盾のように掲げた。間一髪、そのボードに阻まれた刀がギャリギャリと嫌な音をたてて静止した。それでも、掲げたボードは半ばまで切断され、これでは使ったとたんに真っ二つになるだろう。
そんな馬鹿な。さっきは、俺のクレイモアでしっかりと弾けていたじゃないか。俺も奴の動きに対応できた筈――。
「神話の力を甘くみない方がいい。僕も随分振り回された」
そんな事を言いながら、ニーズヘッグが刀を元の長さに戻した。悪魔が生来の力に振り回される様な事があるものか。毒蛇が自分の毒に苦しむ様なことがあるか? 俺は唾を吐き捨てた。
「ここは亜空間の結界の中だ。音もあちらには聞こえないし、こちらの動きも見えない。何度も経験したから、分かる」
ニーズヘッグは刀をしまった。いや、自分の中に戻した、というべきだろうか。手の中にずぶずぶと沈んで行くのは、奇妙な光景であった。「何のつもりだ」、と思わず声に出してしまった。
何故声を出したのかは、俺もわからない。本当に、喉をつつかれたように不意に出てきてしまった。一度出てきてしまうと、取り返しはつかない。
「銀二。君は、僕の眷属になるつもりは無いかな」
そんな唐突な言葉に、俺はハァ? と呆れた様に言ってしまった。
それに気を害した様子も無く、ニーズヘッグは続けた。何処か楽しげですらある様子で。
「信じるかどうかは、君の勝手だけど。僕は元々、人間だったんだ」
とりあえず、刀をしまったのを見て、俺は半ばからぽっきりと折れたクレイモアを回転を付けて投げつけたみた。がしかし、またもや空中に出現した六角形の防壁に阻まれて、今度こそクレイモアが砕け散った。驚く事に、粉砕だ。
近接手段も防御手段も無くなってしまった。というか、なんで砕けた? まだ現れているバリアをよく見ると、表面にのこぎりの刃のようなものが無数に生えて、チェーンソー以上の恐ろしい速度で回転している。
そりゃあ、砕け散る訳だ。結界外で戦っていた時は、魔法を叩き付けていたから分からなかったが、あんなものがあったのか。くそ、迂闊だった。
「僕も何があったか殆ど分からないうちに、悪魔にされてしまっていて。自分がどういう存在なのか、よく分からなくなった。どうにかして生きて行こうとするうちに、僕は神話の怪物になっていたんだ」
両手剣が目の前で粉砕しても、ニーズヘッグは動じずに喋り続けた。悪魔の中には、たまにこういう奴もいるらしい。いまさらな話だが、人間から転生するような奴が。だが、自我を持っている場合は本当に稀だ。俺自身は会った事がないから、殆ど知らない。
「じゃあ、お前は人間――それも、日本人だった、と」
とにかく此処は、話に乗っておくべきだろう。契約を交わしてくるような悪魔に最近会わなかったせいで調子も狂っているが、最悪、契約されそうな時ぐらいわかる。
「うん。僕の人間の頃の名前は、守谷。七崎守谷だった。今はもう、何の意味もない名前だけどね」
ニーズヘッグ――守谷は、神話級の化け物になるまで、生き様と足掻き続けたらしい。下級の名無しの悪魔から、上級の名無し、名前付き、そして神話級。下級の名無し悪魔と神話級には、月と太陽の面積を比べるかのような、途方もない差がある。
こいつがどれだけ戦ってきたのかは分からない。だが、少なくとも、魔法使い五人の攻撃に無傷で耐え、日本の歴代最強である俺の僅かな隙につけこむぐらいはできるようで、その力は相当だ。
そこに、"時間逆行"の力。奴は今回の結界の発動も察知していたから、何度もの繰り返しのう結界の中に封じられた事もあったのだろう。でなければ、あのタイミングで俺を引きずり込む事はできなかっただろう。それに、結界に叩き込まれて驚きもないのはあまりに不自然だ。
「もう知ってるだろうけど、僕には時間逆行の力がある。これで、何度も君と相対した」
ニーズヘッグの守谷の口からは、俺の事がすらすらと出てくる。義務感のままに淡々と剣を振るってきた俺、怒りに身を任せて銃を乱射する俺。エレインと共に戦う俺、全てをなぎ払った化け物として戦う俺。
何十という可能性の中の俺と戦って来たのだという。
「その中で、僕は君を多少知った。少なくとも、辛い状況にあったんだろうってことぐらい、分かる」
だから、とニーズヘッグはその片手を俺の方へ差し出した。
「だから、僕と一緒に、地球を壊さないかい? 悪魔のいない宇宙へと作り直すんだ。僕と君ならできるよ?」
十歩分程度あいた距離の先、差し出された手のひらを、俺はじっと見た。剣は無いし、魔力もほとんどからっけつ。正直、戦おうにも手段はない。この結界からは出られない。
それに、その問いは十分魅力的だ。悪魔のいない宇宙なら、俺ももう少し、まともな人間だったかもしれない。ついでに、魔力のない世界だったなら、俺はもっとちゃんとした高校生だったかもしれない。親孝行ぐらいできたかもしれない。
でも、俺はその手を受け取る訳には行かなかった。
「俺は、俺なりに生きてきた。散々な人生だった。自業自得だけどな」
俺の思いは、自然と口からつむがれた。そう、大嫌いな人生だ。大嫌いな地球で、宇宙で、世界だ。でも、俺なりに生きてきた世界なんだ。
「変わった世界に、俺が殺しかけたエルシェイランはいるのか? 父は、母は、兄は、姉は? ショーンは? セリンテは? 玲奈は? 岡田は? 前川は? ――エレインは?」
屁理屈だ。魔法を使えなかった俺だった時、会えなかっただろう人間がたくさんいる。もはや感情の揺れ動きは少ないが、このぐらいは分かるさ。
俺はこの世界ごと自分が大嫌いだ。でも、それ以上に、俺はこの世界で俺と話してくれた人が大好きなんだよ。
「だから、生憎だが、お前を手伝ってはやれない。次の俺にでも頼んでくれ」
「……そっか。残念だよ、上谷銀二。ここで死ぬといい」
やっと二話更新です。後少しで終わる、と思いますが……。




