第五十七話 狙うべきは早期決戦
はい。
エターだけはしない様に、がんばります。
天を見上げた。俺の三つの視界が、遥か遠くに見える黒点を捉えている。竜というには、あまりに肥大していて、無数に蠢く体毛をもつそれは、ニーズヘッグと呼ばれる神話の化け物だ。
お前が何を考えて、何をするために、地球を。そして、人類を滅亡させようというのか。更に言えば、何故俺に接触しようとするのか。……なにも、分からない。分かりはしない。でも、それでいい。敵と分かりあう必要はない。殺すべき相手。それだけでいい。そうじゃないと、俺は混乱する。どうしたらいいのか分からない。
今まで分かり合った事などほぼないから。
こんな下らない事を考えている時間はないのに、とふと思った。俺の悪い癖だ。緊張すると、余計な事を考えて気を紛らわそうとする。ただ、今回ばかりは救われた様な気分だった。
悪魔を殺しにいくのが、人間の俺である事を再認識できた気がした。
もう、心も体も、殆ど人間とはかけ離れている。この無駄な思考が、俺に残された人間性だから。
っと、そろそろ時間だ。もう一度、天空を見上げた。黒い点にしか見えないそれを、俺は確かに睨み付けた。お前なんかに負けるものか。人間、死ぬ気でやれば何でもできるものだと教えてやる。
「『作戦開始。ニーズヘッグ着弾予想地点への集合を確認した。"災厄殺し"を始めよう』」
セリンテの爺の声が、俺の肩にのった烏の口から静かに響いた。
「こちら日本代表、上谷銀二。了解した。作戦行動に移る」
俺が烏にそう伝えた瞬間――地響き。
地面が揺れている。地震? ……いや、違うな。地震じゃない。これは人為的なものか? だとすれば。
まずい、と思ったその時、無数の悪魔が転移してきた。やはり、多大な魔力の発生による振動現象か。人目を厭わずに俺はクレイモアを引き抜いた。そんな俺を気にかける人はいない。唐突に現れた悪魔のほうが特徴的だからだろう。
俺は今まさに人間へ襲いかかろうとしていたボガートを切り払い、そこにいた人に呼びかけた。
「ここは危ない。どこか避難所に行け」
「は? え?」
襲われかけてた男の疑問を置いてけぼりにして、俺は駆け出した。目指すは着弾予想地点、ど真ん中!
「火よ、渦巻いて焼き尽くす火よ!」
俺の目の前で、突き出されたあやとりから放たれた炎の渦が雑多な悪魔を巻き込んだ。数など数えていられない。着弾、というかニーズヘッグの到着予想地点の広場を埋め尽くす勢いの量だ。
百じゃたりんな。二百でも足りん。千いくら、といったレベルか。あちこちで爆発音やら、風切音やら、閃光やら、空間が歪む音やら、滅茶苦茶だ。
まぁ、俺だってさっきから炎撒き散らして剣ぶん回してハンマー投げつけてロケットランチャー撃ってと洒落にならないぶちまけ方をしているから、人の事は言えない。どうにかして、着弾予想地点に!
しかし、いくらきってもきっても押し寄せる悪魔の軍勢。これが、なんと雑魚悪魔だけではないのだ。ネームドとまではいかなくても、オーガやら金色のトカゲやら、明らかに強力な物まで混じっている。無論、ネームドもだが。
「らちが明かんな」
そうつぶやいた俺は、クレイモアを一度大薙ぎに振るって、何体かの悪魔を切り払うと、一気に近くの窓の部分を蹴って跳び上がり、久々にボードを召還して勢いのまま跳び乗った。
足がボードに固定され、エルシェイランの制御で急加速。世界が一斉に動きを止めた様にスローモーションになり、俺は百何十キロという速度の中、めぼしい悪魔を切り捨てながら着地予想地点の中心へとボードを飛ばす。
断つ、血飛沫、斬る、血飛沫。炎と血が俺の視界を段々と覆っていく。それでも何とか中心点に辿り付けば、既に戦闘音が聞こえ始めていた。
見れば、セリンテの爺と、前にも見たやつれたサラリーマン風の男――ニーズへッグが激しく戦っている。セリンテの爺は杖、ニーズヘッグは日本刀だ。
キィン、と大よそ、木と鉄の打ち合う音ではない音が辺りに響いている。悪魔の装備しているそれが唯の鉄なわけもなく、またセリンテの爺のものも単なる杖ではない。
セリンテの爺の武器である杖は、"空間"の概念精霊の応用でつけられた刃があるため、薙刀の様になっている。その刃は伸縮自在で絶対切断であり、どんな物質だろうがあれを止める事はできない。
だが、対するニーズヘッグ――たぶんだが、その分体――の日本刀らしきそれも恐らくただの刀ではないだろう。
黒塗りの刀はその形を自在に変え、今は鞭のように細くしなる刀身でもってセリンテの爺のを翻弄している。推測でしかないが、あれもニーズヘッグの一部なのだろう。千変万化の太刀筋は到底よめるものではない。
そんな二人の人外の激戦に、俺は円錐型の炎の弾丸をぶち込んだ。即座に切り払われたそれに乗じて、俺は自分の体ごと回転させて加速を付けたクレイモアの刃を叩き込んだ。
傷こそ付かなかったが、一瞬ひるんだニーズヘッグに向かって、俺は持っていた特製プラスチック爆弾をありったけ叩き込むと即起爆スイッチを押した。瞬間、轟音と共に、爆炎で見えなくなる。
瞬間転移ですぐさま離れていたセリンテの爺にアイコンタクトを送る。手伝うぞ。
セリンテの爺は頷くと、空間を湾曲させて刃としたものをいくつも――今は爆炎で見えないので、先ほどまでニーズヘッグがいた場所へ――と飛ばす。十や二十では足りない。歴代トップクラスの魔力と概念精霊の埒外な力でたたき出されたそれは、普通の悪魔なら粉みじんになっている所だ。
それだったらそもそも、特製プラスチック爆弾を山ほど叩き込んだ時点で塵も残ってはいないが。
「あいたたた、危ないなぁ、まったく」
だが、コンクリートやらアスファルトやらの粉塵が大量に舞い上がっている中、暢気な声が聞こえてくるのだから、神話の怪物というのは嫌いだ。いくらやっても生きてやがる。
「……閉鎖結界にに叩き込むんだろ。どうにかして隙作るから、その間にあれ封じ込めろよ」
おおかた、宇宙にあるのは抜け殻の肉体で、今は精神体を受肉させてこうして殴りかかってきているのだろう。この精神体を完全に消し飛ばしても肉体が落ちてきて日本壊滅の流れだ。
さすがに、連盟のほぼ全員が集っているとはいえ、あの大きさを一瞬で消し飛ばすのはは無理だろう。軽く東京ぐらいはありやがるからな。となれば、とにかくさっさとこいつを結界に叩き込んで、全力で物理結界を張ってあれを消し飛ばすレベルの魔法をぶっ放すしかない。
狙うべきは早期決戦、か。俺はじっとニーズへッグを睨んだ。




