第五十四話 拾った思いを抱きしめて
すいません、今回もです。ウォーアクス戦記書くの楽しくて……(言い訳)
そろそろ終結へと向かう予定ですので、書きだめで完結した時は毎日更新になると思います。
結局、前川も玲奈も近づこうとしなくなるまで逃げ続けた。俺は結局、良くわからない感情を渦巻かせて診療所で息を吐いていた。
セリンテの爺からボードは届いて居たが、どうにも練習する気分にはなれなかった。そんな事態ではないのは分かっていても、俺はそれを放置して何をするでもなく座り込んでいた。
馬鹿の考え休むに似たりと言うが、此処まで酷いのはそう無いと思う。俺の堂々巡りの思考は、殆どうたた寝のそれだった。
本を読もうにも考えはまとまらず、結局また外を歩いた。付けてくる気配は無く、尚美先生の魔法の残滓だけを感じる。夜の静けさは、少しだけ俺の心を落ち着かせてくれた。
天空を見上げる。月が照らしている。
後一週間で、あの天空から"災厄"が落ちてくる。対処できるかは未知数。間違えたら、多分地球が滅びうる。俺が戦ってきた悪魔と比べても、トップランクの強さだ。なんといっても、精神干渉、時間逆行、物理結界に魔力誘導と、分かっているだけで恐ろしい数の能力群。
しかも、名前付の悪魔――代表として、鬼女、インドラ――や、その他の雑魚悪魔も従えてる筈だ。世界樹等の、つまり神話に関わる悪魔達は総じて配下を従えている物なのだ。
最悪、極々素人の玲奈達や、同じ程度の技量の、何かと影の薄い上月達も戦いに駆り出さなければならないかもしれない。俺は恐らく、対ニーズヘッグ戦に出なければならない。となれば、俺はあいつらの援護には回れない……。
それが心残りといえば心残りだった。おもむろに目を閉じる。合計で三つある視界は、結構疲れる。そんな事を言い訳に、何も見ないようにした。
暗闇。
三つの視界も気にならない程の暗闇の中で、俺はふわふわと浮かんでいる様な気分だった。直感的に、夢だ、と感じた。
感覚としては、鬼女の時の不思議な亜空間に似ている。おそらく、精神体だけで飛んでいる状態だ。死の淵やそれに類する時に来ると言うが、今俺は死にかけているのだろうか? 幽体離脱した状態なのだろうか?
目を見開いても、何も見える事はない。暗闇の中、奇妙な浮遊感だけが存在している……いや。暗い視界のずっと先、明るいなにかが見えた。それは真っ白な光だ。ひどく、まぶしい。あれはなだろう。
火に吸い寄せられる虫の様に、俺の意識は吸い込まれるようにその光に近づいて行く。なんて暖かいのだろうか。まるで、火の様だ。
ゆっくりと暖かなそれは、とても身近に感じられる。この光の球体も、精神体であるのだろうか? 暗闇の中で見えない手をいくら伸ばしても、光に手が届く事はなかった。
どこからともなく静かな声が聞こえる。覚醒を望む声じゃない。かといって、深い眠りへ誘う物でもなかった。本当に、一人語りの様な声だった。
『あなたはぼくで、ぼくはあなた』
幼げに聞こえるそれは、しかし老齢なようにも聞こえる。幾重にも声が重なり合って、マイクのハウリングの様にも聞こえて妙な感覚だ。
そんな声に、俺は耳を傾けた。
『ずっとまえからあなたがわすれている、あなたのなかのあなた』
俺の中の俺。ずっと前、どこかに落として来た俺。まだいるのだろうか。何処かにいて、泣いているのだろうか。
『ここにいる。ずっとあなたのそばにいる』
そんな声に、そっと目を開いた。暗闇が晴れる。ずっと、開いたふりをして閉じていただけだった。目の前にいたのは、エルシェイランだ。
『あなたのなかのぼく。あなたがおとしたあなた』
「俺の中のお前。俺が落としたお前。……あぁ。そうか」
お前だったんだな。ずっと、傍にいてくれたんだな。ずっとずっと、傍で見守ってくれていたのか。俺が落とした俺。俺本来の俺。
何処か生真面目で、何処か不真面目。それでいて、困ってる人を見過ごす事が大ッ嫌いな、唯の俺。等身大の俺。
俺の見失っていた俺、上谷銀二がそこにいた。
死に絶えた精神体がどこへ行くのか何て分かりっこないが、もしも俺の精神体が何処かで一度死んでいて、それが転生したりしたのなら――それは、間違いなくエルシェイランになったのだろう。
でなければ、どう考えても普通ではない俺と、完全に同一になれるような精霊なんていいない。
『おれはあなた』
火の玉が俺に近づく。友情とかへの憧れ。愛情への希望。そういう、何か暖かい物が。
「俺は……お前なんだな」
確かに手を伸ばした。しっかりと伸ばされた俺の手は、今度こそその光を握り締めた。戻ってくる。暖かな感動が。感情が。迸る何かが、俺の中に注ぎ込まれる。
どうして今まで忘れていたのだろうか。この涙を。この怒りを。この、感情を。
「戻ろう」
一滴、俺の目から涙が零れて。ゆっくりとそんな言葉を紡ぐ。
『もどろう』
忘れていた俺も、ゆっくりと言葉を吐き出した。
結局、夢に過ぎないのかもしれない。もしかしたら不意打ちで、俺はもう死んでいて。幸せな走馬灯なのかもしれない。それでも俺は、確かにエルシェイランと――等身大の俺と手を取り合った。
どこかで感じていた感情を失った空しさは、もう何処にもなかった。
肯定への恐怖も何処かへ消えてしまったような気がする。
意識が現実へ浮上していく。妙な安心感を伴って。
気がつくと、診療所の前に戻ってきていた。精神体がどこかへ――おそらく、別次元近くまで――飛んでいる間にも、俺の体は勝手に動いていたらしい。
表に出てきて、意識が無さそうにボーっとしていたであろう俺を心配そうに見ていた尚美先生に、ペコリ、とお辞儀をした。
「すみません、先生。遅くなりました」
俺が外出てから、ずいぶん時間がたっていた。昼ごろだったのが、もう夕方だ。随分長い間"寝ていた"らしい。そんな俺に、先生は首を左右に振って「別にいいわよ」といった。
「戻ってくれた訳だしね。それに、何だかすっきりした顔、してるわよ」
思わず顔に指を伸ばした。そんなことで分かる訳も無いのだが。ただまぁ、それでも表面に笑顔を貼り付けるぐらいはできるようになっていた。
「えぇ。憑き物、落ちましたので」
「そうなの? ……何はともあれ、一応患者なんだから、あんまり外歩き回らないでね」
ため息を吐いた先生に俺は、申し訳無くてもう一度頭を下げた。
心に、ほんの少しだけ。拾った思いを抱きしめて。




