第五十二話 春は出会いと別れの季節
ああ、うん。始まりはそう大した事じゃなかったと覚えている。
小学生は悠々自適で、それなりに快適な生活を送れていたと思う。身体能力もそれなり、友達も程々にいて。甘酸っぱい青春は無かったが、普通に幸せな生活だった。
だった、というのは。中学二年の頃に、最悪な転機が訪れたからだ。
まぁ、一兄、湊姉がそれぞれアーティストの道を歩み始めちまったわけだ。それに伴って、仕送りとかも。兄も姉も頼まず、父と母の勝手にやっている事だったが……多分、無かったら兄も姉も大変だっただろうから、一概に悪いとは言い切れない。
唯、それのせいで中学二年生、まだ自分らしさを探す時期に自由に色々な事ができなかった。それは、大分俺のこの人格ができるのを助長したと思う。父も母も、立派な人だし、何より俺の弱さがいけないのだから、非難するつもりは更々ないが。
まず、筆頭に上げられるのは俺の必要とされたがる性質は、真っ先に生まれた。
母も父も苦労して。俺の為の学費、育ち盛りの分の余計な食費、僅かでも小遣い。そこまでしてもらって気付けないほど、恩知らずではなかった。
だからこそ、自分の非才が恨めしかった。自分は無駄に両親が稼いでくれたお金を浪費するだけの役立たずなのではないか? その頃は、そんな思考が俺の中をぐるぐる回るようになっていた。
そんな時だよ。魔法使いになったのは。もっと言えば、護法士という誇れる仕事を担ったのは。
そりゃあもう、喜んださ。何といっても、世界を救うお仕事だ。あなた達が育ててきた息子は、こんなにも立派な仕事をしてるって、両親に誇る事ができる仕事だったんだ。
とはいっても、現実は仕事内容も仕事をしてるってことも、一般人には語れないんだけどな。
まぁ、それはさておき。自分を必要としてくれる場所があって、そこに堂々と立っている為に、俺は幾百の悪魔を滅ぼす必要があった。
となると、まだまだ体力は無く魔力も低い俺では、そう大物は仕留められない。眠らずに掛かりきりで悪魔を倒し続けるしかなかったんだ。寝る間も惜しむ様になれば、やはり勉強するような合間も無く。
成績は落ち続け、下の中ぐらいで止まった。それまでも、せいぜい中くらいではあったのだが。両親ともに、気を掛ける時間も無かったようで、「最低限の勉強はしろよ」で終わった。
高校に入学できたのは、面接官に魔法使いが潜んでいたのもあるが、筆記試験にとにかく全力を尽くしたのもある。そうでないといくら面接が最高点でも高校には入れなかったからだ。
ともかく、怪しまれないように。あくまでも影から、が連盟のモットーだからだ。セリンテの爺にも苦言を呈されて、ようやくって感じではあったが。
まぁそれはともかくだ。俺はそんなこんな、使命に没頭する時間が多かった。実力が高くなってきて、日本の代表を任されてからはもっとだな。
気がついたら、俺の周りには友達は一人も居らず、悪魔を討伐する以外には何もする事が無かったんだ。俺もその時に、もう少し考えて、セリンテの爺に頼んで、休みをもらうとか色々して貰えればもう少し変わったのではないかと、いまさらながらに思ってる。
そんなだから意地張って、もっと没頭して、もっと友達が作れなくなっての繰り返しさ、後は。
「まぁ、俺の人生がこんな感じだからな。別に執着してるつもりはないんだ。……若干、話が逸れたな」
それしかないから、やっていると言った方が近かっただろうか。まぁ、どうでもいいことか。ゴクリとコーヒーの最後の一口を飲み干した。握っていたせいでぬるくなったコーヒーは苦いばかりだった。
「……俺には、想像出来ん人生だなぁ」
「他人の人生なんて所詮そんなもんだ」
俺は缶をゴミ箱の穴に向かって投げつけた。スコーン、と軽い音と共に穴の中に入っていく缶をぼんやりと眺めていた。
岡田も俺に続いて缶を飲み干し投げ捨てたが、見事に弾かれていた。ぼやきながら転がった缶を拾いにいく岡田を視界の端に捕らえて、ふと問いかけた。
「お前は、これからどうする?」
改めてコーヒー間をゴミ箱に入れた岡田は、こちらを振り返った。
「どうする、って?」
「このままずっと魔法使いを続けるか、もしくは一区切りしたらやめる気なのか」
正直どちらにせよ、俺の立場は変わるまい。だが、俺が東京の守護でなくなったら、一体誰が首都を守るか考えたときに、一番最初の候補が三人組だったから、聞いてみただけだ。
「……玲奈が、やるなら」
ベンチに座りなおしながら、岡田は頭を掻いた。
「大惚けかましてくれるもんだな」
俺は無表情で返した。うっせ、という声を傍らで聞きながら。
俺が見た限り、という条件がつくが。こいつら……玲奈、前川、岡田の三人組は、単純な魔力量なら俺を凌駕しうる。元々魔力量の多くない俺だが、それでもアジア系人種の魔法使いの中ではトップクラスの魔力だ。
それが凌駕されるというのだから、"宇宙への呼びかけ"を使っていない俺よりも強くなるだろう。要するに、"日本代表歴代最強"の名は返上することになる、ということだ。
「それなら、心配は無いな」
ふう、と溜め息をつきながら、俺は何となく姿勢を正した。
「もう、春だなぁ」
ふと岡田が呟いた言葉に、釣られて窓を見た。優しげな日の光が診療所に差し込んでいる。考えてみれば、一晩寝ていないのか。朝までずっとここに座っていたわけだ。驚きだった。
日の光が眩しい。ガラスを通過して、これだけ優しげでも、眩しいものは眩しいな……。春か。確かに、そうだな。もうそろそろ、地球と日本は春を迎えようとしている。何時だったか頭の中でやった反論は、案外的外れであったらしい。
二人して木漏れ日を見つめながら、ぼんやりと蹲っている様な気分で俺は呟いた。
「……そうだな。もう春だ」
春は出会いと別れの季節、とよく言われてはいる。入学と卒業、青春とその終わり。色々な物が出会って分かれる季節ではある。
だったら、俺は何と出会い、何と別れてきたのだろうか。そして、何が始まり、何が終わるのだろうか。俺の最後の大仕事まで後、一週間と五日。それまでに、俺に答えは見つかるだろうか?
手のひらを見つめたが、返事は一向に返ってこなかった。




