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彼方より響く声に  作者: 秋月
三章 つかの間の休息に抉れる旧い傷痕
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第四十四話 八つ当たり

 ふわり。意識が浮上するのを感じた。気付けばまた、燃えている……いや、燃え尽きた家の前であった。そして、俺の視界を塞ぐ何かを確認した。


 かなり焼け焦げていて、損傷具合は俺の体と鎧代わりのパーカーのそれと同じぐらいに見えた。そしてそれは、俺を抱きしめているようであった。




 分かっている。分かっているから、そっと抱きしめ返して、膝を突いて楽な体制にしてやった。俺の左手は、以前悪魔化したままだったので、慎重に行った。


 直にゆっくりと、その目蓋が開かれる。それを後押しするように、俺は声を掛けた。


「エレイン」

「……あ、ァ。良かっ、タ。何時もノ、銀二、ネ」


 こんな姿になっても、その鈴の様な声は変わらない。相当な痛みに苛まれているだろうに、彼女は気丈に微笑んだ。ズキリ、と頭の何処かが痛む。胸が軋んでいる。だが、彼女の痛みに比べれば、何てことはないのだろうか。


 俺が暴走さえしなければ。俺が錯乱さえしなければ。そんな思考が頭を堂々巡りだ。しかし、彼女は俺の腕を引いて言った。


「ネェ。銀二ノ、せいジャ、ない、ヨ」


 そんな事、ねぇよ。ポトリと落ちた言葉は、俺の本音だ。どう考えたって、俺が悪い以外の何者でもないのだから。


「ネ。辛かっタ、よネ? ごめんネ。気付いてアげラレなくテ。連盟員の、皆っテ。賢くテ、馬鹿だかラ」

「違うんだ。エレイン、違うんだよ」


 違う、違う、違う――! 心の叫びは、全力で押さえつけた。彼女の傷に響くような事があれば、謝っても謝り足りないからだ。


 それでも


「馬鹿なのは、俺だけだ」


 そんな言葉を押さえる事はできなかった。


「もウ。抱え込ミ、過ギ」


 優しい彼女の声が、今の俺には毒でしかない。彼女が許してくれるならと、そんな思考に流れてしまいそうな自分が心底大嫌いだった。


「……恨まナイ、なんテ。言えっコ、無いけド」


 そう言った彼女は、ピン、と俺の額を弱弱しく指で弾いた。


「私ネ? ――短い付き合いだケド、貴方が好きヨ」


 絞り出すようにして出た声は、彼女が喋るのすら辛い事を痛い程教えて来ていた。だが、彼女はその細い腕で、俺の口から出そうになった「もう喋るな」の言葉を抑えた。


「馬鹿デ、意地っ張りデ、無駄ニ真っ直グデ、責任感強くテ」


 いい連ねられていく言の葉が、俺の胸を透き通す様だった。


「馬鹿みたいニ使命に没頭しテ、不器用ニ誠実な、貴方ガ……私、嫌いジャないのヨ」

「ぉ……ぁ……」


 返答に、詰まる。どういって返せば良いのか、さっぱり分らない。だから、俺は。素直な言葉を吐き出した。


「俺も……。嫌いじゃ、無かったよ」


 そう言ってから、抱き上げている彼女を、もう一度強く抱きしめた。素直な気持ちだ。彼女の真っ直ぐな目が、意外そうに俺を見てから。弱々しげに、俺を抱きしめ返した。


 彼女の返り血で服が紅く染まる。




「ネ。銀二。最後、ニ、お願イ」


「最後とか、言うなよ。……何だ?」


「恨むかラ、憎むカラ……どうカ、生きテ。ネ?」




 彼女の体は、ぐったりとして弱弱しい鼓動を繰り返すだけになった。


 死んでいる訳ではない。呼吸もある。生きているだけで、充分奇跡だ。これ以上傷付けないように、そっと彼女を下ろした。


 不思議と、罪悪感で苦しかったりはしなかった。胸の中はこんなにもスカスカだというのに。可笑しな気分だった。


「銀二……お前」


 あぁ。セリンテの爺……。顔を直接見たのは、随分久しぶりだ。多分、一年と半年前の、サタンもどき討伐作戦以来か。何で日本にいるのかは、まぁ言わなくても何となく分かる。多分、俺の体調・状態について調べに来たのだろうが……。


 セリンテの爺は、"空間"の概念精霊と契約している。日本とイタリアぐらいの距離なら簡単に繋げられる。


 見た目は初老というには少しふけた爺だ。やや伸びた髭と皺だらけの顔は、申し訳程度の威厳を放つ。そして、その瞳に灯った茶色の落ち着いた感じが、爺を爺たらしめていた。爺がゲシュタルト崩壊しそうだな、と場違いにそう思った。


「セリンテの、爺」


 思わず、俺はそう呟く。何をしに来たかはわかっている。鎮圧、というより俺の始末か、そうでなければ拘束だろう。どちらにせよ、俺を手助けに来た、と言った雰囲気ではないしな。


「……エレインを、尚美先生の所へ。お願い、できるか」

「エレインを……? 分かった。話は後で聞くからな」


 俺がそう言えば、セリンテの爺が困惑した様な表情で、しかし素早く頷く。理解が早くて嬉しい。エレインの容態は相当に悪いと言っていいから。


 俺は横になったエレインを、しかし視界に入れないように背を向けた。後ろで、空間の歪むブゥン、という音が聞こえた気がした。


「カ、カ、カ」


 そして、同時に。視界に、居なかったはずの者が現れた。




 いや多分、殆ど最初から居たのだろう。俺がギロリとそいつを睨めば、そいつは更に笑い出す。何故居るのかは、この際どうでもいい。どうせ、俺を狙ってきたか、エレインごと始末しようとしたか、であるだろうから。


 茶褐色の顔を笑みで崩した猿、というのが最も分かりやすいだろうか。しかし、そいつは猿の様に猫背でも、ましてやキチンとした生物ですらない。


 手は両肩からそれぞれ二本、計四本。二つの腕で一本の巨大な武器をそれぞれ持っている。金属を加工したような装身具を身につけ、腰に布を巻いたその姿。


 インドラ、である。


 雷の神としては有名だ。雷霆神、天候神、軍神、英雄神と様々な名があるこいつは、常にその手に武器――金剛杵を持った状態で描かれる。雷を司る、バラモン教、ヒンドゥー教の神だ。


 無論、神格とはいえ、ポンポンと姿を現す事などできない。故に、こいつは分体、分身に過ぎない。だが、決してそうとは思わせぬ程の気迫が、俺を叩く様だ。さらに笑みを強くして行くインドラは、自らの勝利を確信している様に思えた。


 だが、何故か俺の心が揺らぐ事はない。真っ先にそのヘラヘラとした鼻面をへし折りに行くのが俺の筈なのに、別の何かで揺らいでいる。


 なんだろうか、これは。


 そう思ったのが一瞬、納得するまでも一瞬。俺は自分が怒っている事に気付いた。


 誰に? エレインに? 違う。目の前の悪魔に? 違う。じゃあ一体、何に。その怒りは、紛れもない。俺自身へ向かっていた。そして、それを発散したいと思っているのだ。


 右手に結んだ印から、赤い炎が吹き上がる。エルシェイランは、本来の契約者の帰還に喜んだように踊った。


「すまんな、悪魔(インドラ)。八つ当たりに、付き合ってもらうぞ……!」


 拳銃を突きつけて、俺は高らかにそう叫んだ。


 悪魔豆知識


インドラ… バラモン教、ヒンドゥー教に存在する、神の名称。作中でもあるとおり、幾つもの役割を担っている。


 省略しない名称は(表示できないため明記しないが)「強力な神々の中の帝王」を意味する。


 ヴァルナ、ヴァーユ、ミトラなどとともにアーディティヤ神群の一柱とされる。また、『ラーマーヤナ』には天空の神として登場する。 漢訳では、因陀羅・釋提桓因・帝釈天・天帝釈・天主帝釈・天帝・天皇などと書かれ、特に仏教における帝釈天の名で知られている。


(上記説明分は「インドラ」のwikipediaから一部引用)


 作中で猿の様な顔、と表現しているが、実際はそんな事は無い。普通に人間の顔である。ただし、赤褐色の肌をしている事に関しては同じである。

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