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彼方より響く声に  作者: 秋月
三章 つかの間の休息に抉れる旧い傷痕
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第四十二話 忘れられない傷

 ちょっとした昔話を語る事を許してほしい。何時か、誰かに聞いてほしいと、心のどこかで思って居た事だ。


 あれは多分、中学三年生の頃だったと思う。受験はどうしようかと悩んでいる頃だ。無論、魔法使い連盟に参加もしていたし、悪魔討伐もショーンの助けを借りたりもしていたが、何とかこなしていた。


 ある日の事だ。雨が降っていたと思う。それでもって、路地裏だったはずだ。霧雨と言う程おしとやかではなく、かといって土砂降りというには少なすぎる、微妙な雨だった。だからこそ、記憶に強く残ってはいたのだが。


 その日は、ショーンから離れての初仕事だった。かなり、気負っていた所はあると思う。だから、余計に魔力を消費して、疲れきっていた。そこへ、とある悪魔が俺に話しかけた。


「大丈夫ですか? 怪我はございませんか?」


 ってな。


 そいつが名乗った名前はクラオカミの神。無論、神はこんなにホイホイ降りてくる者ではないから、その分御霊(わけみたま)……分霊だったのろう。ちなみに、女神である。


 クラオカミの神は日本神話が出典の雨神(うじん)だ。もっと正式に漢字で書くと、闇淤加美神。まだ分らない漢字もあったその時は、カタカナで認識していた。クラオカミノカミと。


 なんでも、此処は自分の祠があったのだという。確かによく見れば、それの残骸と思しき物は確認できた。さっきのインプにボガート達にすき放題荒らされて、完全に壊れてしまったのだろう。雨に濡れて元々陰気な雰囲気のクラオカミノカミは、一層暗く見えた。


 しかし所詮は分御霊。自分を宿す祠がなければ、自然に消滅するのは当たり前だ。ましてあれだけ壊れていたら、祠としては機能しなそうだった。彼女は自分が助からないことが分っていて、最後の話し相手に俺を話し相手にしたらしかった。


 よくもまぁ、これだけ陰気臭くて頼りなさそうで、コミュ力に自身のなさそうな若者を選んだものだ。しかし、話せたら何でもよかったのか。彼女は矢鱈と饒舌だった。


 俺もそこそこ話しに乗ってやったり、相槌を打ったりした。俺も、若干話し相手に飢えていたところはあると思う。この頃は両親とは殆ど会話できておらず、数少ない友達も入院中だったからだ。


 雨は一向に降りやまず、傘も差さずに突っ立つ俺とクラオカミノカミとずっと話していたと思う。多分、十一時から十二時前ぐらいまで、だったと記憶している。


 まぁ随分と饒舌だったもんだ。あの時は。多分、エレインともあれだけ話した事はなかった筈だ。雨と同じように、会話は止まなかった。


 しかし直に、彼女にも終わりが近づいてきた事を知る。。フワリと包む様な燐光が、ゆっくりと訪れてきていたからだ。


「ありがとう。おかげで、楽しかったわ」


 そういって消えていく彼女に向かって、俺は何週間ぶりかの笑顔を晒して。


 そして、そのままナイフを突き出した。殆ど手応えのなかったそれは、しかし残酷に――仮初とはいえ確かにある――命を、刈り取った。




 思えば、あの時から俺は壊れていた。誰かに必要にされようとしすぎていた。だから、そんな事をしでかしてしまったのだと思う。


 言ってしまえば、アイデンティティーの欠如。自分が絶対に自分でなければならないという確たる証拠を、俺は握れて居なかっただけの話だ。


 だからこそ、今の今まで残るような小さな傷が、少しずつ、そして沢山増えていったのだと思う。唯、数知れない傷の、一番初めが。この出来事だったのを覚えている。もしかしたら、あのクラオカミノカミを殺すなんて凶行を行わなければ。


 俺は、もう少し変わっていたのかも知れない。






 ああ。随分、血まみれだな。自分の姿を見て、ふっと思った。当り一帯が血の海の様になっている。此処は、どこだろうか。――あぁ。何時だったか来た、花屋だったか。


 アルラウネがいた。にこやかな店員の姿こそしていたが、あれは悪魔だった。信じられない事だ。悪魔がこれほど人間社会に適合していたなんてな。危ない。


 苦悶の顔で転がる悪魔を焼き払えば、少しは気休めにもなるというものだろうか。しかし、此処は家だ。焼いてしまえば周りに被害がでるかも――


 いや、何かの儀式をやっていた可能性もある。焼き払うに越したことはないか。印を結べば、またボトリと黒い炎が零れた。轟々と包まれて行く炎の中を歩いて、外へ出た。ここいらだけ、真昼の様に明るいな。まぁ、燃やしているからだが。


「レベスケノン! お前は今、何をやっているのか分かっているのか!?」


 そう声を掛けられ見てみれば、俺と違う場所の管轄をしている魔法使い達がいた。陰陽師の様な格好をしているが、何時も会う事は無かったし、あまり見慣れない格好だ。


そして、何をやっているか、だと?


「見てわかるだろ? ――悪魔を殺している」

「くそっ! 魔法使いレベスケノン暴走! 繰り返す、魔法使いレベスケノン暴走!」


 応援を呼べだ、連絡をしろだとぎゃあぎゃあ騒がしくなる。喧しい奴らだ。


 そして飛んできたこの、風の拘束だの、氷の枷だの。鬱陶しい事、この上ない。動かない筈の左手を振り回せば、強引にとは言え一瞬で振りほどけたが。


 ふと気付いたのは、俺の左手がぐちゃぐちゃに変化している事だった。全体的に三,四回り大きくなっており、関節は節くれ、凡そ人のそれとは思えない形となっていた。まぁ、姿かたちはどうでもいい。問題は能力だ。


 力強いこの手なら、悪魔を殺す程度造作もない。グッと握り込めば、持っていたクレイモアがグシャリと丸まってしまった。まぁ、いい。もう使いはしない。右手に持った銃があれば、今はいい。


 照準を前に向ける。逃げようと、或いは防御を固めようとした魔法使いの頭にワントリガー。すぐに、血だるまが一つできる。横に滑らせてもうワントリガー。もう一丁追加だ。ついでにもう一発と打ち込んだ弾丸は、辛うじて防がれてしまった。


 狙った魔法使いが防いだ、ではない。横からの介入者によって、だ。


「……ねェ、銀二。私、何時モの貴方ガ好きヨ」


 そうかい。俺も、嫌いじゃない。だから、ちょっと其処を退いてくれないか。悪魔に手助けする、悪い魔法使いを倒さないといけないんだ。


「だカら……貴方ヲ、命ガけで止メるワ」


 お前まで、殺したくは無いんだ。


 だからさ。


 なぁ、エレイン。其処を退いてくれ。




 これが、人生で数え切れない傷の内、もっとも忘れられない傷の一つとなったものだった。

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