第三十六話 デート(?)の準備
何とか自意識を取り戻したのが、翌日の十一時。血を吐くような気分で起き上がった。最近、酷く寝起きが悪いな。氷の手錠は消えていた。尚美先生の説明はうろ覚えだったが、とりあえず俺が暴れたことと――
症状の進行に、俺の中に"入ってきた"何かが関係している事。
無論、俺も前の戦闘時、意識が飛ぶ寸前まで記憶は残っている。あの黒い靄が俺の体にめり込んだのに、何も起こらないなんておかしいとは思っていた。だから、中から正体不明の何かが"食い破ろうとしている"といわれて、恐ろしく思うと共に納得もしたのだ。
ただ、こうしている間にも、卵の殻を突き破るように俺を食い破ろうとしていると思うと、恐ろしいのに変わりはない。明らかに体に悪い物だから、尚美先生も取り除こうとしているらしいが、魂レベルの問題なので上手くいっていないらしい。
それに、エレインには悪い事をした。殆ど自意識なく暴走していたとはいえ、傷付けてしまったようだ。「ちょっとした掠り傷だけ」と先生は言っていたが、それでも傷は傷だろう。何をやっているんだか、俺は。
静かだ。不意に思う。とてつもなく静かだ。最近は回りが騒がしい……いや、賑やかだったからこそ、酷く静かに感じられた。何時もの事だというのに。
今は、もうそろそろ日が上ってくるころだろうか。
こうも静かだと、随分色んな事が頭に浮かぶ。考えなくて良い事まで。ただ、全部纏まらなくて、泡みたいに浮かんでは割れて消えていった。
ふと、部屋の外に気配を感じた。
「誰だ?」
脊髄反射で、思わず問いかける。それは自分とは思えない無感情な声であった。ふぅ、という溜め息と共に出てきたのは、エレインだった。ズキリと、胸の何処かが痛んだ気がした。
「大丈夫?」
「……そっちこそ。大丈夫だったか? ……すまん」
「別ニ、大丈夫だかラ、あンまリ気にシナいでヨ」
そうはいわれても、その細い右手に撒かれた包帯にはどうやったって目が向く。それが自分のやったことだと言われれば、尚更だ。後ろめたさに、目を背けた。
「……」
「……」
痛い沈黙。お互いに遠慮している。初めて会った時、と言っても二週間弱か。あの時よりも悪化している。頭をボリボリと掻いて考えた。だが生憎、人付き合いの無い俺には、気のきいた台詞など吐ける訳もなく、エレインの方を向いた。顔は見なかったが。
「エッと、ネ」
そんな沈黙を破って、エレインが声を出した。あぁ、と生返事を返す。
「明日、チョっとしタ散歩にいくのヨ。それデ、その。銀二も、一緒に来なイ?」
散歩。の、誘い? しかし、また暴れだしてしまうかとおもうと、少し怖いのだが。それに、街中と言うなら尚更。その旨を伝えると
「今度ハ私がぶン殴っテでモ止めルワ。それジャ駄目?」
そう言われてしまうと、こちらとしては断りようも無い。彼女が気にしていないなら、
問題は無い。それに、此方には負い目もあり、おいそれと断る気にもなれなかった。
「……明日だよな?」
「! う、うン! 明日の朝に呼びにクルから寝坊しなイでネ!」
負けてしまった。
いや、別に勝負をしていた訳では無いのだから、押し切られてしまった感じがする、と言った方が正しいのか。まぁそんな事はどうでもいい。おしゃれ着なんて物は存在しないのだが、良いのだろうか? まさか、魔法使い流の鎧である魔法強化パーカーを着ていくわけにも行かないだろう。
しかし、まともに着ていける服がないと言うのは、実際不便極まりない。だが、どうする事もできない。仕方ないし、両親に服を頼もうと考えて、はたと気付く。そう言えば、パーカーを隠し戸にしまっていない。仮面もだ。
そうなると、家族に来てもらう訳には行かないだろう。まだ、真実を明かす気にはなれなかった。どうするべきか。首を捻った。
と思っていたら、何もかも察したように尚美先生が男物の服を手に入ってきた。テレパシーでも持っているのではあるまいか、と驚きながらそう伝えると、呆れた様に先生が
「貴方のことだから、どうせこんな事だろうと思ったわ」
と言った。まぁたしかにその通りだが、そう言われてしまうと少し恥ずかしくなる。男物の服は実におしゃれで、機能性もありそうだった。
「元は父のだけど、良かったら使って」
そう言われたが、別に否はない。元々無い服を貰えるなら、別に無問題だった。
渡されたのはまぁ、普通といってしまえば普通の物なのだが。ファッションセンスの無い俺でも、「あ、着こなせたらかっこいいかも」と思ってしまう感じだ。
ポーチらしき物が多めに付いたミリタリー(という奴と思われる)カーゴパンツ。白いシャツ、黒いベストと来て、濃い緑色のコート。首元にファーが付いてる奴だ。……俺が本当に、こんなにおしゃれな服を着て良いのだろうか。尚美先生に聞こうとしたら、先生はもう居なかった。
いつもの事ながら、不思議な人だと思う。存在感はかなりどっしりとあるのに、ふと気付くと居ない。気配をコントロールしているように感じるが、大人とは皆ああなのだろうか? だとしたら、恐ろしい限りだ。
まるで着た事もないような服を、おかしくないかしっかり確認しながら着ていく。こうで合ってるよな……? まぁ、どんな服だろうと何時も着ている物よりかは悪くはならないだろうが。
チャチャッ、という訳には行かなかったが、全部一度着込んで見た。あー、何だろうな、この違和感は。
鏡を覗きこんで見ると、思わず「だれだこいつ」と呟いた。どこのモデルかと疑う様相である。着こなしてる感が凄いが、これを初めて着たのだと言って、何人が信じるだろう。我ながら、良く似合っているのではないだろうか。
……まぁ、着るのは明日だから、すぐ脱ぐのだが。まぁ、良い服を借りれたと思おう。そう思ったら、尚美先生の気配が近付いてくるのを感じた。
「あら、結構似合ってるじゃない。良かったわ。もう着られないから、これとかも持って行って良いわよ」
尚美先生はその手に大量の服が入った紙袋を持っていて、それをベッド脇の台に置いた。こんなに親切にしてもらって良いのかと聞くと、「若いんだから、そんな事気にしたら駄目よ」とウィンクで返された。
まぁ、散歩の時だけでも、とりあえず借りておく事にしよう。にしても散歩か。……うん? エレインと散歩? 思い上がりかも知れないが、それってデートとか言う物ではないのか。
そう気付いた瞬間、頭が停止した。俺はデート(?)の準備をしていたのか? と。同じ時、エレインも悶えていたのを俺は知らない。
駄目ですね。何をトチ狂ってこの回を書いたのかおぼえて無いです!




