第三十一話 エレインの昔話
そうこうして、「絶対安静ね」と尚美先生に言いつけられて、俺はベッドに暫く居座る事になった。だが、読む本も無ければ、すぐに飽きるという物。テレビは使い方がよく分らない。テレビカードって何だ?
パタッ、と諦めた俺は、ベッドに倒れ伏 した。別にいいか。少しぐらい休んだって。寧ろ、最近は働き詰めだった。……考えてみれば、たった二週間弱か。インプ八十二匹、ボガート二十一匹、ヘルハウンド二十七匹、オーガ二匹、下級妖怪十数匹、ドモなんたらとかいうネームド成り立て一匹、ベヒモス一匹、ゾンビ無数、鬼女一匹……このぐらいか。
二週間に詰め込みすぎと言う他無い。エレインに任せるのは心苦しいが、改めて数えて見るととんでもない数を屠ってきている。今日一日、いや後二日ぐらいは休んだって文句は言われない、筈だ。
暫くベッドで寝返りをうっていたが、扉の開く音で上半身を起こした。
誰が来たのかと目を向けてみれば、そこにはエレインが立っていた。何故涙目なんだろうか? 俺が疑問に思って首を傾げれば、エレインが口を開いた。
「銀二! 大丈夫なノ?!」
そんなにがっついて来られると、吃驚せざるを得ない。駆け寄ってきたエレインから体を仰け反らせた。別になんともない旨を伝えると、「良かっタ……」と心底安心したような声を出しながら、俺の手を握った。……柔らかい。
じゃなくて、何で俺の手を握っているんだ? 俺は疑問でならなかった。
「心配、してたノ。貴方がもウ、目ヲ覚まさナカったラ……っテ」
心配してくれていたのか。悪いことをした気がして、後頭部をぼりぼりと右手で掻いた。そう言えば右手の火傷も酷かった気がするが、特にこれと言った痛みを感じないのは何故だろうか。右手を見たが、包帯がぐるぐる巻きになっていて分らない。
ふと、いやな予感がして正面を見直したら、エレインがうるうると涙ぐんでいた。何故!? 困惑するのも束の間、エレインが泣き出してしまった。
「ひっぐ、ひぐ、えぐっ」
「え。お、おい!? ちょ、ちょい、おま!?」
泣いている女の宥め方なんて知らないんだが!? どうすればいいんだよこれ! しかも、ベッドの上で泣かれてるから知らん振りもできないぞ! 俺がどうしようもなくわたわたしていると、尚美先生が扉からチラリと顔を出してクスクス笑った。
「あ、銀二君が女の子を泣かせてる。意外と色男ね?」
「ち、違いますよ! 先生、助けてください!」
その後、先生に助けてもらえるまでエレインが泣き続け、俺はどうにもできなかった。触って良い物か混乱するし、撫でるなんて論外。論外だ。俺には到底できない。モテる男って奴は一体どういう神経をしているんだろうか。
エレインが一旦部屋を出て行き、俺が息を整えていると。不意に、尚美先生がベッドに腰掛けているのに気付いた。何か用だろうか?
「ちょっと昔話をさせて。いいかしら?」
唐突な問いに、まぁ問題は無いかと俺は頷いた。先生は「そう」といって続けた。
「エレインちゃんのお話なんだけどね。……彼女、昔は弟が居たのよ」
へぇ。意外だった。何となく一人っ子かと思っていたのだが、弟がいたのか。しかし、"昔は"と付くからには、今はもう居ないのだろうか。俺は無言のまま考え込み、先生は尚も続けた。
「彼女と同じく魔法使いだったんだけれどね? ある日、自分の力の限界に気付いちゃったらしいのよ」
自分の、力の、限界。嫌な言葉だ。悪魔と戦い続ける以上、ある程度は強くなければならない。そう思うと、どうしてもその言葉は忌避しなければならなかった。
「名前付きと丁々発止の戦いを繰り広げる姉と、下級悪魔を蹴散らすのが精々の自分を見比べちゃったのね」
「それで……悪魔に縋ったか、じゃなくて、縋ったんですね」
「そうよ。よく分ったわね」、と先生がいった。別にどうと言う事はない。よくある話だ。悪魔と戦う上で何かをすり減らし、削り、失う。そんな日々を繰り返していると、心の亀裂を何かで埋めたくなる。その時に、仲間すら失い、頼れなかった奴らが悪魔に縋る。
そう考え、はたと気付いた。まんま、俺の今ではないか? 違いは、仲間をそもそも持っていなかった事だが……。いや、そんなことがあるものか。俺は頭を横に振って、先生の話を聞くことにした。
「それで、ね。悪魔と契約した弟君は、そのまま悪魔になってしまったのよ」
悪魔になった。とすると、大方「力が欲しい」とでもいったか。それで、悪魔の力を授けられてしまったと。その位、考えれば分りそうなものだが……。
「悪魔になった彼は悲しみ、怒り、絶望し、そして……狂ったのよ」
狂った。その言葉が耳の中で転がっていく。狂った、か。
「彼は、残った理性か何かでエレインちゃんの所まで行って、彼女に殺された」
ズキリと胸が痛む。そんなことがあったのか。自分の弟を、自分の手で……。俺は、できるだろうか? 妹や弟がいない俺は、兄と姉を対象に考えてみた。――できるのか。できてしまうのか? 俺の思考する部分は、少なくともそう考えた。
「それで、彼女は今も随分傷ついてる。見えては居ないけれどね」
彼女も痛みは、傷は、如何程だろうか。計り知れない。少なくとも、俺にはわからない。
「弟君、ね。貴方によく似てるのよ、銀二」
――俺、に? 姿が? 性格が? 声が? 行動が? 人格が? 先生は俺の問いに、「全部よ」と答えた。「姿も、責任感が強い性格も、低い声も、独り善がりも、全部」と。彼女自身自覚していない何処かで、無意識に重ねているらしい。そう続けた先生の声が、耳を右から左へと突き抜けていった。
彼女との付き合い方が今一よく分らなくなって来た。こんな話を聞いて前と同じように振舞う事が、俺にできるだろうか。少し無理がある気がする。俺は、そこまで器用な人間じゃない。右手の掌を見つめた。
「ちょっとだけ、気に掛けてあげて。押し潰されたりしないように」
気にかける、か……。エレインの痛みを云々なんてできない。ただ傍に居るぐらいしかできない。俺のこの手は、下手な持ち方で剣を握りすぎたせいでタコだらけになったこの手は、悪魔を殺すぐらいしかできないのだから。神妙な顔をしているであろう俺に、先生が唐突に声を掛けた。
「まぁ、丸三日も寝てれば誰だって心配すると思うけどね」
すいません、先生。エレインの昔話以外聞いてません。そういうと先生は「あら?」と首を傾げた。




