第三十話 寂しいやつ
三章は暫く戦闘がありません
暗い。此処はどこだ。奇妙な落下感だけを感じていた。うっすらと目を開けると、まだ子供の時の俺が目に入った。
――多分あれは、中学二年も終わり頃の姿だろうな。
「えっぐ、ひぐっ」
……何を、泣いているんだろうか。
「辛い」
何を今更。俺はソレを覚悟して魔法使いになったんじゃないか。茂文の婆様の遺志は、使命は、酷く重い物だと知っていて背負ったのだろうが。
「寂しい」
それも今更な話だ。今に始まったことじゃないし、非純魔力のせいで近くに居てくれる奴なんて元々居なかっただろうに。
「誰か、誰か――」
「傍に居て」
――煩ぇ。俺はその甘ったれたガキの頭を全力で殴り飛ばした。驚愕の顔のまま凄い速度で吹っ飛んでいったガキに、俺は拳を構えたまま言った。
「甘ったれてんじゃねェッ! これからお前は後四年、一人で戦っていかねばならんのだッ!」
だから、甘ったれてくれるな、と。夢なんだと分っていても叫んだ。そうでなければ、自分が急に弱くなってしまう気がした。傍に誰も居なくても、俺は前を向いていかなきゃいけないんだよ。俺は自分にそう言い聞かせた。
瞬間、俺はおぞましい何かを感じて振り返った。
「ほおぉぉぉんとぉぉぉにいいぃいい?」
それは、俺じゃない何かだった。俺の、中学二年の頃の姿こそしているが、目から黒い何かがあふれ出し、手足はあらぬ方向へ捩れて曲がっていて、しかしそのおかしな方向の四つ足で立って此方を見据えていた。"本当に?"だと? 当たり前だ、だって――
「ほぉぉぉんとおぉおに、ひとりじゃなきゃ、だめだったのかああぁぁぁぁ?」
しかし、俺のそんな思いを無視して、その俺もどきは此方に走って来た。そうして、俺の頭に飛び掛って――
「ほぉぉぉんとおおにぃぃぃ、お前じゃなきゃ、だめだったのかああぁぁぁ?」
「あ゛あ゛あぁァァァッ!?」
ガタンッと音がして、自分がベットの上に居ることに気付いた。此処はどこだ? キョロキョロと頭を左右に振って、"尚美先生の診療所だ"とおもった。息が荒いのを感じながら、辺りを改めて確認した。俺もどきは、そこには居なかった。
額の汗を拭って、ふぅ、と一息吐いた。とりあえず、一旦の安全は確認できたと、ベッドから降りようとしたとき、自分の腕に点滴が付けられている事を知った。何故だ? 必死に記憶を手繰り寄せて、女悪魔を討伐した所までは思い出した。そこで、意識が途切れた所までは。
肌に違和感を感じさせている点滴を引き抜こうとして、何時の間にか部屋に入って来ていた尚美先生に止められた。
「引き抜かないで欲しいのだけれど? ……おはよう、銀二君。あんまり良い夢は見られなかったようだけど」
すたすたと近づいて来た先生が、引き抜こうとしていた俺の手をゆっくりと退かしてしまう。非常に違和感を感じるのだが……まぁ、いいか。ベッドの上で上体を起こしたまま先生と向き合った。
「それで……問題はないかしら? 体に異常は?」
先生が先日と同じような、深刻そうな顔のまま俺に聞いた。俺は、(左手は包帯ぐるぐる巻きだったので)軽く右手の手首をくるくると回してみた。肘を曲げ伸ばし、一応そっと足も曲げ伸ばししてみる。……特に問題はないと思う。先生にそう伝えれば、ホッとしたように先生はそう、と言った。
「驚いたわよ。左手が焼け焦げたボロボロの銀二をショーンとエレインが運んでくるんだもの」
「それは……」
申し訳ないというべきか、大変だったと他人事の様に済ますべきか。少し悩んだ俺に、尚美先生が「愚痴だから気にしないで」と言った。
「エレインから聞いたけど、強い悪魔との戦闘があったんだってね? "宇宙への呼びかけ"は使ってないわよね?」
それは、約束通り使っていない。そのせいか大分苦戦したが。いや、あれはオベリスクがコアな事に気付くかどうかだろうな。
「……なるほど、ね。じゃ、気を確かにもって、これを見て」
先生が差し出したのは、手鏡だった。ピンク色の外枠のソレは、魔法的な効果もこもっていない極一般的な物にみえる。手に取って自分の顔を見て見た。
俺の黒く短い髪に、幾つか白髪が混じって居る様に見える。若白髪か? そして、左目の瞳の形が心無しか崩れているように見える。
若干違和感があるが、"これがどうしたというのだろうか"。
「どう思う?」
「どう、って……ちょっとおかしいですね?」
それがどうしたというのか。俺は心底思ったことを先生に言った。先生は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。何か、おかしな返答をしただろうか? 俺は首を傾げた。
「精霊化現象が進んでる」
先生がボソリと呟く。精霊化現象が? ――そうか。おかしい違和感はそれか。俺は少なくとも戦闘前は白髪なんて生えてなかったし、左目も普通だった。今度は精神ばかりではなく、肉体まで侵食してきている? だけど、"宇宙への呼びかけ"は使っていない筈だ
思わず左目に手が伸びた。鏡の中の俺も左目に手を伸ばしている。崩れた瞳は変わらない。左目の前で軽く手を振る。……ちゃんと見えている。視界は問題ない――?
「……先生」
「えぇ。……暫く、安静にしないといけないわね、これは」
やれやれ、と言わんばかりに尚美先生は頭を横に振った。不満だが、しかしこれで戦闘に赴くわけには行かないだろう。万が一何かあった時、取り返しがつかない。
驚きだ。俺の中にまだちゃんと理性ってものが残っていたんだな。包帯でぐるぐる巻きの手を見た。俺としては、まだ信じられないところだった。前の俺だったら、多分こんなことにはなっていない。段々愚直になって来ているような気さえする。
左手は問題なくグーパーできるようだったが、軋む様な痛みが襲う為、正直これはまともに動かせない。右手も散々棍棒と打ち合わせたせいか、まだビリビリとした痺れがのこっている――というよりは、鈍い筋肉痛の様な物を感じる。
暫くは休養、か。……参ったな。休日ってどうやって過ごすんだっけかなぁ。大きく溜め息を吐く。俺って、寂しいやつだなぁ。そんな事をおもった。




