第二十七話 規格外の悪魔
雨が降りしきる中、悪魔に対して向かい合う俺とエレイン。エレインが先制攻撃に風の刃を迸らせた。女悪魔は、何処から取り出したのか、手に持った棍棒でそれを打ち消すと、こちらに向かって走ってきた。
「させるか、よッ!」
前に割り込んだ俺が、盾を呼び出して棍棒を受け止めた。エレインはどちらかといえば後衛型だ。俺が前に立って前衛をやるべきだろう。ただ、棍棒の一撃が滅茶苦茶重い。足が二センチメートルほど地面にめりこんだ。どんな馬鹿力で叩いてきているんだ?!
「アハハハッ! アタシが殴って倒れなかったのは久しぶりだねェ!」
「くそ、馬鹿力女め!」
剣なんて持っている場合じゃない。剣を投げ捨てて盾を両手で構えた。エレインがいなければ剣で殴りかかっていたところだ。そんな事を思いながら、掛け声と共に構えた盾で再度飛んできた棍棒を左へ受け流す。かなり重いが、それでも何とか受け流せないことはあるまい。これなら何とか――ッ!?
ほんの僅かに気を抜いた瞬間、盾から両手に伝わる鈍い衝撃。浮かび上がろうする体を全力で押さえつければ、地面を踵で抉りながら水平に滑る体。何だと!? 今ので砕け散ったガラス窓から見てみれば、拳を突き出した体勢の女。まさか、まさか。振り切った棍棒はそのままに、素手の殴打だけでこっちを吹っ飛ばしてきやがったのか!?
「俺の体重合計、何キロだと思ってやがる…ッ!」
俺の体重が十数キロだというならまだしも、高めといわれる程度の身長の俺は少なくとも六十キロはあるはず。それに、筋肉も同年代よりかなりついていると言っていい。七十は余裕だ。なのに、目算で7メートルは飛ばされたぞッ!?
「ギ、銀二! 大丈夫?!」
「問題ないッ!それよか、攻撃に集中しろ! 奴さん、鬼火みたいなの放とうとしてるぞッ!?」
馬鹿力に加えて、魔法まで行使できるのかよ! 自分で言っておいて、悪態を吐く。むちゃくちゃな奴だな、クソがッ! 悪魔は何時もこうだけどな! と。
掌から軌跡を残して迸るのは、エルシェイランにも似た炎の渦だ。しかし、彼はあそこまでどす黒くはないぞ……ッ!
「火よ、総て飲み込む――」
こりゃ、詠唱と印は間に合わんな。迫り来る渦の速度を見て、静かにそう思った。こうなれば、やることは一つである。掟を破ることになるが、婆様、許してくれ――ッ!
「エルシェイラン! 頼む!」
任せて。そんな囁きが聞こえた気がする。……魔法使い連盟の禁忌とされる、詠唱放棄だ。俺とエルシェイランなら、設定などしていなくても短い言葉で使える。セリンテの爺にも深く戒められている物だが、そんな事を言っている場合ではあるまい。なにせ、運動場の土が溶岩の様になっているのを視界の端が捉えているからな。
エルシェイランが俺から魔力を吸い出して、俺の盾より少し前ぐらいに炎の壁を形成する。炎の渦とぶつかりあったそれが相殺される。だが、俺の乏しい魔力から捻りだされた壁より、僅かに炎の渦が勝ったようで、俺の盾に高熱を撒き散らして消えた。
一瞬、遅れて伝わってきた熱が、俺の手を一息に焼き焦がす。
「ぐうぉああァァ――ッ!?」
手が焼きついて離れなくなってしまう事を外そうとしたが、踏みとどまった。右手だけを引き剥がして、左手の苦痛に耐える。見なくても分る。真っ黒焦げだ!
「お、オぉぉ――ッ!! いっ、てぇェェ!」
「な、何してるノ!? 盾を捨てテ!」
"手が! 手が! 離さないと!"そう何処か叫ぶ俺の理性を踏みにじり、脳の奥底へ叩き込む。――今、理性など必要ないんだ。悪魔を殺すのにそんな物はいらないんだよ。
熱く燃えるように苦痛を訴える左手を握り潰す勢いで再び掴む。取っ手にまで及んだ熱はしかし、俺の左手を盾から離すことは適わない。どうせ、幾らでも直る。死にさえしなければ何とかなる。どっかできいたな。"弾丸が貫通する一瞬を耐えれば、死など恐くない"と。
「問題……ねェよ。さっさと、殴るぞ」
比較的無事な右手も、ちょっとモザイクをかけなければならないレベルに火傷を負っている。黒く焼け焦げ、少し膨張した腕を視界の端に捉える。だが、この程度なら。問題はないだろう。右手に剣を呼び出せば、何時もの重量感を手に感じ取れた。
エレインからの返答がない。振り向けば、唖然としたというより、怒ったような顔で涙目な彼女が目に入った。
「どう、したよ?」
「ッ! ……後デ、ナオミの所に、叩き込ムかラ……ッ!」
ナオミ? あぁ、処置はしないといけないな。傷がのこったら大変だしな。エレインの言葉に返答はせずに、また振り向いた。トン、トンと一定のリズムで肩を棍棒で叩く悪魔の女が目に入った。ちょいと腕がひりひりするが、大丈夫だろう。
「それで、話は終わったかい?」
女がガンッ、と棍棒を地面に叩き付けた。軽くクレーターができるのを見て、威力の再確認を済ませておく。
女が走り出すと同時、俺も全力で地を蹴る。巨大棍棒を苦にしていない分、軽装といえる女に比べて、俺は塔盾に剣の重装備。その差があって足取りはあちらの方が軽やかだが、俺を見据えている辺り後ろに行く心配はなさそうだ。
上からの大上段で振り下ろされた棍棒を、盾でも軽く逸らしながら紙一重で避ける。髪をちりちりと巻き込んで、地面にクレーターを作り出した棍棒に目もくれず、剣を振り回す。しかし、技術もへったくれもありはせず、ただがむしゃらに振るっているだけだ。
ボードがあれば良い物の、アレは今修理中だ。
痛痒が与えられれば良い物の、全力で叩き付けたはずの女はまるで堪えていない様子。此処までくると、笑えて来るな。地面を大きく抉りながら上空へ打ち上げるように振り回された棍棒を盾で真正面から受け止める。瞬間、大きく宙を舞う体。
着地姿勢をと思った瞬間、急に目に見えぬ手に捉えられ、そのまま地面へと優しく下ろされた。風を感じる。エレインの魔法か。その直後、見えぬ風の刃に女が両手を交差させて防いでいるのが見えた。
ありがたいな。しかし、随分と規格外の悪魔だ。剣を叩き付けられても殆ど効かないタフネス、即席・粗製とはいえ、エルシェイランの壁を越えうる魔法。そして何よりも、一撃まともに受けただけで死に至りかねないその圧倒的パワー。
結構、難敵になりそうだ




