第十二話 随分久しぶりの日常
その日はお祝いをしようとする両親を、「勉強しないといけないから」とゴリ押して部屋に篭った。実際、勉強もしないといけない。とりあえずパジャマから部屋着に着替えて、机に向き合った。広げたまま一文字も進めていない宿題を見て、大きく溜め息を吐いた。課題は山積みだというのに、これだからいやだ。
とりあえず椅子に座って勉強し始めた。流石に、国語以外を四十とか五十を切った点数で就職できるなど怪しすぎるだろう。唯、元々出来は良くない頭だ。勉強しているはずの事が頭からスポスポと抜けていく。それでも、何とか六十点はこさないと、とシャーペンの尻でこめかみをグリグリしてどうにか詰め込もうとした。
二時間ぐらいしてようやく要点だけは何とか叩き込むと、教材を閉じた。椅子に背中を預けて、大きく息を吐く。これを含めて、さらに応用とかその他諸々を、俺と同じ勉強時間で詰め込むのは凄いよな。一般生徒って大変だ。椅子をクルリと回して時計の方に振り向いた。今、10時ぐらいか。
立ち上がって思いっきり伸びをした。ペキペキペキっと背骨と肩が鳴る。正直、きつい。いや、自分には必要ないのに、なんて考えているから習得が遅いのかもしれない。綾取りは別にやる気分でもない。本を読もうにもそれも無い。ゲームなんて論外だ。さて、どうしようか。
ふと、剣道顧問の「どうしようと思ったら勉強だ!」というアホみたいな言葉を思い出して、ベッドに顔を埋めて追い出した。自分は集中力が無いタイプの人間なので、これ以上詰め込んだら傍から落ちていってしまう。
ふう、と溜め息をついて一階まで降りる。最近、どうも体の節々が痛い。成長痛って訳ではないだろうな。去年から身長は178cmで止まったままだ。充分大きいから問題ないが。一階に下りると、流石にもう父さんも母さんもいなかった。当たり前か。色んな所に話をして来ないといけないんだから。
そう言えばと食べていなかった朝飯を改めて食べつつ、何となく兄と姉の事を考え始めた。
兄は十八歳で、姉は十七歳の時に一人暮らしと、それぞれがアーティストとして生きると言う事を決心していた。今四年たっているから、兄、一が二十二、姉、湊が二十一歳だ。彼らが独立という名のデビューを果たしていたのは、俺がまだ魔法使いとして熟練してなかった頃なんだな。今更の様に思い出す。
兄も姉も、随分馬鹿な決心をしたんじゃないだろうか。いや、魔法使いの俺が言うべき事でもないかも知れないが、揃いも揃って両親に負担を与える道を選んでいる。
一体、どんな思いで決心したのだろうか。自分には才能があると思ったのだろうか? それとも、なにか切欠があったのだろうか。分らない。でも、成功してきているんだから、それなりに才能はあったんだろうな。
朝飯も食い終わって、何となく散歩することにした。故人曰く、思い立ったが吉日、とも言うしと何となく着慣れた深い緑色のパーカーに、藍色のジーンズを着て外にでた。燦々と照る太陽はやや黄色く感じた。
パーカーのポケットに手を突っ込んで、フードも付けて黙って歩いていく。正直、不審者感MAXだが、どちらにせよ学生服でも職質されるような俺だ。どちらにしたってそう変わりはしまい。
東京を徒歩で出る。結構郊外のほうなので、余り苦労はしない。それに、行きやすいショッピングモールも郊外のほうだ。行きやすいとは言っても、一年に一回行くか行かないか程度だが。
以外と適当に街を散策しているだけでも楽しい物だな。こういうのんびりとした散歩は久しぶりだったからそう感じるのかも知れない。何時も"掃除"がてらの散歩だったり、散歩だったりして、最近ゆっくりできていない。
ふと前を見ると、公園だった。あれ、此処何処だろ。……あっちに案内板があるし、帰るときにでも確認すれば良いか。俺は公園の名前も確認せずに、ズンズン入って行った。
緑が深い。けれど、雑草はきちんと刈られていて、清潔感がある。土曜日だからか、人影は少ない。犬の散歩らしき爺さん婆さんとか、赤子を連れた奥さんだとか、その辺りがちらほらと居るだけだ。目に付いたベンチに座り込んで、何となく公園全体を眺めていた。
見ていると子供の集団とか、ママ友集団らしき物とか、DQNっぽいグループも歩いてきたりしているのが目に入った。何となく聞き耳を立ててみた所、近道として結構使われている事がわかった。まぁ、学校は反対方向だから絶対に使うことは無いが。
深く息を吸って、はいた。心が落ち着いていく気がする。なるほど、空気がうまいというのはこう言う事を言うのだろう。少なくとも、東京の排気ガスがつまりにつまったような、人ごみにもまれながら進まなければいけない空気とは、決定的に違う気がする。
いや、所詮俺の主観か。すぐそこの街灯時計では、十三時になっていて、何となく公園の周りの人通りも少し多くなっている気がする。そろそろ帰るか。とはいっても、飯は何も用意してないけど。
と、思って立ち上がった瞬間、後ろから意外な声が掛かった。
「銀二君?」
誰だ、と思ってバッと振り返ると、そこにはクラスの高嶺の花、怜奈が立っていた。白いワンピースのスカートの端っこが風でひらひらと揺れているのが視界に写っている。
「怜奈? なんでこんな所に?」
「銀二君こそ。私はまぁ、休日ですし、ちょっと遊びに来ただけです。銀二君は?」
俺は、と言いかけて詰まった。散歩しに来ただけだ。でも、何となく躊躇った。一瞬だけ、怜奈に迫力とかそういうものを感じた。何だろう? まぁ、気の迷いとか言う奴だろう。そう思って、改めて口を開いた。
「俺は唯の散歩。最近ゆっくりできてなかったからな」
「へぇ……勉強はどうですか? 捗ってますか?」
そういわれると、余り進んでいない気がする。とはいっても、幾ら勉強しても不安なのは俺の常だ。だからまぁ、とりあえず何とかなるだろう。赤点だけは免れているし。
「まぁ大丈夫だろ。ちったぁやってるさ」
怜奈があまり信じていない顔でこちらを見つめた。流石に、日頃の行いが悪いせいだな。「ちゃんとやってるって。それじゃあ」と言って、怜奈に背を向けた瞬間、俺の背に声が掛けられる。
「ところで道、分ってます?」
……そう言えば、何処をどう来たのかも覚えていないのすら忘れていた。困った笑いをして振り返った俺は、結局怜奈の案内を受けることになった。次からちゃんと道を覚えておかないとな。
それにしても、随分久しぶりの日常だった気がするな。いや、毎晩毎晩非日常を経験しているからこんな事を思うんだろうな。




