第十話 何光年も先から
体が燃えている。いや、燃えているのではなく、俺その物が炎となっているんだな。この感覚は久々だ。エルシェイランが、心底楽しそうにクスクスと笑っているのが耳元で聞こえる。
何がおかしいのかと問えば、銀二と一つになれるのが久しぶりで、何より楽しいと、そんな言葉が帰ってきた。明確に答えた訳ではないが、俺の頭の中に浮かんだ言葉は大体エルシェイランの言葉だと知っている。
ベヒモスが後退りしている。何かと思ったが、エルシェイランが燃えやすそうと言った事で思い出した。熱に弱い皮を持っているなら、炎は恐るべき物だろう。唯の焚き火程度なら踏み潰せば良いだろうが、生憎ながらエルシェイランは火の精霊。そう易々と踏み潰せはしない。
軽く地面を蹴り上げると、ふわりと体が浮き上がった。重量があるのに無い、別次元の物質で構成されているからか。俺とエルシェイランが一つになると、重さの無い、不思議な生命体になる。重さを計測すれば空気並みに軽い。だというのに、殴ったり蹴ったりした時の衝撃からその攻撃力は七十キログラム前後、俺と同じ体重の奴が蹴る殴るした時と同じぐらいの衝撃があると言うのだから、不思議な物である。
浮き上がれば、ジェットエンジンでも吹かすように下に向かって少し炎を出せば、飛べる。ゆっくりとベヒモスの前まで飛んだ。ベヒモスは、異常に怯えた目でこちらを見ていた。
恐いのか。俺の口だけが動いて問いた。自分の存在が上書きされるのが恐いのかと。たとえ悪魔を殺しても、また次の悪魔が出てくるだけだ。
たとえばこのベヒモスが死んだとしても、新しいベヒモスが生れ落ちる。そして、何食わぬ顔でまたベヒモスとして活動を始めるのだ。悪魔達はそれを、「上書きされる」と表現する。そして、ソレを酷く恐れる。何故だろうか。
ベヒモスは、その言葉をどう思ったのか。そもそも、理解できていたのか。ソレは分らないが、怒り狂ったように腕を俺に向かって振り下ろした。
俺はそれをヒラリと避けて、象の顎下まで潜り込んだ。
「これで、お相子だッ!」
そのまま、脹脛の後ろ側からブースト。マッハの蹴りがベヒモスの顎下を襲う。瞬間、地上十二メートルぐらいまでぶっ飛ばされるベヒモス。まだまだ、攻撃は終わらない。空中コンボを決めに前進する。
そのたっぽんたっぽんの腹に足裏からブーストして突撃するように掌底打ち。地面と平行にぶっ飛ぶベヒモスを、更に後ろに回り込んで上に向かって股間を蹴り上げる。ベヒモスはオスとされるが、効くかどうかはしらない。今ので、地上三十メートルぐらい。
空中に打ち上げたのにも訳がある。測定がほぼ不可能に近いので憶測だが、約マッハ五程度で飛行できる俺と、約三十メートルはあるだろうの巨体であるベヒモス。どう考えても、地上で戦えば被害が大きすぎる。このまま、空中で完封するしか被害を抑えられない。とはいっても、ガラス全損ぐらいはするだろうが。
空中で色んな方向に跳んだり落下しそうになるベヒモスを無心のラッシュで空中におし留める。痛いだろうが、もっともっと上空に打ち上げなければならない。一撃でしとめるには加速が必要だった。ベヒモスも苦痛の為か、我武者羅に手を振り回すが、高速で航行する俺には掠りすらしない。
背中のぶよぶよした皮膚を引っつかんで全力投球。今ので、地上六百メートルぐらいか。
行けるな。
一気に加速してベヒモスと地上の半分くらいまで高速で落下する。そして、上を振り向く。じたばたと手足を動かすベヒモスが目に入った。この一撃で終わらせるか。あんまり痛くしてもかわいそうだ。なんていうのは、傲慢か。
ベヒモスの方向に再加速。全身がブースターとなって俺の体を押す。加速開始から〇.二秒程度で音速まで加速する。出鱈目に振り回した足が俺に当ったが、すぐにブーストが押し返した。地面に対してうつ伏せで落下中のベヒモスの胸の中心辺りに拳を押し付けた。
俺の体が最高速に到達するまで約一秒。その瞬間、ベヒモスの体が強く、もっと上空へ押し出される。重力を換算しても、俺の体は今秒速一.六五キロメートル。ベヒモスを押しているという状況下でも、大体秒速1キロは出ている。
急速に上空へ打ち上げられる俺とベヒモス。俺は一瞬だけブーストを止め、ベヒモスだけを先に行かせてから、再度急加速。拳を作って天へ向けるとベヒモスの胸に突入する。拳が肉を裂く感覚。ベヒモスの体の中で感じる、骨を圧し折る音。そして、一瞬キラリと見えたひし形の赤黒い結晶。ソレを掴み取って背中の皮膚をぶち破ってベヒモスの上へと躍り出た。
自由落下を始めたベヒモスを一瞥してから、手の中の赤黒い結晶体を見詰めた。幾つかの金色の文字が刻まれたコレは、悪魔ベヒモスを形作る魔力の核……心臓だ。さしずめ、象悪魔の心臓って所か。自分で言うのも何だが、凄い中二病だな。
肉体から切り離されたせいか、弱弱しく鼓動を繰り返すコアを見詰めて、渾身の力で握りつぶした。眼下に見えていたベヒモスの肉体が、サラサラと灰になって消えていった。仮初とはいえ、命が消え去るのを目の前で見ていて、何も感じないのは、この仮面のせいだ。と、思う。この仮面をつける度、人として大事な何かが欠落している。反吐がでる。だが、この仮面を捨て去るわけにもいかなかった。
地上に降り立つと、女が唖然としながら、しかし納得したような表情で俺の顔を見た。
「『貴方、結構強いのね』」
まだ燃える俺の体を見詰めながら、女はそう静かな声で言った。瓦礫に腰掛ける姿は、まるで人間大の陶磁器人形の様だった。ただ、一つ違うとするなら、その目に僅かな諦めが写っている所かもしれない。
「…まぁ、仮にも日本代表だからな」
と、そう返した瞬間、両手両足に強烈なひりひりとした痛みが襲う。思わずうめき声を上げた。炎がブスブスと黒い煙を上げて、俺の体から炎が、エルシェイランがゆっくりと消えていく。空中で黒い煙が人の様な形を作り俺にキスするような動作をして消えていった。
「『それで……私はどうなる?』」
「う、つつ…あぁ、悪魔召還で捕縛こそする事になるが、実質的な被害が…まぁ人的被害はないから、記憶を消されるだけで済むと思うぞ」
火傷の痛みに呻きながら、女の問いに返した。見た限り、女に魔力的反応はもうない。二度も油断したが、三度目はない。仮面の下から注意深く女を見据えた。
「『あの方は、残念がるだろう』」
「……あの方、とは?」
駄目元で、女の言葉に問いかけた。まさか、ベヒモスを一瞬で召還できるだけの魔力を込めた宝石を用意できるとは思っていなかった。できるだけ情報がほしく、女からこの場で聞ければいいと思っただけだった。
「『……あの方は』」
女が口に出しかけた瞬間、天より貫く閃光。
「ぐふぁっ!?」
「何!? 糞ッ!」
即座にドーム状の結界を発動。降り注ぐ光の矢を受け止めながら、女を軽く抱き起こしたが――すぐに悟る。もう助からないと。胸に大穴が開き、血管の様な物がその中で血を噴出しているのが見える。心臓らしき物が半分ほど抉れているのも。辛うじて生きてこそ居るが、完全に致命傷だ。聞こえるかも分らなかったが、俺は叫んだ。
「おい! あの方って一体誰だよ! 答えろ!」
「『あの…か、た…は……』」
女はそこまで言うと血反吐を吐き出した。俺の白いパーカーにかかって紅く染めたが、そんなことはどうでもいよかった。
「あの方は!?」
「『遥か…空の…果て……から…』」
女はそれだけ言うと、天に手を伸ばすようにして息絶えた。遥か空の果て? 何なんだ。思わず空を見上げると、星が綺麗に輝いていた。女の開いたままの目を、人差し指と親指でそっと閉じると、立ち上がった。要報告案件だ。
大破壊の跡のビル街で星が瞬く。遥か彼方、何光年も先からその光を届けている星だけが、これから始まる事件を知っていた。
お読みいただきありがとうございます。これにて、一章終了となります。
次回は過去話と、十一話を投稿する事になります。
2017/02/22 修正
重さを計測すれば空気並みに軽い0.003g程度 → 重さを計測すれば空気並みに軽い
攻撃力は56kg → 攻撃力は七十キログラム前後
前者は不確定な為、変動しても問題ない数値に、
後者は後の展開を書いている時に体重七十キログラム程度が適切と判断したためです。




