8・か、かわいすぎる……
「覚えていることは、なにもないの?」
「いや、そうだ。ディル……のような名で呼ばれていた気がする」
「ディルね。私はレナーテ」
「聖女レナーテか?」
ディルは記憶を失っていても、聖女である私の名は知識として残っているらしい。
「でも私はもう大聖堂に戻らないし、これから気ままに暮らすつもりなの。だから名前は……そう、レナって呼んでね」
彼の上腕に手を伸ばすと、ディルはまた身を引いた。
「だから触るな」
「安心して。ガラの根は毒されている相手が生きているうちなら、触れても毒性は強くないの」
「多少は影響があるんだな」
「そこまで心配しなくて平気だよ。それにあなたを治すためなら、毒くらい甘んじて受けるから」
「どうして、そこまで……」
「私はあなたを買ったのよ。だから私の好きにしてもいいでしょう?」
もちろんそれは私の一方的な言い分だ。
だけどそれでカイを……ディルを助けられるのなら、たとえ嫌われたり悪役になっても構わない。
「さぁ、横になって」
ディルは整った顔を私から背けているけれど、言われた通りに体を寝かせてじっとしていた。
誰もが見とれるほどの凛とした横顔が、私には不思議と前世の黒猫に見えてくる。
「か、かわいすぎる……」
「なにか聞こえた気がするが?」
「かわいすぎる」
「なるほど。さっきから聞いていると、お前は俺をペットかなにかだと思ってるようだな」
「それが嫌なら早く元気になって、私から逃げるしかないね」
前世から生き物は飼わない主義だけど……今日だけ、今日だけならいいかもしれない。
よしよしと撫でたい衝動をかろうじて抑えて、私はディルの黒く変色した皮膚をなぞっていく。
指先に祈りを込めると、聖なる光が滲みはじめた。
その輝きが毒で汚染された体に染みわたると、みるみるうちに健やかな肌色を取り戻していく。
「これは、聖女の祈り……? 浄化の力なのか?」
「効果があるかどうかは、体調に聞いてみて」
「すごいな。もう楽になってきた」
ディルのまぶたが下がって、うつらうつらしている。
平然としてふるまっていたけれど、毒を患っていた疲労は相当の負担だったはずだ。
「眠かったら、寝てもいいんだよ」
だけど浄化の効果が急激に効き過ぎていたり、ガラ根の毒の回りも早すぎたのは気にかかる。
記憶を失っていることもそうだけれど、鍛えられた体がガラの毒に負けてしまうくらい衰弱しているなんて、なにかおかしい……。
考え込んでいる私の指先に、彼の手が絡められた。
鋭くきれいな青い瞳が、じっと私を見つめている。




