75・前世からの贈り物
視界が突然、黒く塗りつぶされた。
目を開けているのに、先ほどとは別空間のように真っ暗闇の中にいる。
わずかな光を感じた。
ディルと繋いでいた手の先に、淡い輝きを放ちながら黒猫が浮いている。
「カイ!」
迷わず抱き寄せようとしたけれど、触れたはずの指は雲のようにすり抜けてしまった。
「そんな……」
カイから滲む、ほのかなともしびのような光が、じわりじわりと弱まりはじめる。
きっと最後の力を振り絞って、私に会いに来てくれたんだ。
その輝きが失われれば、きっともう会えない。
時間がない、早く話さなきゃ……。
わかっているのに、言葉がうまく出てこなかった。
「待って……待ってカイ。私は、」
伝えたいことが、思い出がありすぎて、声より先に目から熱いものがあふれて頬を伝う。
私はカイに、ずっと謝りたかった。
前世の私は嫌われ者で、いなくなっても誰も悲しまないはずだった。
だけどカイは苦手な人混みを駆け抜けて、私を助けに来てくれたのに。
傷つけてしまって、ごめんなさい。
闇の中で光が揺れた。
近づいてきたカイが鳴きながら、私に身体をすり寄せてくる。
その愛おしい仕草に触れられないとわかっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。
「カイ、ありがとう。私、知らなかったの。ずっと私のこと、守ろうとしてくれていたんだね。でもカイも知らなかったんだよ」
カイは顔を上げると、いつものように私の話をじっと聞いてくれる。
「私があなたの強さに、いつだって助けられていたこと。たくさんの願いを叶えてもらったこと。それに一番知っていてほしいことはね。カイは強くても弱くても、どっちでもいいの。私はカイのこと、まるごと大好きなんだから!」
私はカイと会えて、本当に幸せだった。
別れの悲しみはつらかったけれど。
カイが私と出会わなければよかったなんて、思わない。
いつの間にか、世界は光を取り戻していた。
気づけば私のことを、ディルが両腕で抱きしめてくれている。
泣き慣れていない私をあやすように、指で髪を梳くように撫でてくれた。
私が抱きしめていたとき、カイもこんな気持ちでいてくれたのかな。
「あいつはお前に抱き上げてもらうのが、気に入っていたようだ」
「ふふ、そうなんだ……嬉しい」
「しかしおそらく、あいつは俺のことを羨んでいるだろう。抱き上げてもらうのと同じくらい、こうやってお前のことを抱きしめたかったのだから」
カイの鳴き声が、今も胸の奥に残っている。
それに耳を澄ませると、彼が魂ごと私にくっついていた理由がわかった気がした。
「カイはきっと、ディルとの出会いを私に贈ってくれたんだね」
ありがとう。
そんな素敵な贈り物に気付けなかった私は、起こってもいない未知の別れを恐れて、離れることを望んでいたんだ。
ディルといればいつだって、最高に幸せだったのに。
「ディルに、今の私の望みを聞いてほしいの」
「ああ、聞かせてくれ」
「そばにいてもいい?」
「それは、俺の望みだ」
わかっていたのに、信じられない気持ちだった。
夢のように消えてしまわないようにと、ディルにしっかり抱きつく。
ここはいつだって、あたたかい。
「かわいいな」
あまり言われたことのない言葉に、私は 聞き間違いかと思って目の前の人を見上げる。
「え?」
「お前は本当にかわいい」
聞き間違いじゃなかった。
「えっと……」
そういえば、私は今までディルに散々「かわいい」って言ってきたけれど。
自分が言われた場合、どう返せばいいのかまったくわからなかった。
そう考えると私よりずっと、ディルはかわいがられるのが上手だったらしい。
「どうした? 黙り込んでかわいいな」
「あの。そ、それは私の得意なセリフだと」
「今は俺の番だ」
そっか、順番。
同時にかわいがりあうことは難しそうだから、確かに順番は守らないといけないのかもしれない。
「でも私、今の姿はディルの好きな白猫じゃないけど」
「猫はもう好きでも嫌いでもない。俺が好きなのはかわいいお前だけだ」
ディルは私を抱きしめたまま、不敵な笑みを浮かべた。
あれ、なんだか顔が熱くなってくる。
「ど、どうしたの急に」
「前世の執着だと思われるのは癪だったからな。これからは思っていることを言えば、俺の言葉だと信じてもらえるだろう」
「そ、それはもちろん」
「レナ、愛してる」
「……にゃーん」
反射的とはいえ、完全に間違えた。
はずなのに、ディルはなぜかこの返事を気に入ったらしい。
それから私は彼の腕の中から逃げることは叶わず、「かわいい」という讃辞を浴び続けることになった。




