50・では遠慮なく
あの黒猫がディルの変化魔術だろうと、予想はしていた。
でももしかして、私をこっそり見ている黒猫がカイだったら。
私から離れたあの子がディルの元へ戻らずに、どこかへ旅立ってしまったら?
魂が帰ってこなかったら、ディルは……。
私のそばに座ったまま、ディルは頭を寄せてくる。
「ほら」
「?」
「レナの望むだけ、好きなだけかわいがるといい」
これは……かわいがることを与えてくれている?
では遠慮なく。
お言葉に甘えて、指通りのいい彼の黒髪を撫でる。
ディルは目を閉じて、気持ちよさそうにしていた。
よかった。
カイの……ディルの魂はきっと、まだこの場にある。
「もしレナが俺の魂が消える可能性を案じているのなら、心配はいらない。前世から追いかけてくるような執念深いあいつが、お前からあっさり去るはずがないだろう?」
ディルの腕が伸びてきた。
ふわっと身が浮く感覚とともに、私はディルの膝の上に横向きで座っていた。
私の懸念を溶かすように、彼の指が私の背中を撫でている。
「あいつはなにもできない野良猫だったかもしれないが、これだけはわかる。自分の心の傷を癒すために、今もお前にすがっているわけではない」
彼のきれいな青い瞳が、私の顔を覗き込む。
「そばにいるのはただ、お前が愛しいだけだ」
私は頷いて、そのままディルに身体を預ける。
そうだったら、嬉しいな。
「だけどね。あの子がなにもできないなんてことは、絶対にないよ」
カイは出会ってからたくさんのことを、私に与えてくれた。
「なにより、ディルに会わせてくれたしね」
「それは俺のセリフだ」
彼の長い指が、私の髪をそっと撫でる。
いつも膝の上でこうしているはずなのに、いつもと違うような……そうだ。
ディルのお茶を用意するために、今の私は猫じゃなくて人の姿のままだったから。
「お前は俺が猛毒に侵されているときも、魔帝だと知ったときも、力を得ることに憑りつかれていると言ったときですら……。恐怖や嫌悪に去っていくどころか、当然のように受け入れてくれたな」
「だって全然嫌じゃないもの。ディルは得た強さで世界に安定をもたらしているんだよ。怖いどころか、ディルといるだけで守ってもらっているみたいな気持ちになるの」
静かな部屋に沈黙が落ちる。
私は膝の上にのせられたまま、なにも言わないディルを見上げた。
「それに私はただ、あなたが大好きなんだもの」
彼の青い瞳がわずかに見開かれる。
私の言葉が信じられないような、そんな顔をしていた。
そんなに驚くようなこと、言ったかな?
前にも伝えた気がするし、隠したつもりもなかったけど。
それどころか、心の声ともいえる「かわいい」が、だだ漏れている自覚まである。
「レナ、俺は……」
ディルはなにかを言いかけて、でもすぐに言い直した。
「今の俺は、お前の望みを叶えられているだろうか?」
急にどうしたんだろう。
でも実はさっきから、どう切り出しても断られる気がして作戦を練っていたんだけど、もしかすると……。
「叶えてくれるの?」
「ああ。レナが望むのなら、もちろんそのつもりだ」




