48・聖水になってた
私は用意していた温かいハーブティーをディルに渡した。
ディルはカップに自分の顔を近づけて、わずかに目を見開く。
「これは……今までにまったく知らない、しかし心が安らぐような香りがするな」
一口飲んで、興味を持ったように澄んだ液体を覗き込む。
「ほんのりと果実のような甘みがある。さっぱりとした風味で飲みやすい」
「そうでしょう? 帰りにイザベラと魔術具屋さんに寄って、ディルに合いそうな茶葉を探したんだよ。それをブレンドしたの」
「気のせいだと思うが……これは聖水で淹れたのではないか?」
「そうなの? 放置されていた古井戸の水を清めて使ったからかな」
「レナにかかれば、聖水もずいぶん気軽な扱いになるようだ。しかし贅沢な話ではあるが、聖水でつくれば薬効成分も高まるだろう。味もいい」
そう言って上品にハーブティーを飲んでいるディルの横顔は、いつになくやわらいでいる。
気に入ってくれたのかな。
「あの井戸水はひと月くらい効果があるはずだよ。聖水があれば周辺も浄化されるし、魔獣除けにも使えるし、魔力を保存したりもできるよ。浸透力と浄化力が強すぎるから、がぶがぶ常飲はおすすめできないけれど。聖水の扱い方を知っている人がいたら、他にも色々利用してみてね」
「ああ、井戸水が聖水になったと知れば、ハーロルトも喜ぶだろう」
そういえばハーロルトさんは偽物のイザベラを捕まえたとき、私のことを見ていた。
なにも言わなかったけれど、私が偽物の変化魔術を解除したことに気づいたのかな。
「もちろん私も、またディルにお茶を淹れるね。きっと体調も安定してくるから」
今日の昼間にディルと会わなかったのは、私と半日ほど離れていても、夜まで体調が安定しているかを調べるためだった。
建国祭のときは、ディルは厳めしい魔帝としてふるまうことになる。
そのときは白猫を膝の上にのせているわけにはいかないので、確認したんだけど……。
見たところ問題なさそうだし、建国祭も大丈夫そう。
このハーブティーを飲めば、体調だってもっと落ち着くはずだし。
「しかしレナ。俺の体調を気づかってもらえるのはありがたいが、お前はまた自分の世話を忘れているようだな」
「私の?」
「ああ。レナは望むままに魔力を使っているだろう。それがお前のやさしさだとわかっていても、俺はそれを放っておきたくない」
ディルは席を立つと、自然と私を隣の椅子へ座らせている。
「茶の淹れかたは、ベルタの小屋で習った。少し休んで、遠慮せず俺を使うといい」
「ありがとう。でも今日はそこまで疲れていないし。お茶もそんなにたくさんは……うん、ほんの少しだけもらおうかな」
「わかった。これから俺が用意して──」
私は歩き出そうとしたディルの手からカップを取る。
そして一口だけ残っていたそれを、丁寧にいただいた。
うん、すっきりとした後味がおいしい。
「このお茶は冷めても風味が損なわれないね。ディルも気に入ってくれたみたいで嬉しいな」
「……」
おや、返事がない。
見上げるとディルは瞬きもせず、どこか真剣にも思える表情で私を見下ろしていた。
「……レナ」
「ん?」
「やすやすと翻弄するな」
「?」
「……いや、なんでもない」
ディルは顔にてのひらを重ねて、長く息を吐く。
私は立ち上がっていたディルを、再びカウチに座らせた。
ハーブティーの好転反応で、急に疲れが出たのかもしれない。
「ごめんね、全然気づけなくて」
「いや、気づかなくていい。しかもその無防備さが嫌ではない……」
ディルははっきりと言わないけれど、私と昼間に会っていなかったせいで、魂が不安定になっているのかな。
それで昼間に……?
「ねぇディル。黒猫になって私を見ていたのはどうして?」




