悪魔の誘惑
*
液晶テレビもどきは、壁に残っていてテオの姿を映している。
テオは肩を怒らせて、大またに歩いていた。
ああいう歩き方は、障害物が多い場所では――
「うわっ!」
案の定、木の根に足を取られて派手にすっ転ぶ。
変に力んでいるから、まともに受身も取れないんだよ。
全身の傷ってまさか、歩いているうちに自分でつけたんじゃないだろうな?
起き上がったテオは、やはり同じ調子で歩いてゆく。
学ばない奴だ。早死にするタイプだな、こいつは。
「うーん。むにゃにゃ」
体を丸めたマリーが寝言をもらした。
顔色がさっきよりも良くなっているし、表情も穏やかになっている。
緩んだ口元からは、ヨダレが垂れていた。
「順調なのかな?」
「少年の好奇心が『世界の卵』に流れ込んでいるのを感じるぞ。作戦通りだ」
「森の奥に誘ったのは、意味があるのか?」
「その通り。長く関心を持たせることで、精神のエネルギーを効率よく採取できるのだ」
一見さんから大金をボッタくるよりも、常連客から定期的に回収する方が理想ってことか。
こんなところでも、商売の秘訣と通じるところはあるんだな。
「ほかにどんな方法があるんだ?」
「じらして期待させ、待ち望んだときに絶好のタイミングで助ける。そうすれば、感謝する心が強くなり、長続きもするだろう」
……たいした演出家だな。
あんたが111レベル分の経験値をどうやってかき集めたか、分かったような気がするよ。
「スヤスヤスヤ……」
マンガの書き文字のような寝息を立て続けるマリー。
ハナタレ小僧から、ヨダレ娘に精神の力は順調に流れているようだ。
そういや、マンガでよくある「ZZZ」ってどんな音がするんだろう。
アニメ化したときには、普通の寝息に変えられている。
マリーのことだから、実演してくれるかもしれない。
「よし、そろそろだな。アキト、少年の『リンク』に触れろ。この場所へ繋がる穴をイメージするのだ」
「分かった」
オレがイメージすると、少年は立ち止まった。
行く手にある岩山に洞窟があるのを見つけたのだ。
「貴様の力ではないぞ。偉大なる『世界の卵』の力なのだ」
「うーむ、さすがだな」
棒読みの賞賛にセバスチャンは喜んでいる。
思った以上に単純だな、こいつは。
「それで、他にどんな『奇跡』を起こせるんだ?」
「奇跡か。その通り、貴様もたまには正しいことを言う。『世界の卵』の能力は時間と空間の操作だ。空間を操作すれば先ほどのように洞窟を作るのは簡単だ。精神も空間に属するものだし、壁に映る映像もまた空間をゆがめて作ったものだ」
「……おいおい、それってほとんど何でも出来るってことか。まるで神様じゃないか」
「貴様の世界では『神』と呼ぶのだったな。まさしく、『世界の卵』とはその通りの存在なのだ!」
「すごいな」
オレが素直におどろくと、セバスチャンは鼻高々といった様子だ。
演出を加えれば、セバスチャンは情報を気前良く吐き出すらしい。
よし、今度から適当にほめてやろう。
「うむ、少年が洞窟の中に入って行ったな。すべてが私の思惑通りだな!」
「さすがだな」
セバスチャンは高笑いしている。
裏も表も下心もありまくりのオレに、セバスチャンはまるで気づいていない。
有頂天になると『リンク』も働かなくなるんだな。
「で、次はどうするんだ」
「殺す」
「なるほど………………って、おい。ちょっと待て、今なんていった?」
あんまり淡々と言うので、俺はうなずきかけた。
「殺すのだ。恐怖と絶望を与えながらな」
「待てよ、セバスチャン」
「さあ、アキト。貴様の思いつく限りの非道を尽くすがいい!」
人のいうことに耳を貸さず、セバスチャンの声は大きくなってゆく。
「何をためらう。殺して奪うのが物質界の理だろう。貴様が今まで見てきたこと、やってきたことを繰り返すだけだ」
「見たことないし、やってねえよ。そんな事!」
「……なんだと?」
セバスチャンは本気で驚いている。
「貴様は何者も殺めていないと言うつもりか?」
「人を殺人鬼みたいに言うな!」
セバスチャンは鼻で笑った。
「殺人だと? 同族殺しの事など誰が言った」
「じゃあ、何だって言うんだよ」
「貴様が今まで糧としてきたもの達だ。貴様は飲まず食わずで生きてきたのか?」
オレは言葉に詰まった。
「ふざけた性根の持ち主だな。今まで自分が口にしてきたものを、生命と意識していなかったのか」
「それは……」
スーパーに並んだ肉や野菜。
金を払えば、当たり前のように料理が出てくるレストラン。
そのどれもを命として感じていなかった。
マリーのために、テオ・ハンゼを殺すこと。
それは、食事と何が違う?
「お前は死にたいと望んでおきながら、どうやって生きてきたかを考えてこなかったわけだ」
「…………」
今までの人生で、常に目の前にあったこと。
当たり前のように習ってきたことや、教えられてきたこと。
それらを論破するのでもなく、笑い飛ばすほど割り切ったわけでもない。
命に対して何も答えを出さず、漫然とやり過ごしてきただけなのだ。
「さあ、アキト。何を殺し、何を救う? すでに答えは決まっているのではないか?」
セバスチャンの声が、悪魔の誘惑に聞こえた。
テオ・ハンゼは、真っ暗な洞窟にためらいもなく足を踏み入れた。
そこが、殺すものの巣穴であると知らずに。
いや、胃袋といった方が正しいのかもしれない。




