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第八章 十三湊、檀林寺、福島城(一)

 八月十五日【陽暦九月十八日】午前。

 中秋の名月には檀林寺では豊漁祈願祭をやる予定になっていた。


 豊漁祈願祭の日は普段と違い、食事の品数が増えるので、小坊主たちは大喜びだったが、月浄は食が進まなかった。


 七月十五日以降、体に三日月の痣ができたと相談しに来た人物は、いなかった。


(御印が出た人間は、きっと御印が出たのを知らないのだ。もし、月への扉を封印できなければ、人の命が失なわれる)


 月読上申経はすでに、何度も暗誦しているので、間違わないだろう。こればかりは、間違うわけにはいかなかった。


 心配なのは、月への扉の前で実際に月読上申経を唱えて封印した人物を御住職が一人も知らない事実だ。

 もし、御住職の師が一字でも、呪文を書き写し間違えていれば、全ての計画が無駄になる。


 不安は、まだあった。月崔の動きだ。月崔は月読会を外れてから、城代家老に告げ口した以外、目だった行動を起していなように見えた。


 普通に僧として行動している。むしろ、町屋の檀家衆のところには積極的にお務めを果たしに行っていた。

 月浄は不安を打ち消すために己に言い聞かせ続けた。


(大丈夫だろう。封印の方法は、詳しく伝えていない。月光送の日にしか封印できない事実は教えていないのだから。ましてや、今日、封印する事実は察知されていないはず)


 だが、心配な点が一つあった。


(でも、刑部が本当の月読式目を読んでいたら。御屋形様が帰ってくるまで、誰かに別堂を監視させているかもしれない。一応、次善の策を講じておいたほうがいいかもしれない)


 昼前から始まった大規模な豊漁祈願祭には僧全員が出席して盛大な護摩が焚かれた。

 檀家衆も多数が集まり、座る場所や案内に小坊主たちも、おおわらわだった。


 護摩壇に火が入ると、供物が火の中に投げ入れられ、捧げられる。次いで護摩木が投入された。最初に焚き終わった護摩の灰から、海に流すための分を青磁の壺に取り置く。


 次いで、望む檀家衆に小坊主たちが残った灰を、それぞれ軽く振り掛け、神仏の加護を願った。

 最後に残った灰は、檀家衆が持ち寄った壷や袋に入れられ、お持ち帰り用となる。


 豊漁祈願祭の終盤では、御住職を先頭に、僧侶や檀家衆が従いて歩き、港湾地区まで練り歩く。

 港湾地区で御住職を先頭に、有力な檀家衆と数名の僧が船に乗った。


 船に乗って海に繋がる水戸口まで移動する。水戸口に着くと、御住職がお経を上げて、最初にとりおいた護摩の灰を撒き、豊漁祈願祭は終了となった。


 ここまでは、檀林寺の僧が中心の祭りとして行われた。それ以降は、町屋に残った、漁師、商人、職人、町人が中心となって 飲めや歌えやの祝い事になった。


 武士の乗った交易船はまだ戻ってきていないので、武士はほとんど祭りに参加しない。町屋地区の自由な雰囲気の中にぎやかな祭りとなり、出店や見世物も出た。


 この時ばかりは、日々修行の毎日の小坊主たちも特別に日々のお務めを免除され、僧たちより僅かばかりのお小遣いを渡され、祭りを楽しむ自由が与えられた。


 僧にも自由な時間が与えられる。天台宗は飲酒が禁止であるが、今日だけは檀家衆に無理に勧められて断れなかったと理由を付けて、こっそり酒を飲んで帰ってくる不届きな僧もいる。


 とはいえ、豊漁祈願祭の時だけは、泥酔していれば別だが、御住職も月雲も示し合わせたように、酒の臭いをさせて帰って来ても怒らなかった。


 豊漁祈願祭の時は酒屋以外の人間が皆、酔いしれ歌い踊った。豊漁祈願祭は日常から離れた特別ハレの日だった。


 そんな特別なハレの日だが、月浄は一人になれる部屋で、何回も何回も、今晩の練習を頭の中でした。月浄にとっても今年の祭りだけは楽しもうとは思わなかった。


 今ならわかる、月明が豊漁祈願祭の時でも悲しい表情を時折していた理由が。豊漁祈願祭は十五日のお役目の日だったからだ。


 今日という日は、月読の守人が苦しい思いをしてきた、三百年の呪縛から解き放つ日にしなければならない。

 最後に月浄は万が一の時を考え、月念に宛てた手紙を書いた。


 手紙の最初に、今晩もし愚僧に何かありましたら、御迷惑かもしれませんが、次の月読の守人は月念様が継いでくださいと記した。


 次に、扉の封印法について記し、月読上心経の写経を書き記しておいた紙を同封し、厳重に封印を施した。

 手紙を書き終わると、潮兵庫の館に赴いた。潮兵庫への面会を門番に申し出た。


「潮兵庫様は、今日は祭りの来客で接待に忙しい」と最初は断られた。

 月浄は真摯な態度で門番に頼んだ。


「月浄が今晩のことで火急の頼みあり、是が非でもお会いしたいとお伝えください。用件は短いものなので、すぐに済みます、お頼み申し上げます」


 門番から「待っていろと」と月浄に告げられると、すぐに潮兵庫への面会を許された。

 潮兵庫の館の中に入った。


 館は祭りの日なのに、浮かれた空気が、まるでなかった。話と違い、来客もおらず、家の者は誰一人として、酒を飲んでいなかった。


 月浄は何か不穏なものを感じたが、何も尋ねず、見えていない振りをした。

 潮兵庫は相変わらず、痩せた暗い顔をしていた。


 ただ、今日は、人斬りが刀を抜く前のような、怖ろし気な雰囲気を纏っていた。

 月浄は挨拶を済ませてから、懐から袱紗に包んだ月念宛の手紙を取り出した。


「潮兵庫様、月念様に宛てた手紙をお預かりください。もし、今宵、愚僧に何もありませんでしたら。お返しにもらいに参上しますが、もしもの時は月念様にお渡しください。なお、くれぐれも、潮兵庫様は中を見ないでください。檀林寺の僧として、お願い申し上げます」


 潮兵庫の怖ろしい雰囲気が一瞬ふっと変化して、口元を皮肉っぽく歪めて笑った顔をした。

 が、すぐに潮兵庫は、いつもの暗い表情に戻った。


「相わかった。しかとお預かりしよう。それと、もし今晩、お困りのことがありましたら、夜中でも構いませんので、いつでも当館の門を叩きください。きっと、お助けします」


 潮兵庫には、月への扉を今晩にも封印する事態が知られたと悟ったが、いたしかたないと思った。

(これで今宵、愚僧になにかあり申しても、希望は繋がる)


 夕刻になり、小坊主たちや他の僧侶が帰ってきた。帰ってくる小坊主や僧が楽しげな表情を浮かべる中で、月浄は緊張してきた。


 薬石の後、日々の読経を終えた。

 辺りは暗くなってきて、夜になった。


 月浄は塔頭の前で月光送になる人間を待つ時間になると、足早に別堂に向った。

 提灯を持って歩いて行くと、塔頭の前には月崔がいた。


 月崔の後ろには、月玉と月命も控えていた。

 月崔は提灯を掲げると、厳しい顔で月浄に尋ねた。


「今日は月光送の日。なぜ、御印を持った人間を連れておらん」

 武士が待ち構えていたら、あとは御住職の頭脳と月念の行動力に託すつもりでいた。だが、どうやら、相手は月崔、月玉、月命の三名だけらしい。


 月崔は月浄が一人で来るものと予想していたと見て間違いなかった。月玉と月命さえいれば充分と考え、刑部に武士の加勢を頼んでいないようだった。


 月崔は刑部側の人間だが、檀林寺で長年僧を務めてきた人物で、僧としての名誉もあった。月光送への考え方を別とすれば、立派な僧であると月浄も見ていた。


 もし、刑部に武士の加勢を頼んだとする。血の気の多い若い武士がやって来る可能性は否定できない。


 結果、月崔に殺す気がなくても、月浄を檀林寺内で武士が斬り殺す。そうなれば、月崔の僧としての良心はさぞかし痛み、名誉は地に落ちると考え、武士を呼ぶのを怖れたのだろう。


 相手に武士がいないのは、幸運かもしれない。月浄は半月時代はガキ大将で、喧嘩は結構したが、それも子供同士での喧嘩だ。月玉と月命は、まだ四十代。


 噂では、月玉は若い頃は元武士で、出家した身だと聞いた覚えもあった。

 取っ組み合いになったら、二人がかりなら、簡単に押さえ込まれるかもしれない。


 月浄は月玉と月命の動きに注意しながら、意見した。

「御三方は月読会を除名された身。何もお教えすることはありません」


 月崔は大声で罵った。

「たわけ! 御屋形様を謀る、裏切り者が!」

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