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第五章 月読会の決まりごと(三)

 翌日、法要で武家町に行く用事ができた。法要を頼んできた檀家は、いつも月明が経を上げに行っていた檀家だった。


 月明は表向きには本山である比叡山延暦寺に修行に行っていると、檀家衆には説明していた。


 檀家は月明が本山に修行に行っていると聞き、月明がいないのであれば、月明の弟子である月浄を指定してきたのだ。


 月浄は月明の代わりに行くのだから、遅れてはいけないと理由を付けて、早めに檀林寺を出た。月浄は早足に胡蝶のいる鍛治町を目指した。


 手には師匠の灰を入れる時に借りた高価な朝鮮の白磁の壺を持ち、中には小菊から受け取った金が入った袋があった。


 月崔が月浄を試すために小菊に渡した金なら、月浄の行為を糾弾した後に、返せとなりかねない。なので、金は早めに胡蝶に渡したかった。


 さすがに、月崔といえど、人にやってしまった金を返してもらえとまでは、言わないだろう。

 胡蝶に金が渡れば最低限、鍛之介に対しては義理が立つ。


 鍛之介の家を訪ねると、胡蝶は、まだ家にいた。胡蝶は、もう恨みがましい顔で月浄を見はしなかった。力なく笑う胡蝶からは、いつも見せていた朗らかさは見る影もなかった。体つきも少し痩せたように見えた。


 入口からしか見えなかったが、家の中の物が、かなりなくなっていた。


 おそらく、鍛之介が使っていた鍛冶道具一式もなくなっているだろう。全て金に換えたのだと思った。胡蝶は実家に戻る気なのだろう。


 月浄は胡蝶に何か気の利いた励ましの言葉を掛けたかった。だが、経験の浅い月浄には励ましどころか、なんと言葉を掛けていいかさえも、わからなかった。


 月浄はとりあえず「これを」と白磁の壺を差し出した。胡蝶は壺を受け取ると中に小さな布袋が入っているのに気がつき、袋の中を開けた。


 中を見て、胡蝶は驚きの表情をして、問い詰めるように月浄に尋ねた。

「月浄このお金、いったい。貴方まさか、寺の物を勝手に持ち出して売ったんじゃないでしょうね」


 月浄は首を大きく振り、否定した。


「違います。拙僧は僧侶です、盗みなぞ、いたしません。それは師の遺品を整理していた時に出てきた物なのです。多分、どこかの檀家から、個人的にいただき、返せなかった金なのでしょう。師亡き今となっては、胡蝶さんの物です」


 胡蝶は毅然と意見した。

「でも、寺に収められるべきものを月明が忘れたものかもしれないでしょう。このお金は檀林寺に納めるべきだわ」


 お金を返そうとする胡蝶は、どこまでも人がいいと思ったが、ここで金を返されては、月浄も困る。

 月浄はお胡蝶が差し出すお金を胡蝶の手に握らせ、言い包める。


「待ってください。師は寺に納めるお布施を納め忘れるような人では、決してありません。これは間違いなく師のお金です。師がなにかの拍子に忘れ、この時期に出てきたのもきっと、御仏のお心遣いです。是非、このお金は胡蝶さんのお腹のお子さんのために使ってください」


 胡蝶は「お腹のお子さんのため」と聞かされると、お金を突き返そうとする手から力が抜けた。


 月浄は機を逃すまいと、そっと布袋を胡蝶の手に握らせ、胡蝶の気が変わる前に「これにて失礼します」と鍛之介の家を足早に出た。


 月浄はこれで、一つだけ恩返しができたと思った。されど、武家町に向って歩きながら、少し自己嫌悪に陥っていた。


 なんと拙僧は、未熟な僧のだろう。寺で日々修行していても、悲しむ婦人一人さえも救ってやれない。


 それに、先ほど「御仏のお心遣い」と述べたが、都合が良い時だけ御仏を言い訳にしているのではないだろうか。これでは御仏という言葉は、都合の悪い時だけ物を載せて置く、心の棚だ。


(お師様なら、もっと胡蝶さんの心を軽くしてやれたのではないだろうか)


 月浄は亡き月明を思った。月浄は月浄自身のことを呼ぶときに拙僧という言葉を使うが、月明はいつも愚僧という言葉を使っていた。


 愚僧と言う言葉には抵抗があった。寺で十年以上に亘って修行を積み一人前になった拙僧が、愚かだとは認めたくなかったからだ。だが、実際はどうだ。


 いつも目の前で起こる事象に心を乱され、すぐに不安になり、人を疑い、嘘を吐き、人や仏を恨み、妬む。これが、愚ではないのなら、何が愚なのだ。


 月浄は青い空を仰ぎ見て思った。


(完璧に見えた師も、同じだったのだろうか。だから、いつも戒めのために愚僧という言葉を使っていたのかもしれない。ならば、拙僧……。いや、愚僧は愚以外の何者でもない。ただ奢っていただけだ)


 月浄はこの時より、自分を拙僧と呼ぶのを止めようと思った。


 月浄は茶礼の後すぐに、唐突に御住職の部屋に呼ばれた。月崔から経を外部に持ち出した情報を耳に入ったのかもしれないが、その時はその時だと、腹を括って出向いた。


 御住職は月浄が部屋に入ったが、特段これといって御住職の顔に非難の色や怒りの表情は浮かんでいなかったので内心、安堵した。


 月浄は合掌して礼を尽くす。

「月浄、ただいま参上しました。して、ご用件は、なんでしょう」


 御住職は今日は腰の調子が一段と悪いのか、立ち上がることなく、這いずるようにして文机の上に置いてあった一冊の書物を掴んだ。本は古く、題名に『月読式目』と書いてあった


 住職は腰が苦しいのか、痛そうな顔のまま告げた。


「今日の晩、月読会を開く。今日の午後は何もせずともよい。ただ、しっかりと月読式目に目を通しておくように。月読式目は月読の守人だけが読むのを許された書物じゃ。くれぐれも粗末に扱うでないぞ」


 長い間、檀林寺にいるが、月読式目という書物に聞き覚えはなかった。


 月浄は月読式目を受け取ると、合掌して御住職の部屋を去った。さっそく、月読心経と月読菩薩経を習得に使った部屋に行き、月読式目を開いた。


 開いて、目を見張った。月読式目の後半に、月への扉を封印する方法が書かれていた。月浄はすぐに前半部分を飛ばして、食い入るように月読式目の後半を読んだ。


 封印するに当っては、手続きとして月読会七名の合議が行われる。合議で判断が分れた場合は票決で決めるべし、とあった。


 手続きの後に複雑な儀式があるのだろうと、月浄は項を捲った。すると、次からはすぐに月への扉の封印方法が書かれていた。


 月への扉の封印はなんのことはない。月光送の日に月読菩薩経を読んで、月への扉を出現させた後、月への扉が開いている間に月読上申経を唱えれば封印できる、とあった。


 月の扉の封印がなんの犠牲も必要とせず、大掛かりな儀式も要らない単純な物だと知り、月浄はいささか拍子抜けした。月読上申経にしても六百字あるかないかの短い経だった。


 封印は月読の守人独りでも行える簡単な行為だった。しかも、文面を読む限り、月読菩薩経と月読上申経さえ唱えられれば、月読の守人でなくても、封印が可能そうだった。


 ただ、鍛之介が言っていた通りに、封印を解除する経も月読式目には書いてあったが、朱で注意書きがしてあった。


 注意書きには、封印は一度してしまえば、封印した人物が死なない限り、封印は解除できないと記されてあった。


 月浄はすぐに、細心の注意をもって人に見つからないように月読上申経を写経した。

 写経にいたっても、一文字も誤りがないように、針に穴を通すような注意を払った。


 今晩の月読会で月崔により月読の守人を罷免される事態になっても、月読上心経さえ押さえておけば、封印の機会はいずれ巡ってくる。後は生きていられさえすればいいのだ。


 月読上申経を書き写し、一字の間違い、漏れがないのを確認した。いつの間にか障子から入ってくる陽が赤くなっているのに気が付いた。


 月浄はどんな形であれ月光送を中止できると確信した。でも、できれば手続きに則って月光送を中止させたい。後は今晩の話し合いと票決だ。


 月浄は他に重要な事項が書かれていないか、月読式目を前半に戻って読んだ。前半部に書かれていた事項は、ほとんど月明より教えられていた情報ばかりだった。


 ただ一点、教えられていない情報があった。


 月読式目によれば、月光送になる者は年月を得ると勝手に、月色の炎を上げて自然と灰となる血統に生まれた人間であると記載されていた。灰となるのを止める唯一の方法が、月光送として月に送って月光菩薩の慈悲に縋るという点だった。


 月光送を中止する決心に一瞬、歯止めが掛かった。


 月読式目に書かれている内容が本当なら、月光送を止めても意味がない。ただ、月光菩薩の慈悲に縋れなくなった人間が隔月で灰になっていくだけだ。


 勝手に炎を吹き上げて灰になる血統が存在するとは思えなかった。でも、本当に月に繋がっているかどうかわからないが、経を唱えて出現する光る扉は存在する。


 月浄は月読式目に書いてある内容が全て真実なのかどうか、悩んだ。


 全てが真実なら、月光送を止める意味はない。だが、月読式目を書いた人物が月光送を中止させづらくするために挿入した虚偽かもしれない。


 月浄は暗い部屋の中で、何が本当で、何が嘘なのか悩んだ。

 悩んでいる内に月明の姿が浮かんできた。


(師なら、どう行動されただろう)

 月浄はそこで、はたと思いついた。


(師はなぜ、灰になる血統の話をしてくださらなかったのだ。最初に月光送が灰になる定めの人間を月光菩薩が救済してくれていると話してくだされば、愚僧はここまで苦しまなかった)


 月浄は「もし、何かあったら、自分の頭で考え、自分で行動を起さねばなりません」と月明が月光送の日に伝えた言葉を思い出した。次に、灰となっていく師の姿を思い浮かべた。


 月浄は暗い部屋の中で呟いた。

「愚僧はやはり、どこまで行っても愚僧だ。でも愚僧には、これしか道が思い浮かばなんだ」


 月浄は決めた。月光送は封印する。封印して誰かが灰になる事態が起きれば、自ら命を断って、次の月読の守人に封印を解いてもらおう。


 人を見殺しにする行為も、自から命を絶つ行為も、仏道には反する。でも、誰かがやらねば真実はわからない。


 結果、業を背負う所業になるかもしれない。されど、愚か者は愚か者なりに、考えて、進まなければならないと思った。それが、たとえ仏の道に反しても、命を捨てることになろうともだ。

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