三
それから三十分ほど後に、海水浴場にやってきた。なかなかの賑わいだ。今日は気温三十二度と暑く、多くの人がいて混雑している。駐車場はもう埋まっているらしく、車が道路にはみ出していた。渋川荘は、海水浴場まで少し歩かないといけないが、それでも十分程度なものだ。
「暑いなあ、帽子持ってきててよかった」
由衣は、つばの広い麦わら帽子をかぶっている。最近買ったお気に入りである。
「多いわね。泳げるのかしら」
早紀が、人ごみのあふれる海岸の方を見ている。サングラスをしているので、視線はわからないが。
「さすがに泳げないほど、ごった返す事はないと思うけど。でも、多いねえ」
「パラソルは空いてるかしら?」
ここはビーチパラソルがあちこちに設置してあり、これらは海の家などがレンタルしている。また荷物用のロッカーもレンタルされている。
由衣達は、とりあえずロッカーを借りて、海の家の更衣室で着替えた。下に着てきたので、別に外で脱いでもいいのだが、更衣室の方が安心できるのでそうした。
次に、ビーチパラソルを借りてきた。残りふたつだった。すぐ後に、最後のひとつも借り出されたので、借り損ねるところだった。よさそうな場所を探して、すぐに設置する。それは早紀がやってくれた。由衣は滝澤とシートをひいて、一緒に借りてきてた小さいテーブルを置いて、その上に缶ジュースを並べた。
「いやあ、準備完了だね」
由衣はタオルで額の汗を拭きながら言った。隣で早紀を見ていた滝澤が、うっとりとした表情でつぶやいた。
「それにしても、早紀は素敵よねえ」
早紀が滝澤の前にやってきた。
「ふふ、ありがとう。先生」
早紀はダークブルーのビキニだ。スッキリしたシンプルなデザインのもので、プロポーション抜群の早紀は、何を着ても似合う。
周囲にいた男達がチラチラと早紀の方を見ている。
「まったく、素敵なセクシーボディね。妬けちゃうわぁ。ビーチの殿方もイチコロだわ。――そしてこの私までイチコロなのよぅ」
などと言いながら、ヨロヨロと早紀にしなだれかかる滝澤。どさくさ紛れに早紀の身体を触っている。
「もう……先生、何してるんですか」
由衣の水着はワンピースのものだ。とてもシンプルなライトブルーの水着で、肩が細いひも状のデザインになっている。
「由衣もカワイイわぁ! すごく素敵!」
「な、なんか照れるんですけど……」
そんな由衣を、早紀は笑顔で褒めた。
「とっても素敵だと思うわ。綺麗よ、由衣」
「あはは……。そ、そうかな」
「!」
早紀が真剣な表情になり、周囲を見渡した。
「どうしたの?」
「誰かの視線が……」
鋭い目つきで警戒する早紀を、滝澤は少々呆れ気味に言った。
「そりゃ、美女がいるんだから、視線は釘付けでしょ」
「そうじゃなく……そこ!」
早紀は、缶ジュースをつかんで気配の方向に投げつけた。
「あいたっ!」
缶ジュースがぶつけられた人物は、肩に当たったらしく、そこを押さえて尻餅をついた。早紀と滝澤は、そこを捕まえた。周囲は騒然とし、監視員が駆け寄ってきた。
「ま、待ってくれ! 何もしてない。何もしてないんだ!」
「ちょっと、早紀。この人、誰?」
「あっ! ……お、小野田さん」
「や、やあ。早紀さん」
小野田は苦笑いしながら答えた。
「……小野田さん、何してるんですか?」
由衣は少し不審な目で小野田を見た。
「いや、僕も遊びに来たくて。由衣ちゃん達、今日から渋川に行くって言ってたからさ、僕も来たかったわけだよ」
「でも、どうしてコソコソとストーカーみたいな事してるんですか?」
由衣の目つきは変わらない。
「ス、ストーカー? それは言い過ぎじゃない? ……ってまあ、それはともかくとして、やっぱりサプライズをね」
「ふぅん、サプライズ? 面白い事するわね。このおっさん」
滝澤は、小野田を興味深そうに眺めた。そんな滝澤をみた小野田は、嬉しそうに言った。
「おお? この美女はやはり由衣ちゃんの知り合いかい? どういう事なんだ、由衣ちゃんの周りには何でこんなに美人が集まってくるんだ?」
「ふふふ――このおじさま、わかっているじゃないの。なかなか渋いおじさまね」
滝澤は美女と呼ばれた事に気分をよくしたのか、呼び方が「おっさん」から「おじさま」に変わっていた。
「いやはや、まったく……」
由衣はため息をついた。
しょうがないので、小野田も混じって海水浴を楽しむ事になった。
「さあ、行くわよ!」
滝澤はビーチボールを大きく放り投げた。
「イェェイッ! そりゃ!」
小野田は随分と楽しいらしく、滝澤と同じくらいはしゃいでいた。前にテレビに出演していたのを見たときは、別人かと思うくらいダンディに振舞っていたが……。
「由衣っ! いったわよ」
「それ! ……って、わあぁ!」
由衣はバランスを崩して、その方向にいた早紀に抱きついた。早紀の胸に顔を埋める由衣。早紀の豊満な胸の感触に、一瞬我を忘れてしまった。
「ご、ごめん」
「ううん、いいのよ」
早紀は少し頬を染めながら、由衣に微笑んだ。
「ああ! なんかやらしい事してる!」
滝澤はふたりを指差して叫んだ。
「そ、そんな事してないですよ! 何をばかな事を」
必死で反抗する由衣。このあと、ずっと事あるごとにからかわれた。
「そろそろ五時か。まだ明るいけど、やっぱり少し人が減ったね」
由衣は腕時計を見て言った。
「そろそろ、私達も戻ろうかしらね。小野田さん、どうするの?」
「僕かい? 名残惜しいけど家に帰らんとね。あんまり遅いと、うちのカミさんがうるさいし」
「また明日来なさいよ。私達、二泊三日だし」
「そうなのかい? ああ、明日は東京に行かんとならんのだ。ええいくそ、どうしてこんなタイミングの悪い……」
小野田は明日から、選考委員を務める文学新人賞の選考があるため、東京に行かねばならないのであった。実は今日も、上京の準備をするから家にいろ、と妻に言われていたが、こっそり出てきていた。帰ったらカンカンの妻が待っているに違いなかった。
「……はぁ。帰りたくないなぁ」
「何を言ってるんですか、小野田さん……」
「みなさん、おかえりなさい。海は楽しかった?」
女将が笑顔で出迎えてくれた。
「食事は七時からですので、楽しみにしててくださいね」
渋川荘は売りのひとつとして、料理がおいしいとの評価がある。地元、瀬戸内海の海の幸を使った料理は、昔から評判がいい。実は料理のために泊まる客もいるため、あまり景気のよくない今日でも、潰れずに経営できてるのもあった。
「楽しみだね。おいしいってネットで見たんだ」
由衣は嬉しそうに早紀に言った。
「私も楽しみだわ。どんな料理かしら」
「海の幸よ。お刺身とかおいしいわよ」
「さ、刺身……」
「どうしたのよ?」
「わたし……生ものは……」
「え、あなた、お刺身食べられないの?」
「由衣は、体質の問題でだめなのよ」
由衣は<発症者>となった際、どういう原因なのかは不明だが、生肉や生魚を食べると、お腹を壊す体質になっている。焼いたりするなど、手が加えられると大丈夫なのだが。不思議な体質である。
「厄介ねえ。タコとか、貝もおいしいってよ」
「貝か……」
由衣は貝が苦手だった。彼は昔からで、牡蠣とかグロテスクで、とても食べられたものではない。
「え? 貝もだめなの? 生じゃないわよ」
「いや、貝は……味が……」
「そっち? 由衣、好き嫌い多いわねえ。食べるものないんじゃないのぉ?」
滝澤はニヤニヤと、由衣の顔を見た。
「う、うるさいなあ。焼き魚だったら大丈夫だし!」
「あらそう? じゃ、おいしいお刺身は、早紀と一緒にふたりでいただこうかしらねえ、早紀」
「――え、ええ」
早紀は苦笑いした。
夕食まで、後一時間ほどあるので、お風呂に入ろうという事になった。
「さあ、夜のメインイベントよ!」
「先生、どうしたんですか?」
由衣はテンションが上がっていく滝澤を、不思議そうな目で見た。
「あんたねえ。旅行の夜といえば、温泉でしょ! 温泉!」
「ああ、そういえばここ、温泉なんですね」
「そうよ、最高の瞬間なのよ」
「さあさあ、脱ぎなさい。由衣!」
興奮気味の滝澤は、早速由衣を脱がしにかかる。
「ちょ、ちょっと、先生」
「服着て入るわけにはいかないわよね! さあ、脱ぐのよ!」
「――さ、早紀、助けてよ」
「うふふ、仲がいいのね」
どうやら早紀には、由衣と滝澤がじゃれているだけに見えるらしく。微笑ましそうに笑うだけだった。
「そういう事よ、由衣。おとなしくそのカワイイ裸体をさらしなさい!」
あっという間に全部脱がされ、裸にされる由衣だった。
「いいわねえ! いいわねえ! 写真に撮っておきたいくらいだわ!」
滝澤はカメラをかまえる様なポーズで、由衣を狙う。由衣は、それにタオルで体を隠しながら抵抗した。
「先生、それは犯罪ですよ!」
「それに、早紀のセクシーボディは……はっ、鼻血が……」
早紀の裸を見た滝澤は、興奮が頂点に達したのか鼻血が出たらしい。早紀は、由衣と違って特に恥ずかしがったりせず、隠したりもしない。
「せ、先生!」
早紀が駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫よ。早紀があんまり凄すぎたから――お風呂で流すわ」
そう言って鼻を押さえたまま、浴場に入っていった。




