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▽/思い出の和菓子屋 -悲しむ秘姉も嬉しがる秘姉も、全部-

〈 ▽ 〉



 十年前、くノ一の少女は泣いていた。

 傍から見れば特に理由もなく泣いていた。

 どうしたの、と周りが仕方なく声をかけても、ひぐ、と泣きじゃくるだけ。

 言わなきゃわからないよ、と学校の先生が優しく語りかけても、うぅぅ、とうめくだけだった。



 五年前、くノ一の少女は臆病だった。

 平均から圧倒的にかけ離れるくらいに極端に臆病だった。

 よろしくね、とクラス替えのときに声をかけられても、あ、う、という声を出すだけでろくな反応ができない。

 一緒に遊ぼうよ、と手を差し伸べるような一言を投げかけてくれるような人は、そもそもできなかった。



 現在、くノ一の少女は――






〈 ▽ 〉






 七月中旬、晴れの日。

 今日はひめ姉にとっての「思い出の和菓子屋」に行こうと誘われ、ふたりで目的地を目指していた。


 我が家から自転車で三十分ほどのところにある和菓子屋は、秘姉によると、水ようかんがとても美味しいらしい。というか水ようかんしか食べたことないらしい。


 自転車をこぐ俺の横を、ジャンプの忍者マンガみたいな姿勢で走っている秘姉。忍術のおかげでこの異様な光景は俺以外の誰にも見えていない。姉さんの服は部屋着(忍装束)ではなく、こげ茶色を基調とした、もみじを思わせる私服だ。


「すごく美味しくてね……感動して、涙が出ちゃったんだ……」

「じゃあ水ようかん以外にも期待だね」

「店長の女の人も、すごい美人でね……あと、そのお手伝いさんもすごく優しかったんだ……」

「優しくしてくれたんだ?」


「うん……。ぼくね、実は……」

 秘姉は高速で走りながら、両の指を絡ませる。

「実は、むかしは今よりも無口で、うまくしゃべれなかったの……」


「今よりもか。大丈夫だったの?」

「全然。えへへ……でもね、和菓子屋さんのお手伝いさんが優しくしてくれたおかげで、今ぐらいに話せるようになったんだあ……」


 そう語る秘姉はとても嬉しそうで、微笑ましくなる。

 この姉さんは心が打たれ弱かったりするけれど、そのぶん、嬉しい出来事で自分の心をすぐにあたためることができる。感受性が豊かで、道端に咲いた花や、踏んだ落ち葉の音、親切にしてくれた人の笑顔……そういったことを素晴らしいと思うことに長けているのだ。

 俺は秘姉のそういうところに憧れている。


「えっと……あそこを曲がれば、見えるはず……」


 秘姉の言ったとおり、和菓子屋の場所はもうすぐだ。知らない土地だが、ニゴ姉がくれたカーナビみたいな機械のおかげで道を把握できている。角を曲がった。広い空き地があるところへ出る。

 空き地。

 空き地だ。


「あれ……?」


 和菓子屋は、どこにもなかった。


 自転車をとめ、秘姉と一緒にひらけた空き地を眺める。ニゴ姉にもらったボールペンのような形の機械を取り出し、ノックすると、超古代文明のオーバーテクノロジーにより秘姉の記憶の3D映像が出た。やはり、周囲の建物や電柱の位置からしても、ここに和菓子屋があることは間違いない。


 秘姉は空き地に入っていく。それに俺はついていく。

 空き地はススキがぼうぼう生えていて、あまり近寄りたくなかった。

 看板が立っていた。『売地』と書かれていた。俺は目を逸らし、「秘姉」と呼んだ。


「秘姉、もしかしたら記憶の映像とは似てるけど違う場所だったのかも」


 振り返った秘姉は、

 涙を目にいっぱい溜めて、こちらを見た。

 確信があるからこそ、その悲しみも確かなものだと感じている、そんな瞳だった。


「ここだよ」


 そう言った。


 俺が憧れているのは感受性豊かな秘姉だ。道端に咲いた花が折れていたら、踏んだ落ち葉の下に小動物がいたら、親切にしてくれた人がいなくなっていたら……人の何倍も傷つき、悲しみ、寂しがるだろう。姉さんはこの今日という日を楽しみにしていた。上手く喋れなかった自分を変えてくれた恩人に会って、『こんなに喋れるようになりました』と報告し、お礼を言いたかったんだと思う。けど、店は跡形もなくなっていた。建物ごとなくなるというのはただごとじゃない。もしかしたら、もう会えないかもしれない……


 秘姉は、目を潤ませながらまた口を開いた。


「ここだよ」


 それだけ言って、秘姉はうつむいて震えだす。


 あ、と思った。

 体が勝手に動いていた。


 ススキの草に囲まれたそこで、二人っきりのその空間で、俺は秘姉を抱きしめていた。


「……そうちゃん……?」

「あの、さ、秘姉」


 考えがまとまらない。ただ秘姉を元気付けてあげたいと、それだけを考えていた。

 憧れの秘姉が悲しむ姿を見たくなかったからだ。

 元気付けたくて、見たくなくて、だから抱きしめることにしたんだと思う。


 秘姉の体は本当に細くて、力を入れすぎるとくしゃりと折れてしまいそうにすら感じた。

 でも、あたたかい。

 そこにある体温に、安心する。


 こちらから元気付けようとした俺を逆にこんなにも安心させてしまう秘姉のことが――


「悲しむ秘姉も嬉しがる秘姉も、全部大好きだから」


 秘姉は、

 びくっ、と震えた。


「も、もちろん姉としてだけど……だから今は我慢しないでさ、なんというか、俺がいるからさ、っていうか……えっと……」





〈 ▽ 〉






 秘代ひめよは思い出す。

「▽/思い出の和菓子屋 -漂泊和菓子屋、一時堂-」に続きます。

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