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◇/まゆらだけは -愛してあげたい-

「◇/まゆらだけは -次元を越えて-」の続きです。

〈 ◇ 〉



「川を流されている時、本当に怖かったんだ」


 ゆら姉は俺の前で、落ち着いた声で語り続ける。

 俺とゆら姉の出会いの話、そして、ゆら姉が俺に溺愛する理由の話。


「小さなフィギュアの私にとって、海の荒波に揉まれているようなものだった。ようやく流れ着いた場所も、ゴミ捨て場のようなところで……。このまま劣化してボロボロになって、いずれボランティアの人にでもゴミ袋に入れられて焼却処分されるのだと思っていた。フィギュアとして、他の可愛らしい小物たちと一緒に飾られてずっと大事にされるという夢は潰えたと思った。でも」


 ゆら姉は目を閉じる。


「宗くんが現れた。宗くんが夢を叶えてくれた。私はその時点で既に、きみを好きになっていたんだよ」


 俺は何も言わずに、ゆら姉を見つめていた。

 姉さんが尚も続ける。


「でも私は所詮フィギュアに過ぎない。何のアプローチをすることもできなかった。いくら体が火照っても、いくら心が求めても、そして、いくら恩を返したくてもどうすることもできない。だから私は欲求不満だったのさ」


 出会った時を思い出す。やっぱり思い出すのをやめる。

 ……確かに、意志があるのに動けないというのはもどかしくて仕方がないだろう。


「最初は恩人としての『好き』だったかもしれない。けれどその感情は発散されることがなかった。私の中で大きく膨れ上がっていったんだ。……それに部屋でリラックスした宗くんは、ありのままの姿を見せてくれた。変なポーズをとったり、独り言を言ってみたり。えっちな画像を見ている時は、その……すごいことになっていたね」


「…………」


「宗くんの部屋の匂いが好きになったのも、フィギュアとしてずっと飾られていたからなんだ。私だけが知っている、好きな人の本当の姿……。それに、燦然院まゆらの設定は『無口でクールな性格』であり、何かに好意を見せたりするようなキャラではなかったから、好きという気持ちを教えてくれた初めての相手でもあった」


 俺が、初めての……


「心のヴァージンを奪われた私は、そうして想いを強めていったのさ。そしてある日」


 ゆら姉がまつげの長い目を細めた。


「宗くんは、響姉さんの失くしたピックと同じ物を、響姉さんにプレゼントしていたね。でもそのピックは買った物だと言わず、適当なところに落ちていたということにしていた」

「あれは」

「響姉さんに優しくするのが恥ずかしかったんだね?」


 俺は頷いた。

 それを見て微笑むゆら姉。


「でも、単に恥ずかしいからだけじゃないはずだ。響姉さんが負い目を感じないようにという配慮もあった。違うかな?」

「…………」

「宗くんは響姉さんのことをよく考え、何の見返りも求めなかった。きっと孤独感があったと思う。だって、宗くんがやったことは誰も知らないはずだったのだから」


 けれどね、とゆら姉は言った。

 万感の思いを乗せるように、言葉を紡ぐ。


「けれど、フィギュアの私だけは見ていた。誰にも気づかれなくたって、このまゆらお姉さんだけは知っていたんだ。伝えたい。宗一という男の子の隠れた善を、私だけは気づいて褒めてあげたい。ありのままの宗くんを……愛してあげたい……!」


 異次元級の美貌を持つ姉さんは、

 大きな目に涙を溜めて、

 それでも愛おしそうに見つめてくれていた。


「その想いに神様が応えてくれたのかはわからないけれど、私の意志は実体化して、今のこの姿になった。想いは次元を越える……そう言うと、なんだか理想の恋愛みたいではないかな?」


 ゆら姉はそう言って、長い告白を締めくくった。


 俺はしばらく何も言えなかった。


 そんな背景があったなんて。ゆら姉の溺愛は確かに度を超しているとは思っていたけれど、知らないうちに命を救っていたなら少し納得できる気がする。姉貴へのあの配慮については、俺にとって当然のことではあるんだけど。


 ただ。

 いいことをすれば誰かが見ている、という言葉を信じたかったのは確かで、

 その誰かが俺の好きな人だったということが嬉しかった。


「ゆら姉」

「ん?」

「ゆら姉はさ、俺のおかげで『好き』という気持ちを知ったって言ってくれたけど……」


 思い出す。

 ことあるごとに誘惑してくる姉さん。

 天才的頭脳で勉強を優しく教えてくれる姉さん。

 いつでも俺の部屋にいて、好きだと全身で伝えてくれる姉さん。


「俺だって、ゆら姉にいろんなことを教えてもらってるよ。俺を男として好きになってくれて、それで勇気づけてくれた初めての相手はゆら姉なんだしさ。……それに」


 俺の部屋にいることが好きな姉さん。


「近くに俺がいるだけで幸せってゆら姉は言ってくれるけど、俺だって……その……」


 目を逸らす。

 けど、真正面から言わなきゃいけないことのような気がした。

 ゆら姉はきっとそれを望んでいるから。


「お、俺だって、大好きなゆら姉がそばにいたら、そりゃ幸せだよ……!」


 熱くなる頬が、もっと火照ったものに包まれた。

 立ち上がったゆら姉が椅子に座った俺を抱きしめたのだ。

 大きくて柔らかい胸に顔をうずめさせられて、全身が弛緩するような安心感が染み渡っていく。


「私も……! 好きだよ、宗くん……好き……大好き……」


 ゆら姉は泣いているみたいだった。

 恥ずかしいことを言ってしまった、と後悔したけれど、たまにはお互いストレートに伝え合うのもいいかな、と思った。身を委ねる。

「◇/まゆらだけは」はここで終わりです。

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