□/貸切の晴れた青空で -愛しい弟の夢-
「□/貸切の晴れた青空で -アメとムチ-」の続きです。
〈 □ 〉
ある日曜。
土曜から続いて、ニゴ姉のスパルタ教育を受けていた俺は、この日の夜もニゴ姉と一緒に寝ている。
寝ている間、この小さなメイドの姉さんの手は俺の後頭部に添えられている。そうすることで、なんかよくわからないけど、なんかすごい機能でいい夢を見せてくれるのだ。
昨日は回転寿司で大好物のサーモンが無限に回ってきたり、空からサーモンが降ってきたり、道端で哀れに鳴き声を上げる捨てサーモンを拾い食いする夢を見させてもらった。朝になると枕が俺とニゴ姉のよだれで湿っていた。そういえばニゴ姉の好物もサーモンだった。
高度なガイノイドである姉さんは自分の中で夢の映像を作り、それを俺と共有しているということなのかもしれない。
厳しくしてくるニゴ姉と付き合うのは悪くはなかったけれど、やはり普段休日にやっていた友達とのチャットやゲームの時間が削られるのは嫌だ。
その嫌な気持ちが、勉強や筋トレの疲労に上乗せされ、更に疲れた気分になる。
寝るときはニゴ姉が癒してくれるけれど、あまり休んだ気のしない土日だった。
今度からはやめてもらおう、と決心しつつ、俺は眠りに落ちる。
〈 □ 〉
俺は眠りから覚める。
月曜はただでさえ眠い。家族みんなが眠そうにしている。
シャロ姉が出社し、俺もそれに続こうとドアノブに触れた。すると空中にディスプレイが浮かび上がる。
この扉はハイテクなのだ。というより、ロストテクノロジーなのでロステクとでもいうべきか。
うちの玄関は、空間歪曲装置により、扉を抜ければ行きたい場所に瞬間移動できる。まだ完成ではないらしく距離などに制限があるけれど、高校へ行くのに電車を使う必要がなくとても便利だ。
使い方を間違えなければとても便利だ。
「じゃ、行ってきます……」
俺は寝ぼけまなこでちょちょいと空中ディスプレイを操作し行き先を決めると、ニゴ姉を振り返った。
見送ってくれるニゴ姉は、いつものほのかな微笑。
俺は手を上げつつ、ドアノブをひねり、家の外へ――
「え」
――扉の向こうは、空中だった。
気持ちいいくらいに落ちていく。すごい速さでうちの扉が遠ざかっていく。風でバタバタと制服が揺れる。下のほうに東京スカイツリーのてっぺんが見える。高い。寒い。息が苦しい。鼓動が鳴ってる。その分血は頭にも行ってるみたいだ。この状況を飲み込めるかはともかく、考えることはできた。
俺はきっと寝ぼけて行き先を『ランダム』に設定したんだと思う。でもランダムにしたからってこんなことになるなんて思わない。未完成の機械を使うのって怖い。
けど、
(まあ……大丈夫だろ)
信じていた。
「宗一さんっ……!」
うちの扉から飛び出してきたちびメイドロボな姉さんは、頭を下にしてまっすぐこちらへ向かってくる。
ニゴ姉は厳しくて優しくて強くて、いつも俺を助けてくれる。
姉さんがいる限り、俺はずっと安心していられるんだ。
「そういちさんっ!」
姉さんが俺に抱きつく。少しずつ落下速度が遅くなっていき、やがて空中でふわりと止まった。俺の体にかかる重力とかを制御しているのだろう。
ここは東京の遥か上空。酸素が薄い感じもする。
「あー、あーびっくりした……ニゴ姉、ありが」
「ごめんなさい……」
「え?」
「ごめんなさい、宗一さん……。ニゴが宗一さんを疲れさせてしまったせいで、宗一さんはこんなミスを……」
「はは……ニゴ姉が謝ることないよ。だって俺のためを思っていろいろしてくれてたんでしょ?」
「……違うんです……」
「ニゴ姉?」
「ニゴはっ……ニゴのために宗一さんに厳しくしてたんです……!」
俺の体に抱きついたまま、ニゴ姉は声を震わせた。
「シャキロイア姉さんやまゆらさんが宗一さんを甘やかし、秘代さんが宗一さんに頼りきりになり、響さんが宗一さんにぐうたらなところを見せ付けて……そこへ、愛香さんがやってきて、気丈な姉らしく振舞って……」
ニゴ姉の大きな瞳からは、大粒の涙が流れていた。
「ニゴは焦ったんです……ニゴも愛香さんのように、姉として弟を律さなければならないと……そんなニゴの『優れた姉でいたい』という自己中心的な思いのせいで、こんなっ……」
姉さんは、うぅぅ、と声を漏らしながら俺の腹に抱きついて泣いている。
よっぽど今の事件がショッキングだったせいで、自分を責めていた感情が爆発してしまったんだと思う。
ニゴ姉のこんな姿を見るのは初めてだ。
初めての姿を見るのが、なんかちょっと嬉しい。
「ニゴ姉。優れた姉でいたいって思ってくれて、更に行動にも移してくれて、俺は嬉しかったよ」
えぅ、ぐすん、とべそをかきながら、ニゴ姉は俺の顔を見上げた。
「弟っていうのはさ、姉には優れていてほしいって思ってるものだよ。で、ニゴ姉は優れた姉でいたいって思ってる。ほら、これでもう俺たちの意見は一致、良い姉弟だよ」
「ですが……ニゴは宗一さんの意思を考えず……」
「考えてくれてたよ」
東京上空一〇〇〇メートル、俺はニゴ姉を抱きしめ返した。
「寝てるとき、ニゴ姉が見てた夢が俺の頭にも流れてきたんだ」
日曜の夜、ニゴ姉は俺の頭を抱きしめる格好で寝ていた。
時折、姉さんは俺の頭に頬ずりをした。いつもの姉さんらしくない動作だったし、きっとそのときには、ニゴ姉も眠っていたんだと思う。
俺が覚醒と睡眠の境界で、頭に頬ずりされたのを感じたとき、目の前に映像が流れ始めた。
視界が低いところから高いところを行き来するそれは、浮遊したり床を歩いたりするニゴ姉の目線を再現した夢だったのだろう。
その夢を見ている間はニゴ姉の感情も一緒に感じることができた。
この現象はシャロ姉のほうが上手く解説できると思うけど……たぶん、サーモンの夢を俺に見せたときと同じような理屈だ。しかしニゴ姉が眠ったことで機能の制御が弱まって、見せるつもりのない夢を共有してしまったんだと思う。
ニゴ姉の視線の先に俺がいるとき、ニゴ姉の感情はいろいろなものが入り混じった複雑なものだったが――それは、大好きだとか、何かをしてあげたいとか、そういう気持ちだった。
勉強を教えているとき、ニゴ姉は問題をわかってもらえるよう必死で頑張り、正解を出した俺のことが誇らしくて仕方がなかった。
腹筋トレーニングで脚を押さえているとき、ニゴ姉は苦しむ俺の顔を見て罪悪感に苛まれ、千回を達成した俺に謝りたいやら褒め称えたいやらで抱きつきたくなる衝動に駆られていた。
全ての場面で、
どんなときだって、
ニゴ姉は姉として俺を愛してくれていた。
「だからさ、ニゴ姉は自分を責める理由なんて何一つないんだよ。俺だって、あんなに俺を好きでいてくれてる姉さんに、何をされても文句なんて言わない。ああ、いや、多少は言うけど……」
ニゴ姉は涙目で俺の腹にしがみついたまま、一緒にスカイツリーの遥か上で浮遊している。
「あと、その……これはお返しというか、夢を覗いちゃったことの罪滅ぼしというか、こっちからも思いを伝えなきゃっていうアレなんだけど……」
俺は恥ずかしさに顔を熱くさせながら、それでもニゴ姉の目を見た。
こんなに綺麗な瞳が、俺だけに向けられている。この空には俺と姉さんしかいない。
貸切の晴れた青空で、ニゴ姉をもっと強く抱きしめ、満ちていく弟としての愛に身を任せた。
「俺も……姉さんとして、ニゴ姉のことが、だ、大好き、というか……!」
小さな姉さんは顔をくしゃっとさせる。そのまま俺の制服に顔を押し付けた。
もごもごと、ニゴもです、と聞こえたような気がした。
「□/貸切の晴れた青空で -初めての冗談-」に続きます。




