□/ニゴの未使用回路
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約一年前、俺が響と二人暮らしをしていた頃。
シャロ姉が家に押し掛けてきた時は、突然「今日からあなたのお姉ちゃんよ」と言われてまごついていたが、事情を説明されてしばらくすると、俺と姉貴も落ち着いた。
するとシャロ姉が「そろそろいいかしらね~」と呟いた。手元の端末を何やら操作して、満足げに頷く。
その直後。
リビングから見える庭に風が吹き荒れ、謎の人型物体が飛来した。
その姿は幼く、小さな体を覆うのはゴシックめいたメイド服。おかっぱに切りそろえた銀髪と、陶器のように白い肌が目を引く。お人形、あるいは妖精というたとえがしっくりくる女の子だった。
俺と姉貴は二人して引きつった笑みをしながら、つまりは驚いていたのだけれど、見つめていたらその美しい女の子がぺこりとお辞儀した。
無表情でささやくように言う。
「初めまして。シャキロイア姉さんにより造られた、ヴェリウシリーズ257524号シャドロア・ジェラッケ・メイディロ・ヴェリウです。今後はあなた方の姉としてお世話させていただきますので、よろしくお願い致します」
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俺はごくたまに、ニゴ姉の料理の手伝いをすることにしている。といってもニゴ姉はプロ並みの技術を脳にインプットしているので、手伝うというよりは足を引っ張ったり、姉さんの話し相手になったりすることが主だ。
「……と、ニゴ姉と最初に出会った時はこんな感じだったよね」
「そうでしたね。シャキロイア姉さんとニゴが別々に訪問したのは、いきなり二人でお会いすると、宗一さんや響さんが混乱しすぎてしまうのではという配慮でした」
「配慮っていうなら普通に歩いて来ればよかったのに……」
言われてニゴ姉は口元をやや緩ませる。
「ニゴが空から降り立ったのは、シャキロイア姉さんに『その方がかっこいいわよー』と言われたからです」
「そういえば、ニゴ姉の本名さ、あれもシャロ姉の趣味?」
最初に会った時は、姉さんは“ヴェリウシリーズ257524号シャドロア・ジェラッケ・メイディロ・ヴェリウ”と名乗っていた。長すぎて覚えられなかったし、今も噛まずに言えるか自信がない。
「そうです。響さんが新しくあだ名をつけてくださって良かったです」
その長い名前を聞いた姉貴が「257524号なんだから、最初の25をニゴって読んで、それをあだ名にしようぜ」と提案したのだった。
冷蔵庫から卵を取り出しながら、話を続ける。
「あんな適当なあだ名で良かったの?」
「ニゴはニゴというあだ名を気に入っていますよ。ところで宗一さん」
「うん?」
「宗一さんがニゴにあだ名を付けるとしたら、どういうあだ名にしますか?」
俺は「えぇ~」と言いながら卵を皿に割った。溶きながら考える。
「普通にシャドロア姉……だと長くて言いにくいし、シャド姉だと若干かぶるし、……ロア姉とか……?」
「ロアですか。では今後はニゴのことをロアと呼んでも構いませんよ」
「はあ……。じゃあロア姉」
「…………」
「ロア姉? どうしたの?」
「あ、いえ……」
ニゴ姉は弟にしかわからないほど僅かに頬を染めていた。
「宗一さんが付けてくれたあだ名……。とても嬉しいです。でも」
「でも?」
「普段使用しない回路が使われてしまうので、いつものようにニゴと呼んでください」
慣れないあだ名で呼ばれると違和感があるということだろうか。でもなんだかすごく嬉しそうに見える。いたずらしたくなって「わかったよ、ロア姉」と言ってみると、ニゴ姉は小さな口をはっと開けて、欲しいものをもらえた子供のような顔を一瞬だけしてくれた。
すぐに姉さんは無表情になり、照れ隠しをしているのか黙って料理に集中し始めた。可愛らしい姉さんだ。俺も次に使う調味料を出すべく棚を開ける。




