○/シャロ姉からは逃げられない!
〈 ○ 〉
約一年前、俺が響と二人暮らしをしていた頃。
それなりに大変な毎日を過ごしていた俺たちは、いつも疲れていた。父さんも母さんもいないので、基本的には、自分たちのことは自分たちでやらなくてはならない。
その日も姉貴は疲れ切ったのか、だりー、と言いながらソファに寝転がっていた。インターホンが鳴っても動こうとしない。仕方なく俺が玄関へと向かった。
姉貴はだらけるし、暴君だし、まあいいところもあるけど、できればもっと優しい姉が欲しかったな。
何かつらいことがあったら甘えさせてくれちゃったりするような、癒し系のお姉さん。
あと姉貴と違って、胸が大きかったら……その……いいな……そんな美人の姉さんがいたら、つらいことも頑張れるんだけどな。
そんなことを思いながら、「どちら様ですか」と玄関のドアを開けた。
「碑戸々木、宗一くん?」
艶っぽくも甘い声色。
背の高めな女性がそこに立っていた。
きらびやかな長い金髪に、宝石を閉じこめたような碧眼、豊かな胸と肉付きの良い肢体を持った女の人だった。
その顔つきはセクシーともいえるが、微笑んださまはとてもキュートだ。年上にも年下にも見えるが、雰囲気としては俺よりお姉さんに思えた。
そんな金髪美女が、ドアを開いたまま呆然としている俺にふわりと近寄る。
「宗一くん、よね?」
「は……はい」
美女は俺の返事に、感激したように吐息を漏らし、青い瞳の目に涙を滲ませた。
やっと会えた、と聞こえたのは気のせいかもしれないけれど、次の言葉はしっかりと耳に届いた。
「わたし、シャキロイア。シャロって呼んでね。今日からわたしも――」
そして甘美な匂いに包まれた。
今にして思えば、あれが俺にとって初めてのハグだったかもしれない。
服越しにもわかる柔らかな胸の肌触りを感じながら、混乱する俺に、シャロ姉は言った。
「今日からわたしも、宗ちゃんのお姉ちゃんよ……♪」
約一年前のその日、姉が一人増えた。優しくて、癒し系で、胸の大きいお姉さんだった。
〈 ○ 〉
シャロ姉の甘い匂いがきっかけだろうか。そんな思い出がなんとなくよみがえってきたので、俺はその話をシャロ姉にしてみる。
出会いから一年後の現在。仕事で疲れたシャロ姉の肩を揉んであげているところだった。
シャロ姉はくすくすと笑う。
「あのときはびっくりしたでしょう?」
「びっくりして、玄関のドア閉めようかと思った」
「まあ」
「それに、手紙のことでも驚いたし……思えば一年くらい前は激動の時期だったな」
「そうね~。お姉ちゃんとニゴちゃんがまず碑戸々木家に入って、次にゆらちゃんが来て、最後にひめちゃん」
ほっそりとした指を折って数える仕草をするシャロ姉。
「てんてこまい、って感じね。てんてこまいっ♪」
「てんてこまいっていう言葉を最近覚えたの?」
「かわいい日本語よね! でもお母さんの手紙はそんな言葉もなく、事務的な連絡って感じだったわよね」
『古代人シャキロイア。おまえにはこの私の子に対する扶養者になってもらう。碑戸々木葉創』
『響、宗一。このシャキロイアという女が今日からおまえたちの保護者代わりだ。いきなりですまない。碑戸々木葉創』
シャロ姉と出会った日、姉さんから渡されたのはそんな文面の手紙だった。葉創母さんが謎の事故で死んでから間もない頃で、俺は母さんの筆跡を見ただけで泣き崩れたことを覚えている。
「母さんは無駄を嫌うからね。いきなりですまない、って配慮が書いてあるだけでも嬉しかったよ」
「宗ちゃん」
「ん?」
「お母さんがいなくて寂しくない?」
肩を揉まれていたシャロ姉がこちらを振り返り、俺の手を温かい手で包んでくれる。
「寂しくなったら、いつでも甘えてきていいのよ……?」
「大丈夫だよ」
「そう? ふふっ、宗ちゃんは強い子ね。でもね宗ちゃん」
シャロ姉がふわっと立ち上がり、俺の顔に両手を添える。
そして指で眉をくいっと上に引っ張った。
無意識に下がっていた眉を上げさせて、元気づけるように。
「無理はしないで、つらいことがあったら……ううん、つらいことも何にもなくても、いつでもお姉ちゃんの胸に飛び込んできていいのよ?」
つらいことがあったら甘えさせてくれちゃったりするような癒し系のお姉さん。
シャロ姉は……本当に、理想の姉さんの一人だ。
俺は微笑んで、顔からシャロ姉の手をゆっくりと外した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「宗ちゃん……!」
シャロ姉は健康的な肌色の頬をピンク色に染め、そっと近寄ってきた。
しかし俺はシャロ姉のハグをかわす。
うっかりお姉ちゃん呼びなんかしてしまった今の俺がハグられたらもう恥ずかしすぎてアレだ。シャロ姉のハグから逃れるべく集中する。陸上部で培った反射神経は伊達じゃないのだ。あっけなく捕まった俺は存分にハグされた。軽くキスもされた。もうだめだ。




