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○/南国ヤシの実タイフーン

〈 ○ 〉



 とある土曜の夜。

 自宅。

 アイスでもあれば食べようと思って一階に下り、リビングに足を踏み入れると、


「そーちゃーん!」


 シャロ姉が金髪をふわりとさせながら抱きついてきた。


「……はあ。なに、シャロ姉」

「宗ちゃん宗ちゃん、何か気づかない?」

「え?」


「お姉ちゃんのハグ、いつもと違うところあったりしない?」

 俺の肩にあごを乗せ、姉さんは囁く。

「お姉ちゃんソムリエの宗ちゃんならわかるでしょう?」


「ソムリエの資格は取得してないけど……うーん、違いか……愛情がこもってる?」

「まあ。うふふ、それはいつもよ~?」

「えーっと、じゃあ、えー、あー」


 何だ? 何が違う? 早く答えて離れてもらわないと、ちろちろと首をくすぐるシャロ姉の髪や、密着するふっくらとした胸の感触が幸せすぎてどこかがおかしくなってしまいそうだ。

 と、そこまで考えて気づいた。

 ふっくらだ。


「もしかしてシャロ姉、また胸が大きくなった?」


 シャロ姉がやや離れ、俺の顔を正面から見て笑った。

「あら~、やっぱり宗ちゃんは一級お姉ちゃん鑑定士ねっ!」


 その肩書きは就職とかの役に立つのかなと疑問に思いつつ、とりあえずシャロ姉の話を聞くことにした。どうやら姉さんは最近お腹回りが気になるようになってしまったらしく、ダイエットをしたいと思ったらしい。


「香恵さんからいろいろお菓子もらったからかな」

「そうかも。おっぱいが大きくなって宗ちゃんを喜ばせてあげられるならいいんだけど、このままぽよぽよになっちゃったら嫌なのよね~」

「うん。で、俺は何をすればいいの?」

「宗ちゃん、陸上部でしょ? お姉ちゃんと一緒にジョギングに付き合ってくれるかしら」

「いいよ」

「ふふっ、ありがと!」

「それでさ」

「んー?」


 俺に抱きついてきたままのシャロ姉から目を逸らしながら言う。


「早く離れてよ」

「あらあら……恥らう宗ちゃん、可愛いっ」


 その反応からして逆効果かと思いきや、離れてくれた。そこらへん、シャロ姉はちゃんとわかってくれる。しかし一方で、幸せそうに見つめられるとこっちは恥ずかしいということだってわかっているはずなのに、そこはやめてくれない。





〈 ○ 〉





 日曜の早朝になると、俺は眠気でだるい体に鞭打って高校の体操着に着替え、一階へ下りた。

 シャロ姉は既に準備万端。ストレッチをしている。フローリングの床で脚を開いて、意外な柔軟性を見せていた。


「おはよう宗ちゃん。ごめんね、付きあわせちゃって」

「別にいいよ」


 俺の素っ気ない言葉に、くすっと笑いをこぼすシャロ姉。


 姉さんのジャージ姿は新鮮だった。赤を基調としたそれはおおむねピッタリサイズなようだけれど、胸の部分だけはなんというか、すごい。無理にファスナーを上げなくてもよかったのではと思う。


「体操服姿の宗ちゃんもかっこいいわね。さすが陸上部、似合ってるわ!」

「ありがと……。行こうか」


 外に出るとまだ空気はひんやりとしていた。少し歩き、川の岸沿いにある土手に着く。高く盛り上がったそこに立つと、向こう岸にほんのりと靄がかかっているのが見えた。


 二人で頷き、走り出す。

 朝の風が心地よく肌を撫でた。


 雑談できる程度のスピードなので、

「シャロ姉って体力あるっけ?」

 と話しかける。


「ううん、最近あんまり運動してなくて。運動神経は悪くないみたいなんだけど、走ったりは苦手なの」

「じゃあ、トレーニングの最初の方は目覚しく体力が付いていくと思うよ……って、シャロ姉なら知ってるか」

「ふふっ、身体科学の知識はあっても、実践的なフォームのこととかはわからないわ? 今日は手取り足取り、教えてもらっちゃおっ」


 シャロ姉はにこにことしながら受け答えしてくれる。俺もアネキ以外の姉さんと並んで走ったことがなかったから楽しい。しかし、お互い徐々に口数が少なくなってきた。


 姉さんは息切れしている一方、俺はそれとは別の理由で少し話しづらくなる。

 気になってしまうのだ。


 シャロ姉の胸が、なんというか、南国のヤシの実が台風被害に遭っている様子を思わせるような、そんな感じになっている。


「はぁっ……ふぇぁぁ……」

「シャロ姉、大丈夫?」


 シャロ姉は汗を滲ませつつも微笑んでくれるが、ぎこちない。暑くなったのかジャージの前を開けた。封印が今解き放たれる。白シャツの下でバレーボールのような胸がぽよんぽよんと弾んだ。


「や、休もっか。スポドリ飲もう」

「はぁ……ふぅ……」


 土手から川の方へ続く石の階段、その最上段に二人で座る。俺はバッグからペットボトルとタオルを取り出し、渡した。

 シャロ姉は疲れた笑顔で受け取り、ボトルに口をつける。


 んくっ、んくっ、と動く小さな喉と、首に張り付いた湿り気味の金髪に見とれてしまう。口角から漏れた一滴の水が汗と混じりあいながら首を伝い、鎖骨で曲線を描き、そのまま胸元まで落ちて見えなくなる。

 白シャツは汗でべったりと張り付き、肌色と下着が透けて見えた。


 と、シャロ姉が俺の視線に気づく。嫌な顔一つせずに、にっこりと目を細めてくれた。無垢な天使と見紛うそれに、俺は激しく反省する。


「宗ちゃん、今日はありがとね」

「え? あ、ああ」

「わたしはこんなに疲れたのに、宗ちゃんは少しも息が乱れてないのね~。さすが、ヒビちゃんの弟だわ!」

「姉貴は化け物だから……。じゃ、今日はこれくらいにしておこうか?」


「そうしましょう。おうちに帰ったら、アイスが食べたいわ」

 姉さんは手でぱたぱたと自分を扇ぐ。

「そしたらニゴちゃんの朝御飯を食べて、いろいろくれた香恵さんへのお返しのお菓子を焼いて、そうだ、せっかくの日曜日だからお昼はどこか外食に……」


 指を折って予定を数えるシャロ姉だったけれど、すぐに俺のじとっとした目に気づいた。

 一瞬固まった後、取り繕うように笑い声を出す。


「……えへへ……だ、ダイエット中だったわね! もちろんお菓子はつまみ食いしないわ? ご飯だって食べ過ぎないし」

「ほんとかなー」

「本当よ~! 信じて! なんならわたしをいつでもどこでも見張ってていいのよ、一流お姉ちゃん調教師さん!」


 犯罪者の肩書きにしか思えない。しかもどちらかというと弟である俺の方が調教される側なのでは。そんな弱気な考えを払拭するため、「じゃあシャロ姉、調教するから俺の命令を何でも聞いてね」と言い放つと、姉さんは「はーい♪」と満面の笑みを返してきた。ダメな気がする。

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