□◇/お姫様抱っこ~ニゴの場合~
〈 □◇ 〉
「だからねニゴ姉さん、女の子はいつだって王子様にお姫様抱っこをしてもらうのが夢なのさ」
「ふむふむ」
ある春の日。
リビングでソファに寝転がって漫画を読んでいる俺の耳に、そんな会話が聞こえてきた。
たまにゆら姉はニゴ姉にこうして変なことを教えている。純粋なニゴ姉はそれで信じてしまうからたちが悪い。
この前はゆら姉が「ニゴ姉さんのような銀髪メイドは時間を操る程度の能力を持っているものと決まっているんだよ」と訳のわからないことを言い出していたけど、さすがにニゴ姉は時を止める機能を持ち合わせていなかったらしい。シャロ姉に相談しても「古代にあった大きな研究所があればねー」と困り笑いをされただけだったそうだ。
「いや、古代の設備なら時間止められる機械作れるのかよ……」
「宗一さん、独り言ですか?」
「わっ、なに、ニゴ姉」
ニゴ姉はいつの間にか、寝そべった俺の頭の横に立っていた。この姉さんは背が低いからしゃがんでもいないのに顔が近い。
「いえ、宗一さんには今から王子様になっていただこうかと」
「え?」
「ニゴに『お姫様抱っこ』というものを経験させてはいただけませんか?」
ニゴ姉はいつもの無表情だが、じっと見つめる眼差しは真剣だった。
俺は読みかけの漫画を閉じる。
「まあ、いいけど」
「宗くん、わ、私もニゴ姉さんの次でいいからお姫様抱っこをしてもらえないだろうか……?」
ゆら姉も近寄ってきて、小さなあごに手の甲を添えつつそわそわとしている。
「私は少し重いかもしれないが、陸上部で鍛えている宗くんなら大丈夫だろう?」
余裕余裕、と言いながら俺は、ニゴ姉の小さな背中と膝の裏に腕を回して「よっ」と横に抱き上げた。
なんだか、学校の先生がクリアファイルの入った箱を持ち上げるとき、所詮ファイルだ重くはないだろうと油断していたせいでギックリ腰になったという笑い話を思い出した。
眉をひそめる。腕が震える。
「あれ……俺自身お姫様抱っこなんて初めてやったけど……女子の体ってこんなに重いの……?」
「おや、申し訳ありません。少し重力制御を弱めすぎました」
「軽くなった。そうか、ニゴ姉はアンドロイド……じゃなくてガイノイドだもんね。本当は重くて当たり前か」
「ニゴの構造としては四十六パーセントをジェラッケ鋼が占めているので、機能を完全解除すれば重量は一トンを超えます。……しかし、なるほど、これは」
「これは?」
ニゴ姉は目を細め、糸がたわむ瞬間を思わせる微かな笑みを浮かべる。
「赤ん坊になったかのようで……少し、甘えたくなりますね」
そうして目を閉じ、頬を俺の二の腕に寄せた。
そのまま眠ってしまいそうなニゴ姉。おかっぱの銀髪がさらりと降りる。メイド服のフリルが俺の腕をくすぐる。
お姫様と王子様というよりは、娘と父親のような感じだ。羽のように軽い姉さんの体ならば、ずっと抱いたままでもいいような気がしてくる。




