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□/静かな朝とゼンマイの音

〈 □ 〉



「――ということがあってさ」

 俺は居間のフローリングの床に座ったまま言う。


「そうですか」

 ニゴ姉は俺の前でしとやかに返事をする。


 朝。

 きぃ、きぃと僅かに金属の擦れる音。

 俺は、向こう側を向いて正座したニゴ姉の背中のゼンマイを回していた。


 ニゴ姉はゼンマイ式の古代機械。朝一で家族の誰かがこうしてゼンマイを回すのが日課となっている。

 今日は俺がゼンマイを回し、ある日のアネキとの会話や、ビンのフタを開けたら柔道の技をかけられたこと、なんでも一つ言うことを聞くはめになったことを話した。


 五歳児程度の背丈しかないニゴ姉は、大人程度のおしとやかさで笑みをこぼす。

「響さんはかわいいですね」


「そう?」

「響さんはきっと、宗一さんの困った顔を見るのが好きなのですよ。かわいい子にほどいたずらしたくなるものです――と、小説に書いてありました」

「だとしたら、迷惑な性格だ」


 ニゴ姉はそれを聞いて、くすっ、と笑うだけで、なにも言わない。


 静かな時間だ。

 きぃ、と鳴るゼンマイの音が耳に心地よい。

 庭に続く大きな窓からは、レースのカーテンによって柔らかくなった日光が差している。

 僅かに開いた窓から空気がさざなみのように流れてくる。

 眠たげな空間だ。

 ぼんやりと光る胞子が浮かんでいるような錯覚すら覚える。


 十回ほど回した頃、ニゴ姉が話し始めた。小学生並みの体格に似合わぬ話し方だったが慣れっこだ。


「宗一さんの姉たちの中で、響さんだけが知っていることがあります。なんだかわかりますか?」

「姉貴だけが知っていること? 姉貴が小学生の頃、喧嘩相手の俺を公園のジャングルジムから落として実の弟にトラウマを植え付けたこととか」

「正解です」

「え?」


 俺からは表情は見えないが、ニゴ姉は小さな背中を向けたまま優しい声で語りだす。

「ニゴたち――響さん以外の姉たちは、宗一さんの一年以上前の過去を知りません。ですが、実姉である響さんは実弟の宗一さんを、生まれた頃から知っています。だから、きっと」


「きっと?」

「きっと響さんは、驚いたのでしょう。自分が開けられないビンのふたを、簡単に開けてしまうような、男らしく成長した宗一さんに」


 一年前に俺の前に現れた、ゆら姉、秘姉、シャロ姉、ニゴ姉。彼女らの前でビンを開けても「さすが男の子ね」と思うだけだろう。姉貴の場合は、それに『あの弱かった宗一に力で負けるなんて』という気持ちが加わる。


 姉貴は身体能力の高い女性だ。その細い体のどこにそんな力があるのか、というくらいに強い。だから俺が高校一年生になってやっと力の差が出てきたことに、姉貴は驚いた。だから、柔道の技で自分の優位性を確認したのではないか。

 ニゴ姉の言いたいことはそういうことらしい。


「……まあ、姉貴の行動は不可解だとは思ったけど、なんとなくそうだろうとは予想してたよ」


 そういえば姉貴の身長を追い越した時もこんなことがあったような気がする。姉貴の一七〇センチに対して俺は一七一センチ。未だに一センチしか違わないのに、危うく脱臼させられるところだった。


「シャキロイア姉さんとニゴの姉歴は響さんに次いで二番目に長いですが、やはり響さんには敵いません」

「シャロ姉とニゴ姉がいなければ、俺は母さんの死に耐えられなかったかもしれない。一緒にいた時間が短いからって、姉貴に敵わないなんてことはないよ」


「嬉しいです」

 ニゴ姉は首だけで振り返って、小さく微笑む。

「でも、響さんにはもう少し優しくしてくださいね」


「それは嫌だな」

「どうしてですか?」


「あいつは雑に扱うくらいでちょうどいいんだよ。結果いじめられたって、そこまで悪い気分にはならないな。こっちも姉貴が何かやらかしたら目の前で大爆笑してやるし。そうしてたらいつの間にか、良きライバルみたいな、そういう信頼が積みあがってて……」


 カチリ、とゼンマイが止まる。

 エネルギー充填完了だ。


「だから、ニゴ姉やシャロ姉を尊敬しているのと同じくらい――いやちょっと下、かな、まあそれくらいには尊敬してるよ、姉貴のことも。って、これ姉貴には内緒ね」


 ニゴ姉はすっと立ち上がり、おかっぱの銀髪を揺らして振り返った。

 小首を傾げ、機械とは思えない柔和な微笑。


「やはり、響さんには敵いませんね」


 エネルギー充填ありがとうございます、と言われ、俺は頭をかいて頷く。落ち着いた時間が終わることに一抹の寂しさを感じる。

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